02. 2013年2月28日 02:00:57
: Zag6oDNMIo
【第10回】 2013年2月28日 吉川克彦 不確実性を許せるイギリス、許せない日本とドイツ グローバル社員の2大必修科目は「文化」と「制度」 日本人がイライラする鉄道と 安心する鉄道「次の駅は、プラットフォームが混雑していて危険なので、停車しません。次の駅は飛ばして、チャリング・クロス駅に停車します」 これは、私が2010年にロンドンに留学していた際に、地下鉄の車内で耳にし、驚愕したアナウンスである。 ちなみに、ロンドンの地下鉄は、原則的に各駅停車である。にもかかわらず、ラッシュアワー時には混雑を理由に、突如駅を飛ばすことが日常的に行われている。そして、列車に乗る段階では、それを予想しようがないのだ……。 次に、別の国で聞いた、長距離列車の中でのアナウンスをご紹介しよう。 「大雪のため、列車が遅れて大変申し訳ありません。○○駅には×分遅れで△時△分に到着予定、○○駅には×分遅れで、△時△分に到着予定です。変更があった場合には、またアナウンスいたします」 お断りしておくが、これは日本での出来事ではない。 この国は、ドイツである。当時のヨーロッパは大雪で、空、陸の交通は大混乱しており、あらゆる交通機関がいつ復旧できるかさえ、発表できない状況であった。しかし、ドイツのケルンからブレーメンに向かう長距離列車では、整然と先の見通しをアップデートしつつ乗客に知らせ、列車が運行されていたのである。 この違いはいったい何なのだろうか。明らかに日本人にとっては、ドイツの鉄道のほうが性に合う。これくらいの確実性を、鉄道に期待したくなるし、それに慣れている。そしてイギリスの鉄道のあり方は、正直、性に会わない。慣れるまでは、私もかなりイライラしたものだ。 しかし一方で、ロンドンの人たちが自分たちの鉄道のありように不満を感じているかというと、どうもそうではない。地下鉄で駅を飛ばされても「アポイントに遅れるじゃないか!」とイライラしたり、慌ててメールを打ったりする人は、見当たらないのである。 「日本型マネジメント」が 上手くいく国といかない国の違い 実は、ビジネスの世界でも同じようなことが起こっている。私は5年ほど前に、当時コンサルティングをお手伝いしていた2社の企業の方から、「アメリカやイギリス、中国は、日本人赴任者がマネジメントに非常に苦労する。しかし、大陸ヨーロッパやASEAN諸国はマネジメントが行いやすい」というお話を、異口同音にうかがったことがあるのだ。 言い換えれば、日本型マネジメントがその国の人々の性に合う国と、合わない国がある、ということだ。 この話は、よく考えると不思議である。イギリスとドイツは海を挟んですぐ近くに位置しており、共にプロテスタントが主流の国である。日本と中国は、同じく海を挟んだ隣国であり、たとえば儒教など、様々な文化的交流を歴史的に持っている。むしろタイのほうが、よほど日本から見れば距離も離れているし、文字だって漢字とは似ても似つかないではないか。 しかしお客様は、日本のマネジメント手法は、タイとドイツでは比較的上手くいき、中国とイギリスでは機能しづらい、というのだ。これはいったい何なのだろうか。当時の私には、疑問でならなかった。 私は、この問題意識をきっかけに、2010年から1年間イギリスに留学し、大学院で異文化経営論や、国際比較人事論を学んだ。そして、このように「日本型マネジメントが通用しやすい国と、通用しにくい国がある」ことは、当たり前のことなのだ、と思うようになった。背景にあるのは、「文化」と「制度」の違いである。 経済を動かす2つの力 「文化」と「制度」 経済学者Oliver Williamsonは、2000年の論文において、「市場における効率的、効果的な経済活動や契約行為のあり方は、その市場に存在する“公式な制度(Formal Institutions)”と、“非公式な制度(Informal Institutions)”によって決まる」と述べている。 前者は、法律や規制など、市場参加者が従うべき明示的なルールのことを指し、後者は、慣行や文化、風習といった、暗黙的に従っているものを指す。つまり、彼の主張を私たちに馴染んだ表現で言い換えれば、「市場のあり方は制度や文化によって違う」ということだ。 もちろん、ここで言う市場には企業が従業員と雇用契約を結び、労働と対価を取引する「労働市場」も含まれる。では労働市場において、制度や文化の違いは、具体的にどのように影響するのだろうか。 労働市場の公式な制度の例としては、「解雇規制」が挙げられる。解雇が制限されている国(たとえば日本)と、許容されている国(たとえばアメリカ)では、企業がとる合理的な行動は大きく異なる。 前者においては、解雇が難しいため、採用時の評価は非常に慎重に行われる。