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プーチン 元CIA職員スノーデン氏を「子豚」「ゴミ」呼ばわり (NEWS ポストセブン) 
http://www.asyura2.com/12/kokusai7/msg/618.html
投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 8 月 17 日 16:15:00: igsppGRN/E9PQ
 

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130817-00000010-pseven-int
NEWS ポストセブン 8月17日(土)16時6分配信


 アメリカの個人情報収集活動の実態を暴露し、世界を震撼させた元CIA職員のエドワード・スノーデン氏。ロシアへの一時亡命が認められるまで、モスクワの空港に1か月以上の滞在を強いられた。現在の状況を正しく理解するにはプーチン露大統領をはじめ各国トップと諜報機関が共有する「インテリジェンスの掟」を知る必要がある。作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏が解説する。

 * * *

 ロシアのプーチン大統領は、「元インテリジェンス・オフィサーという言葉は存在しない」とよく口にする。インテリジェンス機関に勤務した経験のある者は、たとえその職務を離れても一生、国家のために尽くすべきであるという掟に縛られるというのがKGB(ソ連国家保安委員会)将校だったプーチンの職業倫理だ。

 米国の国家機密をマスメディアに暴露した、元CIA(米中央情報局)職員で、NSA(米国家安全保障局)の契約職員であったエドワード・スノーデンに対して、プーチンは極めて冷淡な態度を取っている。8月1日にロシアへの1年間の一時亡命が認められたものの、これはロシア国内におけるスノーデンの身の安全を保障する措置では決してない。プーチンがインテリジェンスの掟に従わないスノーデンを心の底から軽蔑し、嫌っているからだ。

 7月1日の記者会見でプーチンは、スノーデンについて、「ロシアに残りたいのなら条件がひとつある。われわれのパートナーの米国に損害を与えるような活動をやめなければならない」と述べた。

 プーチンは、スノーデンに受け入れ不能と思われた条件をあえて提示し、ロシアから離れることを促している。6月28日付のロシア有力日刊紙「トルード(労働)」電子版に掲載された記事が、プーチンの心象風景を見事に表現している。

〈米国指導部は、うろたえ、興奮して、中国人がいうところでのメンツを失ってしまっている。大洋越しに、何か呂律の回らない調子で、また脅迫調を押し隠す余裕もなく、エクアドルや中国やロシアに対し、もぐもぐ言っている。

(中略)

 ウラジミール・プーチンの反応が、米国人の自尊心をとりわけ傷つけた。プーチンはすでにスノーデンとアサンジは「人権活動家だ」と明言した。スノーデンたちと戦っている連中は「全員、子豚の体毛を刈っているようなものだ。ブヒブヒたくさん鳴くが、刈り取れる毛は少ない」と述べた。

 こういう表現で、プーチンは人権侵害(こういうことに米国人は50年も懸念を表明している)や人権活動家に対する圧迫という口実でロシアを締め付けてきた米国に対して意趣返しをしているのだ。「アメリカ小屋から外にゴミが出てきたら、家主がすぐに常軌を逸してしまった……」〉

 プーチンは、スノーデンを「子豚」「ゴミ」と呼んでいる。CIAのスノーデン拘束作戦が、子豚の体毛刈りであると揶揄し、インテリジェンス機関からスノーデンのようなゴミが出てきただけで、なぜそんなにうろたえるんだと旧KGB将校の視座に立ってこの問題を見ている。

※SAPIO2013年9月号


 

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コメント
 
01. 2013年8月18日 11:22:09 : EaBBn0zY1I
「インテリジェンスの掟に従わない、スノーデンを心の底から軽蔑し、嫌っているからだ」という所見は、誰がそう感じてるんだろう、、果たして、プーチン様なのか、この記事を書いてる人なのか。

受け取り方にも解釈の仕方にも書き手も,私的な感情移入をするから、文章って、よく、注意して読まないと、、ね。


02. 2013年8月18日 17:38:16 : OZJGamkJMv
これは佐藤優の見解であり、ゴミとは言っていない。

「全員、子豚の体毛を刈っているようなものだ。ブヒブヒたくさん鳴くが、刈り取れる毛は少ない」この発言から間接的にそう言っているんだと推測しているだけだ。

実際にこの発言をしたときのビデオを見たら、多くの人が佐藤優が思っている印象とは違うと思うんじゃない?プーチンは結構愛嬌のある言動をする。

佐藤優はプーチンが誇り高き諜報組織の幹部という思いこみがあるんじゃないか?

