01. 2013年6月16日 19:26:10
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「エドワード・スノーデンは、現実世界の『ジェイソン・ボーン』なのか?」 ■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 『from 911/USAレポート』 第631回 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
NSA(アメリカの電子スパイ組織「国家安全保障局」)のプライバシー侵害問題 ですが、先週から今週にかけて激しい動きが続いています。この事件は「テロとの戦 い」が終わるとか、「サイバー戦争の時代」だというような時代の変わり目であるだ けでなく、オバマ政権のアメリカ国内政治、そしてアメリカの外交にも関わる現在進 行形の問題になって来たようです。 問題はNSAが「プリズム」というシステムを使って、SNSやクラウド・サービ ス、あるいはインターネットの接続業者など大手のIT企業から網羅的にデータを収 集していたという事実です。この記事は英国の『ガーディアン』のグレン・グリーン ワルド記者、『ワシントン・ポスト』のバートン・ゲルマン記者、そして政治的な告 発を続けてきたジャーナリストのダニエル・エルスバーグによって、6月6日に発表 され、世界中が大騒ぎになりました。 その3日後の6月9日に、グリーンワルド記者などの「情報源」が名乗り出てきま した。NSAの外注先コンサルティング会社「バズ・アレン・ハミルトン社」の社員 であったエドワード・スノーデンという29歳の若者です。スノーデンは香港におり、 以降は香港のTV局などを通じて発言を行なっていますが、潜伏先は分かっていませ ん。 このスノーデンですが、現時点では「自分はアメリカが盗聴国家であることを告発 するためにやった」と宣言すると同時に、「NSAは中国に対してもハッキング行為 をしている」という衝撃的な暴露を行っています。またそのスノーデンに対しては、 ロシアのプーチン政権が「亡命受け入れ」を宣言するとか、その一方で「中国が身柄 を保証するのでは」という噂も出るなど、大変な騒ぎになっています。 とりあえず香港はアメリカと「容疑者引渡し条約」を締結していることから、アメ リカはスノーデンの身柄を引き渡すように動いているようです。これに対して香港当 局がどのような対応を取るかに関心が集まっています。 ところで、香港のメディア経由で発表されたスノーデンの「私はヒーローでも反逆 者でもない。一人のアメリカ人だ」というコメントを受けて、アメリカ世論は真っ二 つに割れています。例えばLAタイムス(電子版)の世論調査では、「ヒーロー」が 67%、「単なる犯罪者」が9%、「国家反逆者」が8%、「ヒーローだが違法行為 なので堂々と収監されるべき」という珍妙な答えが10%というのが現状です。最後 の選択肢は、LAタイムスのデスクが面白がって提示したものだと思われますが、こ れに10%が反応しているというあたりも、非常に興味深いと思います。 また「イプソス/ロイター」による連合世論調査では「スノーデンは愛国者」とい うのが(これも選択肢の提示に「ひねり」がありますが)31%、これに対して「反 逆者」が23%という結果。更に「ハフポスト/ユーガブ」の連合調査では「スノー デンの行為は正しい」が38%で、「間違っている」が35%と拮抗しています。L Aタイムスはネット投票である一方で、こうした正式な世論調査はランダムに電話を かけているというのが差になっているのでしょうが、いずれにしても賛否が拮抗して いるのは間違いありません。 原則として、アメリカでは2001年の「911テロ」以降は、愛国法の施行など もあって「テロ抑止のためには政府によるプライバシー監視はやむを得ない」という 認識がある程度普及していました。ですが、世論を構成する世代がどんどん交代して いることと、電話とメールだけでなく、幅広い個人の情報が画像とともにネットワー ク化されている「SNSまで見られていた」というのは、改めて多くの人に嫌悪感を 抱かせているのだと思います。世論が「真っ二つ」になっているのには、そうした背 景もあるわけです。 真っ二つと言えば、政界も混乱しています。オバマ政権、そして当事者である軍や NSAは「ひたすら低姿勢」ながら「テロ対策には必要だった」という主張を、抑え たトーンで繰り返しています。また、オバマ大統領本人は当初は「国民に理解を求め る」という発言をしたものの、スノーデンが名乗り出てきてからは「ダンマリ」を決 め込んでいます。 そのオバマの民主党ですが、左派は「ブッシュ以来の権力の濫用」だとしてNSA に批判的ですが、中間派から右は「テロとの戦いには必要だった」という立場が原則 です。