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ひとつの国家に、まったく文化も人種も違う人間たちが移民として入り込んで行く。
当然、そこには軋轢が生まれる。ささいな誤解、人種間の格差が多発し、やがてそれが双方に強い不満となって爆発する。
移民たちは「差別だ」と叫び騒動を繰り返す。
地元民は「嫌なら出て行け」と叫び返す。
2013年5月19日から1週間、スウェーデンでは激しい破壊、略奪が続き、数十人が逮捕、100台近くの車が燃やされる暴動に見舞われていた。
暴動の中心地となったのはスウェーデンの首都ストックホルム郊外で、移民が多く住むヒュースビーという街だった。ここは住民の8割が移民だったという。
暴動の発端は、なたを手にしていた69歳の男性を、警察が射殺したことだった。これによって移民の怒りが爆発し、今回のスウェーデンを揺るがす暴動へと拡大していった。
移民問題で揺れているのはスウェーデンだけではない。これは、今や欧州全土で、焦眉の急を要する問題となっている。
■根底には、移民たちの失業率の高さと生活の格差が
ヨーロッパの政治家は、ほぼ一致してEU(欧州連合)の推進を表明して動いている。そして、多文化主義を受け入れ、移民を大量に入れることに積極的だ。
しかし、国民は「国境がなくなって自国文化が破壊される」ことに強い危機感を抱いている。
国境がなくなると、移民が他民族がどこからでも自由にやってきて住み着き、文化や光景を変えていく。
国家は移民が増えるとやがて税金が取れるし、企業は移民が増えると低賃金で人が雇えるので、「多文化主義」は非常に魅力的なものに見える。
ところが国民はそうではない。
自分たちの国は白人の国だったはずなのに、移民が増えて人口構成がモザイクになった。
自分たちの国はキリスト教徒の国だったのに、イスラム教徒が大挙として押し寄せるようになった。
その結果、言葉も通じない国民が増え、なおかつ治安も悪化していく一方になっている。
さらには、移民に職を奪われることによって失業率はまったく改善しない。今回のスウェーデンの暴動でも、その根底には移民たちの失業率の高さと、生活の格差があった。
経済が順調なときは移民にも仕事が回ってくるが、やがて不況になると真っ先に首を切られるのが移民である。
だから、移民は失職して貧困に落ち、自分たちをこのような「差別」に追い込んでいる受け入れ国を憎むようになっていく。
■多文化主義で伝統を失っていくのを非常に懸念
スウェーデンの隣国はノルウェーだが、このノルウェーでも多文化主義に激しい反撥心と拒絶感情を抱いていたひとりの男が、空前絶後のテロを引き起こした事件があった。
2011年7月にアンネシュ・ブレイビク個人が引き起こした爆破テロとウトヤ島の無差別殺人事件である。
アンネシュ・ブレイビクは、自国ノルウェーが多文化主義で伝統を失っていくのを非常に懸念して超過激テロに走った男だ。
この「多文化主義反対テロ」を聞いて、フランスとオランダの極右グループが絶賛して問題になったが、欧州全土で、いまや多文化主義を否定する動きが定着している。
多文化主義を反対するグループは、グローバル・メディアからは「極右」「差別主義者」「排他主義」とレッテルを貼られている。
しかし、よくよく立ち止まって考えてみると、何か不思議な語感がしないだろうか?
「多文化主義」の反対語は、正確に言えば「単一文化主義」というべきなのである。多文化を「たくさんの文化」と簡単な言葉に代えて理解すれば、なお分かりやすい。
「たくさんの文化」の対になるのは「ひとつの文化」だ。
だから、多文化主義に反対する主義を「極右」だとか「差別主義者」だとか「排他主義」と言うのは、メディアの「印象操作」であることが分かる。
そういった語感の裏にある差別感情を臭わすことで、嫌悪感を抱かせようとしているのである。
しかし、いくらグローバル・メディアが「単一文化主義」を差別だとレッテル貼りをしても、自国の文化を守りたいという国民を差別主義者だと決めつけるのは無理がある。
■アンネシュ・ブレイビクが引き起こした多文化主義反対のテロ事件
「反多文化主義」「反移民主義」「反ユーロ」
多文化主義という考え方も、単一文化主義という考え方も、どちらかが良い悪いではない。
その国の文化や歴史によって、多文化主義が馴染んだり、逆に単一文化主義が馴染んだりするものだ。
国の気質を見ても、多文化に許容のある国もあれば、単一文化にこだわる国もある。アメリカは多文化主義に向いているし、スウェーデンでは向いていない。
だから、すべての国を多文化主義にするというのも、すべての国を単一文化主義にするというのも、両方間違っている。
それを「すべてひとつの文化にしてしまおう」と考えるのが無理がある。ヨーロッパではその無理な多文化主義の押しつけが、極右政党の躍進につながっていると考えれば分かりやすい。
ヨーロッパは、ユーロというひとつの国になって、現代のそれぞれの国は「フランス州」「ドイツ州」「イタリア州」のような扱いにして、通貨も文化も統合しようと何十年も動いてきた。
ところが通貨統合にしてもギリシャやイタリアやスペインのような国が破綻しそうになると、とたんに「誰が金を出して助けるか」という話になっていき、内部分裂が始まった。
多文化主義についても、国の伝統や歴史を守りたいという国民の保守的な考え方に抵抗されて、融合するどころか激しい反撥さえ招いている。
現在、ヨーロッパで躍進している政党は、みんな反多文化主義を標榜する政党である。グローバル・メディアが言うところの極右政党だ。
フランスでは、マリーヌ・ルペンが率いる国民戦線が、極右政党として紹介される。
マリーヌ・ルペンが極右と言われる理由は、「反多文化主義」「反移民主義」「反ユーロ」という明確な主張を持ち、イスラムの浸透についても拒否しているからである。
■国民戦線率いるマリーヌ・ルペン
反ユーロ、反多文化主義
マリーヌ・ルペンは「フランスの高失業率は移民が大量に流入するせいだ。移民は厳しく規制しなければならない」と常に主張している。
「移民がひとり入ると、彼らは家族を呼び寄せてどんどん増えていく。そうすると、フランス文化も、フランス語も分からない国民が増えていく。それでいいのか?」
食についても、「パリ周辺で流通している肉はすべてイスラム教徒用の食肉(ハラル肉)になってしまっている」として、「キリスト教徒の国であるフランスが、なぜここまでしてイスラムの浸透を許容する必要があるのか」と疑問を投げかけた。
例によってグローバル・メディアは、これを「危険なポピュリズム」と批判的に報道する。
ユーロは不況の真っ只中だが、この不況が長引き、国民の不満も高まっていくと、さらに「多文化主義」は批判の矢面に立たされることになる。
逆に言えば、極右・排他主義と言われている「単一文化主義」が拡散し、根付いていくということだ。
これが何を引き起こすのか、どんな鈍い人でも想像できるはずだ。
ヨーロッパ国内ではこれからも、人種間の憎悪が沸騰し、キリスト教とイスラム教もまたユーロ圏内で激しく対立していくということだ。
追い詰められた移民たちは犯罪に走らざるを得ない状況になって治安も悪化し、大きな暴動が起きていく。
ヘイト・クライムも起きるし、そういったものは報復や、暴動や、テロを生み出す要因にもなっていく。
いずれにせよ、ユーロ圏はますます不穏な空気に包まれているということだけは確かだ。
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