「余計な奴が来やがって、面倒くさい」という程度の認識だと思うよ。


03. 2013年8月20日 18:25:37 : niiL5nr8dQ
国外移住か沈黙か、ロシア新法で苦境に立つ子持ち同性愛者
2013年08月20日 16:40 発信地:モスクワ/ロシア写真 ブログ

米ニューヨーク(New York)のロシア領事館前で、ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領の写真を使ったプラカードを掲げ、同国で成立した反同性愛法に抗議する人々(2013年7月31日撮影)。(c)AFP/Emmanuel Dunand
関連写真1/1ページ全4枚
国外移住か沈黙か、ロシア新法で苦境に立つ子持ち同性愛者国外移住か沈黙か、ロシア新法で苦境に立つ子持ち同性愛者国外移住か沈黙か、ロシア新法で苦境に立つ子持ち同性愛者国外移住か沈黙か、ロシア新法で苦境に立つ子持ち同性愛者ムスリム同胞団、国民の多くから「テロリスト」呼ばわり53年イラン政変、CIAの主導認める公文書が公開ムスリム同胞団最高指導者を拘束、エジプト当局英紙記者のパートナー拘束で英当局に非難集中、米国は関与否定エジプトのムバラク元大統領、保釈を認められるも別事件で勾留は継続【図解】エジプト情勢めぐり分断されるアラブ世界北朝鮮、離散家族の再会を受け入れ
【8月20日 AFP】レズビアン(女性同性愛者)カップルのマリアさん(31)とアレクサンドラさん(30)はここ数年間、今住んでいるロシアを離れることを漠然と考えていたが、今年になって反同性愛的な新法が成立したことで、初めて必要書類の準備を始めた。

 物静かな学者肌の2人は、7歳の娘とモスクワ(Moscow)郊外で暮らしている。保守派の反対にもかかわらず同性婚が次々と合法化される欧州に、ロシアが歩調を合わせるのではという期待は、もはや捨て去った。

「以前は、全てが良い方向に向かうだろうという望みがありました。でもそれどころか、風向きは逆転しました。ロシアを離れることができれば、と願っています」と話すマリアさんは、短命に終わった結婚で授かった娘のリーリャさんを、6年越しのパートナーであるアレクサンドラさんと共に育てている。

 今年6月、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領は、「同性愛のプロパガンダ(宣伝)」を未成年に広めることを禁止する法案に署名し、同法は成立した。この法律に対しては国外でも激しい抗議が起きており、2014年冬季五輪の開催権をロシアからはく奪すべきだと訴える人たちさえいる。

 新法の下では、ロシア国内で同性愛関係が異性愛と同等だと子供に教えた者は誰でも、罰金の対象になる。このことが2人を「急いでロシアを離れたい」という気持ちにさせた、とマリアさんは語った。

 2人は現在、カナダへの移住に向けた準備を進めている。研究専門の科学者であるアレクサンドラさんは、若手専門職員として居住権を申請するための要件を満たしており、外国人同性カップルを対象とした規定では、家族3人がそろって移住することが認められている。

■強まる同性愛嫌悪

 この記事のためにAFPがインタビューした人はすべて、身元を明かさないために苗字を伏せることを希望した。その上でさらに、仮名を使うことを願い出た人たちもいる。

 新法は始まりにすぎない──そう話すマリアさんたちは例として、エレーナ・ミズリナ(Yelena Mizulina)議員が最近、国は同性カップルから子供を取り上げる権利を持つべきだと発言したことを挙げた。外国人の同性カップルがロシアの子供を養子にとることを禁ずる法案を推進した人物でもあるミズリーナ議員は、自身が委員長を務めるロシア議会下院(国家会議)家庭女性子供問題委員会が「事実上の同性婚である家庭から子供たちを引き離すための、法的な基盤を作る可能性を検討している」と述べていた。

 また、国内に強い影響力を持つロシア正教会の最高指導者、キリル総主教(Patriarch Kirill)は先月、他国で進む同性婚の合法化は「世の終末を示す兆候」であり、ロシアはこの動きと闘うべきだと訴えた。