その一方で、オバマ政権としては「この情報収集行為がテロ抑止に必要だとい う発言を、他でもないオバマがこれ以上発言をすると、オバマのイメージ、特に若者 の間でのイメージが崩れる」という判断をしているようです。 オバマの「ダンマリ」というのはそういうことのようです。これに対しては、共和 党のベイナー下院議長からは、13日の木曜日に「大統領は何故ダンマリを決め込ん でいるのだ。国民をテロから守るために必要な措置ならもっと堂々としたらどうなん だ」などと「ツッコミ」を入れられる始末です。 ところで、スノーデンは『ガーディアン』の取材に対して、「FBIに情報通信企 業から情報を入手するようNSAに指示する」などという「秘密法廷の令状」のコピ ーを提供しています。この「秘密法廷」ですが、アメリカの諜報活動において必要な 場合は、機密を保持しながら当局の行為に「お墨付き」を与えるために設けられてい るものです。 ブッシュ時代には「この秘密法廷すら開廷しないで一方的に盗聴行為を進めている」 として民主党が追及するという構図があったのです。ですが、この2013年にスノ ーデンが「令状のコピー」そのものを公開してしまったことで、このプライバシー侵 害行為を合法だとする「令状」自体が「機密情報」に分類されていて2038年まで 公開禁止になっているということも明らかになったのです。つまりは、そうした「秘 密法廷の令状発行手続き」そのものが持っている欺瞞性も見えてしまったことになり ます。 この問題に関しては民主党のトム・ウダル上院議員(ニューメキシコ州)の発言が 参考になります。「この問題に関する透明性のあるディスカッションはそもそもがム リ。というのは、秘密のプログラムについて、秘密の法廷が、秘密の法解釈に基いて、 秘密の令状を出しているという話なので」というのです。与党議員の発言として、オ バマ政権の尽きない頭痛をうまく説明していると思います。 ダンマリを決め込むオバマですが、担当閣僚の一人とも言えるエリック・ホルダー 司法長官はカンカンで「スノーデンの行為によって、明らかにアメリカの安全保障は 脅威に晒された」という言い方で一貫しています。「何が何でもスノーデンは処罰し なくてはならない」というのです。ホルダー長官は立場上そうした姿勢を取らなけれ ばいけないわけで、政権全体としてとにかく困り果てているとしか言いようがありま せん。 ベイナー発言は、そのオバマの痛いところを突いたわけですが、一方で党内が混乱 しているということでは、共和党の側も同じです。まずブッシュ時代の「テロとの戦 い」を支持してきた保守派の長老達は、NSAを支持すると同時にスノーデンに対し て「国家への反逆」であると怒りを隠していません。その反対に、共和党の次世代の リーダーの一人といわれるランド・ポール議員(上院、ケンタッキー)は「NSAの プリズム・プログラム」を激しく攻撃しています。 ポール議員は、有志を集めて「NSAに協力して個人情報の漏洩を行った」として、 携帯キャリアーおよびインターネット総合通信プロバイダーのベライゾン社や、アッ プル・コンピュータに対して民事訴訟を起こす運動まで始めているのです。「これは 国家と大企業による、アメリカ市民の自由(リバティ)に対する深刻な挑戦だ」とポ ール議員は宣言して、厳しい政権批判を行なっているのです。 このポール議員の言動には、保守派の長老達は困り果てているようです。例えば代 表的な保守派のリンゼイ・グラハム議員(上院、サウス・カロライナ)は「我々はオ バマを左派政権だとして批判してきたが、共和党内にオバマよりも更に左の連中がい るというのは嘆かわしい」と公言しています。 これに対して、批判の的となっているポール議員は「こうした旧世代を一気に葬る 時が来た」と全く負けていません。ちなみに、このランド・ポール議員は、「連邦政 府の極小化」を掲げる「リバタリアン」の象徴的な存在、ロン・ポール前下院議員の 息子であり、親子揃って若い世代には圧倒的に人気があるのですが、正に今回の事件 では「面目躍如」というところです。 さて、そんなわけでアメリカ国内は大騒ぎであり、同時に混乱に陥っているわけで すが、その渦中の存在である「エドワード・スノーデン」というのは一体どんな人物 なのでしょうか? 一見すると「スパイ組織の悪を知ってしまったために、その組織 から追跡されている」ということで、人気アクション映画シリーズでCIAから命を 狙われる「ジェイソン・ボーン」のようにも見えるわけですが、そのような「スーパ ー」な存在であるのかどうかも含めて、その人物像は高い関心を呼んでいます。 スノーデンは、ノースカロライナの出身で純粋なアメリカ人、父親は連邦の五軍の 一つである沿岸警備隊員、母親は裁判所書記官であったようです。一家は、その後、 メリーランドに引っ越していますが、エドワードは何らかの理由で高校を卒業するこ とができず、地域の「コミュニティ・カレッジ(授業料の廉価な公立の大学)」に通 って高校卒業単位を揃えようとしたものの、最後まで行かず、後年GED(大検と同 等)を取って高卒資格に代えています。 