また、解雇が少ないので、転職市場は育たず、企業内部を中心にキャリア形成が行われる。 人が辞めないため、企業は比較的、育成投資に積極的になる。個人の側も、転職市場が未成熟で、最初に就職する会社が重要なため、新卒での就職活動に懸命になるし、転職するよりも、社内で機会を探すことを優先するだろう。 一方、後者においては、業績の変動に応じた機動的な採用と解雇が行われる。景気が悪くなれば人を減らせる一方、それだけに、思い切った採用も行いやすいからだ。そのため、転職市場が発達しやすい。 一方、育成投資をしても、転職されてしまっては元も子もないため、企業は育成に及び腰になり、すでに経験やスキルを持つ人を外から採用するほうが好まれる。個人の側はと言えば、1つ1つの仕事でいかに学び、次の機会に活かすか、また、社内外を問わずいかに自分のキャリア形成上、有利な機会を見つけるか、に、強い関心を払うようになるだろう。 また、非公式制度≒「文化」の1つの側面としては、「集団主義 VS. 個人主義」が挙げられる。集団主義の社会では、人々は自分が属する集団の利害に関心を持ち、集団のゴールを皆で協働して達成することにモチベーションを抱きやすい。 一方、個人主義の社会では、人々は個人の利害に関心を持ち、自分のゴールを達成することにモチベーションを抱きやすい。 不確実性が平気なイギリスの職場、 それを許せない日本とドイツの職場 前者の文化の中では、たとえば、ジョブディスクリプション(職務記述書)を明確に記述する必要性は低いだろう。従業員は企業に帰属意識を持つ限り、組織の利益に関心を払い、自ら「三遊間のゴロ」を拾いに行く可能性が高いからだ。 逆に、「あなたの仕事の範囲はこうですよ」と明確にしないほうが、管理職にとっては便利かもしれない。 これに対し、後者の文化においては、個人の役割を明確にしておかないと、従業員、管理職双方にとって面倒が増える。たとえば、従業員にとっては、どこまでが評価される範囲かわからないので、「自分が正当に評価されないかもしれない」と心配になる。 また、管理職からすれば、職務として定義されておらず、評価や報酬の対象にならない仕事を従業員はやりたがらないため、期待する業務を明確に示しておくほうが、組織としても成果が出やすいのである。そう考えれば、ジョブディスクリプションを明確にしておくのは、至極当然の行動である。 このように、その国、社会における文化や制度のありようは、企業や従業員の振る舞いに大きく影響する。大雑把さを承知で簡略化して言えば、文化や制度が日本のものと大きく違えば、それだけ日本型のマネジメントは当てはまりにくい。 冒頭の鉄道の話に戻ると、ドイツと日本に共通するのは、「不確実性に対する許容度」がかなり低い、という文化的特性である。こうした社会の人々は、概してきっちり計画を立て、先を見通せることを好むし、組織においても、そうしたことができる管理職が好かれる傾向がある。 一方、イギリスは逆に、不確実性が平気な文化的特性があり、あまり細かく計画を立てるよりも、臨機応変に対応する管理職のほうが好まれる。 海外で苦労するマネジャーにとって 文化と制度は学ぶべき新たな教養科目 今日のグローバル化において、人材マネジメント、あるいは組織運営にかかわる人にとって、このような「文化」と「制度」について学ぶことは、「必修の教養科目」だと私は考える。 幸い、少ないながらも、研究者がこの分野に関する著作を発表、あるいは欧米の書籍を翻訳してくれている(ビジネスパーソン向けのものがほとんどなく、難解なものが多い点は残念ではあるが)。 たとえば制度に関しては、スタンフォード大学の青木昌彦氏の比較制度論に関する著作や、私の恩師David Marsden氏の雇用システムの多様性に関する著作、Peter A. Hall氏とDavid Soskice氏の資本主義の多様性に関する著作などが、示唆に富む。 また、文化論に関しては、この分野の創始者の1人、Geert Hofstede氏の著作がわかりやすいだろう。英語でチャレンジしてみようという方には、Trompenaars氏の著作をお勧めする。 海外赴任したマネジャーが「海外で苦労している」「現地の人材を活かし切れない」という話や、日本企業の人事の考え方が「労働市場と合わない」という話を聞く機会は多い。しかし、「困ったな……」で留まるのではなく、「なぜそうした問題が起きるのか」「どう対処すればいいのか」を考えるための武器が、我々には必要である。 日本企業がますます海外の市場に成長を依存するようになっていく中、文化や制度について知らないという状況では、もはや済まされなくなっている。そして、そうした教養を学ぶには、ただ、旅行や出張で外国を短期間訪れることでは足りないのだ。