 こういった激しく保守的な言論の背景には、次第に不寛容さを増す世論がある。「同性愛者にも平等の権利が与えられるべき」と考える人の割合は2005年には51%だったが、今年は39%にまで低下した。また、ロシアの独立系調査機関レバダ・センター(Levada Center)によると、同性愛は「病気」である、または「みだらさ」によって引き起こされると考える人は、同期間で67%から78%に増加した。

 同性愛を嫌悪する風潮が高まる中、同性愛の親たちは、子供が学校で家庭の状況を聞かれたらどうなるのかと心配している。

 幼い娘を持つレズビアンのオルガさん(34)はこの点について、「互いの信頼の問題でもあるし、社会における娘の安全という問題でもある」と語り、娘が理解できる年齢になったときに、嘘はつきたくないと説明した。「ひとたび政府が同性愛者を『第1の敵』として標的にすれば、(国を)去るべきなのは明らか」と語るオルガさん。今は、自分が合法的に移住する権利を持つポーランドに移り住むため、言語を学びながら資金を貯めている。

■「沈黙の連鎖」

 ロシアでは、シングルマザーや2人の女性が子供と暮らす世帯は珍しくない。だがサンクトペテルブルク(Saint Petersburg)で医師として働くアルチョムさん(30)いわく、離婚時に男性側に親権が認められることはほとんどないこの国では、男性同性愛者はより慎重になる必要があるという。

 アルチョムさんは、レズビアンのカップルが育てる双子の生物学上の父親になったばかり。「僕は子供が欲しかった。自ら下した決断だ。インターネットで候補を探した」という。アルチョムさんは、双子を身ごもった女性と結婚した。妻には長年にわたる女性パートナーがいることを全く知らない2人の両親は、嬉しそうに色々と世話を焼いてくれる。

 アルチョムさんは毎日、食事や着替え、散歩などの子育てを手伝い、双子と共に時を過ごしている。「僕たちはこれからも本当の姿は見せず、うわべは普通の伝統的な家族を演じていく」という。「同じことをしている人はたくさんいる。皆が僕たち家族のように黙っていれば、(今年成立した反同性愛法を含め)それほど多くの問題は起こらないだろう」

 同性愛者は静かにしているべきだというアルチョムさんの考え方は、ロシアに広く根付いている。反同性愛法に抗議しているのは一握りの人たちだ。

「沈黙の連鎖のようなもの」とアレクサンドラさんは話す。「人は抑圧されると、黙り込んでしまう。でもそれは、敗者のすること。だから私たちは、ロシアを逃れようとしている」

(c)AFP/Maria ANTONOVA


04. 2013年8月23日 06:32:49 : 7OpGsifAXA
ゴミというのはスノーデンの暴露した醜聞のことだ。
子豚の毛を刈るは坊主の髪を結うとおなじで、不可能を意味するたとえだ。
だが情報機関は本質的に犯罪集団であるから、そこ出身のプーチンは人事じゃあるまいよ。暴露されたらいいわけのしようもないことはいくらでも抱えているだろう。

05. 2013年8月26日 12:26:06 : niiL5nr8dQ

2013年8月22日

流刑地シベリアをめぐる壮大な悲劇
[橘玲の世界投資見聞録]
1
2
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 シベリアに60万人を超える旧日本兵が抑留された話を書いたが、これがシベリアをめぐるより巨大な悲劇の一部だということもここで述べておきたい。

[参考記事]
●遠くシベリアの地に眠る国家に見捨てられたひとびとの墓

 シベリアが地図上の名称としてはじめて記録されたのは1407年で、シベリア征服の遠征軍が組織されたのは1578年。モスクワ公国のイヴァン4世(イヴァン雷帝)が、“タタールのくびき”と呼ばれたモンゴルの支配を打ち破ってロシアを統一した直後だった。それから15年後の1593年には、早くも受刑者の強制移住が行なわれたという。

 当時はコロンブスがアメリカ大陸を“発見”してからおよそ1世紀で、西ヨーロッパ各国からの移民が本格化した時期だった。“新大陸”は当初、新天地を求めた移住というより、犯罪者の流刑地として使われていた。イギリスによるオーストラリア開発が本格化するのは18世紀後半だが、これはアメリカの独立により流刑地がなくなり、国内の監獄が満員になったためだ。監獄が近代的な更正施設になる前は、どの国でも犯罪者はもっとも安価な労働力だった。ロシアにとっての“新大陸”は豊富な地下資源の眠るシベリアで、そこに強制労働収容所がつくられ犯罪者が送り込まれたのは必然だった。