その後、スノーデンは21歳で陸軍に志願して入隊、この時点では「イラク戦争に 従軍することは崇高な任務」と考え、特殊部隊へのエリート養成コースに参加してい たそうですが、訓練中の事故で両足に負傷したことから半年で除隊になっています。 その後は、NSA職員、そしてCIA職員と2つの諜報機関を渡り歩く中で、ジュネ ーブでは「外交官というカモフラージュ」をした工作員として任務に従事していたそ うです。 それからは、NSAの外注先企業に転じて間接雇用となり、例えば「日本国内のN SA組織に派遣されて勤務していた」こともあるそうです。最後は、その「バズ・ア レン・ハミルトン社」の社員として、ハワイにあるNSAの施設で「システム管理者」 をやっていたそうで、その際には年俸20万ドル(約2千万円、12万ドルという報 道もあり)という年収を得ていたと言われています。 では、どうしてスノーデンは「告発」に踏み切ったのでしょう? 現在までの報道 を総合すると、軍における負傷と除隊、そしてコンピュータの知識を評価されてCI A職員になった際に感じた幻滅などから徐々に「アメリカの暗部」に触れて、これに 対する批判的な見方に傾いていったようです。 一部の報道では、スノーデンは「てんかん症状」に苦しんでいたと言われます。ハ ワイ勤務を希望したのもそれが理由だというのです。ですが、仮にそうした病気を若 い時から持っていたのであれば、陸軍の特殊部隊(グリーン・ベレット)養成コース に志願できるはずはありません。ということは、憶測になりますが、陸軍での事故の 後遺症として、病気に苦しんでいたという可能性もあるかもしれません。 仮にそうだとすれば、このスノーデンというのは、映画『ボーン・アイデンティー』 シリーズの「ジェイソン・ボーン」のような「超人的な能力ゆえに当局から危険視さ れた」というようなスーパーな存在ではなく、むしろ現在のアメリカが抱えるPTS D問題などの「帰還兵の悲劇」に近いものかもしれません。 先ほどご紹介した「反逆者かヒーローか」という世論調査に関して言えば、ハフポ ストによれば「事件について詳しく知れば知るほどスノーデンに同情的になる」とい う傾向があるそうです。これも、こうした「帰還兵の悲劇」とか、苦労人的な生い立 ちへの同情があるのかもしれません。 さて、この問題の出口ですが、本人とアメリカの司法省・国防総省の間で「どんな ネゴシエーション」が行われているのか、そもそも交渉になるようなコミュニケーシ ョンのチャンネルが開かれているのかどうかは分かりません。アメリカとしては、中 国やロシアへの亡命ということになれば「自由と民主主義の守護者」という自身の 「国のアイデンティティ」が危機に陥りますから、何としても避けたいはずです。 特に中国への亡命とでもいうことになれば、アメリカとしては「人権外交」も「サ ーバー攻撃批判」も非常にやりにくくなるわけで、大胆な予測をすれば、何らかの司 法取引を提示して本人の安全を保証する代わりに、中国に政治のコマとして使われる のは阻止するのではと思われます。 ちなみに、このスノーデンですが、2009年には日本で「NSAの外注先エージ ェント」として活動していたと報道されています。日本の国内法では一切の盗聴行為 は違法ですから、仮に『ガーディアン』の報道が事実であれば、日本の捜査当局はス ノーデンおよびNSAに対する強制捜査をする必要があると思います。その一方で、 今回の事件の展開次第で「アメリカから中国に対する人権外交の説得力」が崩れてい くようですと、日本の安全保障には甚大なダメージになる可能性もあります。日本と しても、危機感を持って対応すべきでしょう。 このスノーデンの事件は不思議な政治的な効果ももたらしています。6月13日か ら14日にかけては、シリアのアサド政権が「反政府勢力に対してサリン攻撃を行い 100人から150人を殺害」したというニュースを受けて、「シリアは一線を越え た」という言い方がオバマ政権から出始めました。 また、現在のシリア情勢の中で「アサド政権=ヒズボラ」が連携を強めて「反政府 軍」と対決しているという構図がハッキリしたこと、共和党のマケイン議員がシリア の反政府勢力を訪問したことで「反政府勢力にはアルカイダが混じっているから支援 はできない」というムードの沈静化が図られていることなど「シリア内戦介入への条 件」が整備されつつあります。 オバマはシリアへの関与へ踏み出す気配を見せています。例えば反政府勢力への武 器供与に関しては具体的な動きもあるようです。その動機の一部として「スノーデン の事件について、世論の目をそらす」という要素も少しだけ考えられるかもしれませ ん。いずれにしても、今回のスノーデンの事件は、オバマ政権に対して、そのぐらい の政治的インパクトを持ちつつあると言えます。 |