【第2回】 2013年2月28日 大本 綾 デンマーク人は本当に幸せなのか? 住んで初めてわかった「幸福感」の違い デンマークというと、多くの日本人は「幸福大国」というイメージを持つかもしれない。しかし、本当にデンマーク人は幸せなのだろうか? デンマークに留学中の大本綾さんが、現地で彼らの生活や習慣、価値観についてインタビュー。すると、日本とは大きく異なる幸せの感じ方や、成功に対する考え方が見えてきた。デンマークでの気づきや学びをリアルタイムで書き記す「留学ルポ」連載、第2回。 幸福大国は本当? 世界一幸福の国として知られるデンマーク。充実した社会福祉制度のおかげで誰もが幸せに暮らしている姿は、日本のメディアで見覚えのある光景です。しかし、本当にみんな幸せなのでしょうか? その秘密を探ろうと、あるときデンマーク人の友人に話しかけました。「デンマークは世界一幸福の国で有名だけど……」と言うと、「デンマーク人は世界一幸せではないと思う。野心的でないから、失望することもないだけだよ。満足しているという言葉の方が合うかもしれない」と彼は言いました。 デンマークに実際に暮らしてみて彼の言葉に納得するところもあり、一方で幸福大国への期待が外れた気分です。そもそもデンマーク人にとっての幸せとは何でしょうか。何かを達成して初めて得られるものでしょうか。それとも身近にあって、気づくものでしょうか。 英レスター大学の調査、米国の調査期間ワールド・バリューズの幸福度ランキングでは、デンマークはトップです。(日本はそれぞれ90位と43位)。25%の高い消費税を払っていても、個人が負担する量がフェアであること、必要なときに必要なものを手に入れることができる、というのが主な理由で80%以上のデンマーク人は満足していると言われています。 高負担の代わりに医療費は無料、小学校から大学まで無料で教育を受けることができます。さらに、失業保険も4年間、現役時代の90%が保証されます。留学生の私でさえ、学生ビザを取得したら医療費は無料です。 その上、デンマーク第二の都市オーフスは、長寿者が元気と活力のある生活を送っている社会「ブルーゾーン」の研究で知られる、アメリカのダン・ベッドナー氏の調査で、地球上でもっとも幸せな4都市の内の1つとして紹介されています(他3都市は、シンガポール、メキシコのモンテレイ、アメリカのカリフォルニア州にあるサンルイスオビスポ)。 人口約31万人のオーフスにはアーティストや学生が多く住み、異なる宗教観を持つ人々が共存しています。住民たちの間で収入の差がそれほど大きくはないので、コミュニティーに属している感覚や皆平等であることが感じられるようです。また海にも近く、自然に触れる機会が多いところも特徴的です。 幸福大国に暮らす人が毎日気にしていること
幸福大国にある、地球上で最も幸せと言われる町に暮らして半年が経ちました。社会福祉制度のおかげで、満足のいく生活ができるのは納得がいきます。ただ、それだけではなく、デンマーク人の幸せとは、毎日工夫をして心地よい生活を送ることではないかと最近思うようになりました。 なぜなら特に11月以降は基本的に毎日曇り空で、気分も落ち込みぎみになりとても幸せな気分にはなれないからです。アメリカに同時期に留学中で、「Design School留学記」の著者であるイリノイ工科大学の佐宗邦威さんと共同で行った幸福に関する調査で、オーフスに住む20代の若者に、アンケートを実施しました。 毎日のルーティーンについて聞いてみるとこんな答えが返ってきます。 「毎朝、瞑想をしています。朝急がずに済むように、早く起きて時間を作れるようにしています。あといずれ私は死ぬんだ、と思い出すようにしていて、何が起きてもそれほど重要ではないと思うようにしています」 「週に2〜4回はダンスをしています。十分な睡眠をとり、あまり働きすぎないようにしています。いつも違うことをやろうとしています。例えば、家でテレビを見るのではなく、外に出て逆立ちをする練習をしたりするのです」 「ヨガとストレッチ。あとは、その日上手くいったことを3つ、感謝していることを3つ毎日書くこと。一年中海で泳ぐこと。友達と頻繁にディナーをしたり、楽しい会話をする場所を持つこと」 毎日健康に気を配り、余裕のある生活を心がけているようです。1日で多くのことを成し遂げるよりも、プライベートの時間を確保してリラックスすることを重視しています。