19世紀以降、急増したシベリア流刑

 それでも18世紀までは、シベリアに送られる犯罪者の数は年間2000人程度だった。だが19世紀になると、ナポレオンのロシア遠征によって西ヨーロッパの自由主義(近代主義)に触れた知識人を中心に、旧態依然とした農奴制や帝政への批判が起こるようになる。その結果、大量の政治犯がシベリアに流されるようになり、その数は年間2万人、累計で200万人を超えるまでに膨らんだ。

 ドストエフスキーの『罪と罰』では、金貸しの老婆を殺したラスコーリニコフはシベリア流刑となり、そのあとを娼婦のソーニャが追う。そのドストエフスキー自身も社会主義者として逮捕、死刑判決を受け、皇帝の特赦によってシベリアに流され、その体験をもとに『死の家の記録』を書いている。

 トルイストイの『復活』では、無実の罪でシベリアに送られた女囚カチューシャを追うネフリュードフ公爵の贖罪の旅が描かれている。劇作家とした成功し文壇の寵児となったチェーホフは、30歳のときに周囲の反対を押し切って長期のシベリア取材を敢行し、最果ての流刑地であったサハリン(樺太)を訪れ、『サハリン島』というノンフィクションを書いた。このようにシベリアは、一貫して19世紀ロシア文学の重要な背景だった。

 20世紀に入るとロシアの帝政はますます混迷し、社会変革への期待が盛り上がってくる。その先導者となったレーニンもトロツキーもスターリンも、革命の指導者たちの多くがシベリア流刑を経験している。

 1917年の10月革命で世界初の社会主義国家、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国が成立すると、2年後には「強制労働収容所に関する法令」が発布され、帝政時代の貴族や政府の高官、反革命軍参加者、各宗派の修道僧、ネップ(新経済政策)時代の個人企業家、旧インテリ階級などが大量にシベリアに送られた。

 1924年にレーニンが死ぬと、権力を掌握したスターリンは最大のライバルであるトロツキーをソ連から追放するとともに、徹底した粛清に乗り出した。とりわけ1934年のキーロフ(レニングラード・ソビエト議長)の暗殺を契機に共産党の古参幹部を軒並み逮捕・処刑した大粛清では2年間に135万人が即決裁判で有罪にされ、その半数が死刑判決を受け、残りの半数が強制収容所に送られた(キーロフ暗殺は現在ではスターリンの謀略とされている)。


強制収容所は人種の博覧会状態

 1939年9月にドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まると、ソ連は東からポーランドに攻め入り、独ソ不可侵条約によってポーランドの東半分を占領するとともに、ポーランドの軍人や旧指導層の多くをシベリアに連行した。

 さらにソ連は11月、フィンランドに相互援助条約の締結を拒否されると宣戦布告もなくフィンランドに侵攻し(冬戦争)、国土の11%をソ連に割譲させた。この戦争で捕らえられたフィンランド軍の捕虜もシベリアに送られた。

 1940年6月、ソ連はバルト三国のリトアニア、ラトビア、エストニアを併合した。これらの国の住民も片っ端から逮捕され、強制移住を加えるとソ連に連行された数は10万人を超えるとされる。また同年、ルーマニアに侵攻したソ連はベッサラビアと北ブコビナを獲得したが、この地域の反共産主義者、民族主義者もシベリア送りとなった。

 1941年にドイツがソ連に侵攻すると、ソ連領内に居住するドイツ移民はすべて強制労働収容所に送られた。さらにユダヤ人も「敵性国民」としてほとんどがシベリアに連行された。

 次いで、ドイツに奪われた領土を奪還していく過程で、ウクライナなど一時的にドイツの占領下にあった地域の住民が続々と逮捕された。積極的にドイツ軍に協力した者はもちろん、ドイツ人とすこしでも接触した者は「消極的反逆」あるいは「ドイツ軍との協力」として軍法会議にかけられ、生活のためにやむなくドイツ兵のために洗濯をしたり、炊事場で働いた婦女子も犯罪者として重労働を宣告されたという。