また、晴れれば、外で「え?」と目を疑うようなことをするのがオーフスの人の特徴です。 先日も町の真ん中で、バク転の練習をしている人々を見かけました。天候が悪い日が続いても、心はカラフルな毎日を過ごしているのです。 地球上で最も幸せな町に暮らす 住民の変わった習慣 オーフスを語る上で、Winter bathing club(ウィンターバスクラブ)の存在は欠かせません。町の中心から約2キロ離れた場所に位置する、メンバーシップ制のスイミングクラブです。誰でも年会費を払えば、夏の終わりから春にかけてスイミングを楽しむことができます。裸で海に飛び込んでサウナに入り、1度行ったらこれを何度も繰り返す。これがウィンターバスの楽しみ方です。 寒中水泳をする人は世界中にいますが、年齢、性別問わず水着も着ずに裸で泳ぎ、さらにそれが20代から30代の若者の間で流行っているのは、オーフスのユニークなところでしょう。 2日、3日に1度は通うというThe KaosPilotsの学生、ジェイコブさん(28歳)にウィンターバスの魅力を聞きました。「すがすがしい爽やかな気分になれます。気分がとても上がるときもあれば、疲れ果ててしまうこともあります。時間やその日の気分によって、違いますね。基本的には精神的に休憩できる場所で、ウィンターバスの後は気分も爽快です」 ウィンターバスクラブは1933年に始まり、今では6000人以上の人がメンバーシップを取得しています。スウェーデン人の友人も体験して「素晴らしい体験だった」というので、気になっていました。 それから週末に開かれたパーティーで仲良くなったある女性が「とっても特別な場所なの。一緒にいきましょう」、と誘ってくれました。勇気がいりましたが今しかできない体験をしてみようと、私も去年の10月に意を決していってみました。 ドキドキしながらウィンターバスクラブの扉をあけて中に入ると、5〜6人の老若男女がごく自然に裸になってスタスタそのあたりを歩いています。それだけでショッキングでしたが、とりあえず私も服を脱いで周りの人があまり見ていないのを確認しながら、急いで海に飛び込みました。 想像通り、やっぱり水が冷たくてゆっくり呼吸することもできません。とても長い間浸かることはできず、10秒程してすぐに上がりました。サウナに入ると15人程度の人がいて、すでに満員です。20代から60代くらいの男女がタオルも巻かずに、裸でなんともなしに静かに座っています。その光景は今まで見たことがなく、衝撃的でした。 またサウナで同じ学校の男性の友人にばったり会ってしまい、「ついに君もデンマーク人の仲間入りだな」と話しかけられます。「なんだか気まずいな……」と思いながら、空いている場所を見つけてとりあえず座りました。周りを見ると皆行儀よく座って、ぼーっと何か考え事をしているようです。小声で隣の人と話している人もいますが、基本的にとても静かな空間です。 サウナの四角い窓から見える、どこまでも続く青い海と空。裸で自然に振る舞うデンマーク人たち。その環境にいると、最初は強い違和感を感じたことも、もしかしたら大げさなことではないのかもしれない、とさえ思えてきます。 さて、初めてこの不思議な体験に連れて行ってくれた友人は実は、フィギュアスケートの元デンマーク女子代表のミケリーンさん(28歳)です。3歳からスケートを初め、2000年にはデンマークナショナルチャンピョンで優勝した輝かしい経験を持つ彼女。
現在は体の負傷が原因でプロの現場からは離れてしまいましたが、ウィンターバスには頻繁に通う価値があると言うので、その理由について聞いてみました。 「みんながニュートラルな状態でどんな肩書きも脱いでしまって、ここで会うところよ。裸になって隣に座るのは、お金持ちのビジネスマンや貧乏な学生、有名なシンガーかもしれない。でも最終的にはみんな生身の人間なの。ウィンターバスクラブにいくのは、生きていることを感じること、身体と精神にも健康な快感を得るため。何かを証明したり見せるためにそこに行くんじゃない。それはあなたの時間であって、体を駆けめぐる命を感じることなのよ」 物心がついた頃から、フィギュアスケート界の厳しい競争の中で過ごしてきたミケリーンさん。若さ、美しさ、名誉の素晴らしさも知っている彼女が、価値を感じるのは肩書を脱ぎ去った後に残るもの。それは皆、1人の人間であるという事実です。 他人と比べることで幸せを感じるのではなく、与えられた命は同じで自分自身の価値観で幸せを感じるのです。そんなことを感じたり考える時間を、オーフスの住民は日々の生活の中で意図的に作っています。また、寒い気候を逆に利用して特別な体験に変えてしまう、そんなデンマーク人の遊び心に幸せのヒントがあるのかもしれません。 幸福大国の国民の不思議 心地よい空間を作るのが上手なデンマーク人。基本的にいつも落ち着いているのですが、そんな彼らでも普段からとても気にしていることがあります。そこに気づいたのは、日常会話の些細なことからでした。 始めにおかしいなと思ったのは、彼らを褒めたときです。通常の会話で日本なら友達を褒めることはよくあることでしょう。アメリカに留学していたときは、自信を持っている人が多いので褒めると、とても嬉しそうにどうして上手くいったのか話してくれます。 ただし、デンマークではまったく違いました。先日、デンマーク人のチームメイトがリーダーシップをとって、チーム構築を行う上で大事なことを話し合う機会を作ってくれました。そこで学校が終わってから「素晴らしいリーダーシップだったね!」と声をかけたのですが、そんなに嬉しそうな顔もせずに「ありがとう」、の一言だけで会話が終わってしまったのです。 たまたまかと思っていたら、別の人とも同じようなことが起きました。それはまるで、褒めたら会話が途切れてしまうような不思議な感覚でした。一度疑われているのかと思い、「I mean it!(本当よ!)」と言ってもその思いがなかなか通じません。 また、こんなこともありました。あるときクリエイティブリーダーシップの授業を受けていたときのことです。「最高の自分を目指しなさい」と講師が言った途端、多くのデンマーク人の手があがりました。 ある女性は、「最高という言葉は、勝者と敗者を作ってしまうので問題ではないかと思う」、と言います。驚くほど過敏に反応するので、授業が終わって別のデンマーク人に聞いてみると、「ベストという言葉は好きじゃない。ストレスだもの。十分という言葉が好き。最高にはなりたくない」と言うのです。 日本では、「最高」という言葉は日常的によく使う言葉です。「最高を目指しなさい」と言われても、ある程度聞き慣れているので、過敏に反応する人はあまりいないでしょう。特に学歴社会だと、最高を目指すことが幸せにつながると考える人も多いと思います。 デンマーク人の不思議な行動には違和感を感じていました。ある日、仲の良いノルウェー人の友人が「最近どう?」と学校で話しかけてくれたので、思い切って気になることを打ち明けました。すると、彼があることを教えてくれたのです。 The Jante Lawの存在 「君がそういう風に感じたのは、Jante Law(ジャンテロウ)があるからだよ。北欧の人、特にデンマーク人はこれを気にしているんだ」。そう言って教えてくれたジャンテロウとは、1933年にデンマークのライターのアクセル・サンダモセ氏が考えたコンセプトです。デンマーク人なら誰もが一つや二つは覚えているそうです。 1. Don’t think that you are special. (自らを特別であると思うな) 2. Don’t think that you are of the same standing as us. (私たちと同等の地位であると思うな) 3. Don’t think that you are smarter than us. (私たちより賢いと思うな) 4. Don’t fancy yourself as being better than us. (私たちよりも優れていると思い上がるな) 5. Don’t think that you know more than us. (私たちよりも多くを知っていると思うな) 6. Don’t think that you are more important than us. (私たちよりも自らを重要であると思うな) 7. Don’t think that you are good at anything. (何かが得意であると思うな) 8. Don’t laugh at us. (私たちを笑うな) 9. Don’t think that anyone of us cares about you. (私たちの誰かがお前を気にかけていると思うな) 10. Don’t think that you can teach us anything. (私たちに何かを教えることができると思うな) 11. Don’t think that there is something we don’t know about you. (私たちがお前について知らないことがあると思うな) このジャンテロウについて多くのデンマーク人に「これを初めて聞いたときのことを教えてくれない?」と聞いても、誰も答えられる人はいません。日本人が礼儀正しさを大切にしていて、それが国民性であるように、デンマーク人にとってもジャンテロウの平等に価値をおくのは国民性だと言うのです。 平等に価値を置く国民の就職活動 褒め言葉や「最高」という言葉がジャンテロウのメンタリティーに反し、平等ではない懸念すべき状況を作ってしまうのであれば、時には自分が人よりも優れていると証明しなければいけない就職活動のときはどうなるのでしょうか。コペンハーゲンのメンタルクリニックで管理課長として仕事をしているトーラさん(30歳女性)に聞いてみました。 トーラさん デンマークで就職活動をするときにどうやって自分を売り込みますか?