 戦争が終わると、ポーランド、東ドイツ、ルーマニア、ハンガリーなどソ連軍の占領した東ヨーロッパ諸国から「反ソ行為」などを理由に大量の逮捕者がシベリアに連れ去られた。また1956年のハンガリー動乱でも、1万6000人以上のハンガリー人がソ連に連行されたといわれている。

 ソ連領内に侵攻して捕虜になったドイツ兵も、当然のことながら全員がシベリアに送られた。抑留されたドイツ兵は350万人を超えるといわれるが、懲罰の対象とされた彼らの置かれた環境は劣悪そのもので、収容者の9割が死亡したところもあった。日本兵のシベリア抑留は、スターリンにとってはこうした軍事捕虜の一類型でしかなかった。

 シベリアの強制労働収容所はまるで人種の博覧会だった。ドイツ、中・東欧の国民やユダヤ人を中心に、英、米、仏、伊、さらにはヨーロッパの西端のスペイン人までいたという。彼らは1936〜39年のスペイン内戦の生き残りで、民主化を求めた人民戦線の兵士だった。フランコ軍に破れ、希望を胸に新生活を求めてソ連に亡命したとたんにシベリアに送られてしまったのだ。

ロシア人も大量にシベリア送りに

 もちろんロシア人自身も、スターリンの魔の手から逃れることはできなかった。

 ロシア革命後、海外に亡命していた白系ロシア人は、ソ連が占領した地域では全員が本国に移送され、強制労働収容所に送られた。満州には10万人あまりの白系ロシア人が住んでいたとされるが、彼らもまた日本兵と同じくシベリア行きの列車に乗せられたのだ。

 さらに悲惨なのはドイツ軍の捕虜となっていたソ連兵で、彼らは戦争が終わると軍楽隊に迎えられて祖国の土を踏んだものの、ただちに逮捕されてシベリア送りとなった。「資本主義の生活環境に毒された人間の思想を改造すること」がその目的だったという。スターリンは、西側と接触した人間のすべてを潜在的な敵と見なしたのだ。

日常生活が戻っても、恐怖はずっとつきまとった。それぞれの企業には「反ソ行為」を取り締まるためのノルマが課せられており、工場に遅刻するとサボタージュと見なされ、3回の遅刻でシベリア送りにされることもあったという。このようにして、「ソ連は三つの民族に分かれている。現在監獄にいる者、過去において監獄生活をした者、そして将来監獄に入れられであろう者」という自虐的な小噺が生まれた。

 抑留者たちの手記によると、シベリア最大の都市であったハバロフスクでは夕方ほぼ同じ時間に仕事が終わるので、工場から収容所に帰る男や女の囚人たちの列で大通りが埋まるほどだったという。これはシベリアの他の都市も同じで、どこも捕虜と囚人が溢れていた。


ウスペンスキー教会前の広場を散歩するひとたち(ハバロフスク)
 もちろん街には一般人も暮らしていたが、彼らもその多くが元流刑者かその家族だった。

 政治犯の場合、刑期が終わっても居住制限がつけられ、モスクワやレニングラード(サンクトペテルブルク)に戻ることが許されなかった。これがひとつの理由だが、さらに多いのは、自由の身となった流刑者自身が帰郷を断念したケースだ。

 第2世界大戦後、ドイツとの戦場になった地域では深刻な食糧難と飢饉が発生した。それに比べれば石炭などを産出するシベリアの流刑都市の方がはるかに生活に余裕があった。そのため故郷から家族を呼び寄せ、自由民として囚人とともに炭鉱で働いたり、技能を活かして食堂や洋服店を開くなどした元流刑者がたくさんいたのだ。

 シベリア流刑の規模がどの程度かは諸説あるが、多くの研究者は1500万〜2500万人と推定している。これは当時のソ連の人口の20%ちかいすさまじい数だ。

 ハバロフクスやウラジオストクなどシベリアの町を訪れた旅行者は、ヨーロッパのような街並みとともに、その人種の多様さに驚くだろう。その背景には、このような歴史が隠されているのだ。


まるでパリの街角のよう(ウラジオストク)

教師に引率された子どもたち(ウラジオストク)
*シベリア流刑の歴史については若槻泰雄『シベリア捕虜収容所』(サイマル出版会)を参考にした。

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