「私はこの仕事にとても興味がある、と言うわ。それから有言実行で一生懸命働きますから、信じて下さいとね。あ、でもそれはきっと他の人も言うわね。あとはその組織が意識している問題について話すわね……」 (米国留学の経験から)アメリカでは「他の誰もやらなかったけど、私が一生懸命頑張ってプロジェクトの成功に導きました!」と自信満々に言う人が時々いますが、デンマークではどうですか? 「私たちはそんな風には絶対に言わないわ。そんなこと言ったら、きっとジャンテロウで、自分のことを考えすぎじゃないかしら、ちょっと落ち着きなさいよ、言う前に見せて、と言われるでしょうね。自分のことを売り込むのはとても大変なの。仕事を探しているときは苦労したわ。 他にもたくさん頭のいい人がこの仕事をほしがっているというのに、なぜ彼らが私を選ぶべきなのかってね。とても大変だったし、嫌いだった。友達もみんな嫌いって言ってたし、同じように苦労してたわ」 あなたにとっての成功とはなんですか? 「とても難しい質問ね。……幸せでいることだと思う。それって難しいことだから。どうやって幸せになるの?お金持ちで、世界一クールな仕事に就けるかもしれない。でも、幸せを感じられないなら、それは成功じゃない。成功と言えるのかもしれないけど、永遠に続くものではないし、いい人生を生きているとは言えないわ」 幸せの未来を描く デンマーク人の幸せは、国が与えてくれる安心できる環境がベースにありますが、それだけではありません。悪天候や寒い冬でも、ネガティブなところをポジティブに変えてしまう遊び心のある聡明さで、肩書では得られない幸せがあることを知っています。 ジャンテロウはデンマーク人の他人を気遣う心、落ち着いたエレガントな振る舞いを保つことにある程度貢献しています。一方で、ジャンテロウはデンマーク人が大きな夢を描いて、周りに伝えるときの行動の足枷になっていることが多いのではないかと思うのです。 私は野心を持ってデンマークにやってきました。だからこそ、成果を上げるためにベストを尽くそうと努力します。目標を高く掲げれば失望することもあり、上手くいかず悩んでしまうこともあります。 それでも達成できれば、たとえ一瞬の幸せかもしれませんが、周りに与えられるインパクトも大きいと思います。心の豊かさと野心の両方を持ち、周りの環境に左右されず、夢に向かって時に突き進む勇気を持っている。その姿が理想で、そんな人がこれから増えていくことが夢です。 地球上のどこにも完璧な国は存在しません。光があれば陰もあります。様々な異文化に触れてそれぞれの良いところを学び、自分なりの幸せのスタイルを築くことが大切だと実感しています。(第3回に続く)※3/29掲載予定です 大本綾(おおもと・あや)
1985年生まれ。立命館大学産業社会学部を卒業後、WPPグループの広告会社であるグレイワールドワイドに入社。大手消費材メーカーのブランド戦略、コミュニケーション開発に携わる。プライベートでは、TEDxTokyo yz、TEDxTokyoのイベント企画、運営に携わる。2012年4月にビル&メリンダ・ゲイツ財団とのパートナーシップによりベルリンで開催されたTEDxChangeのサテライトイベント、TEDxTokyoChangeではプロジェクトリーダーを務めた。デンマークのビジネスデザインスクール、The KaosPilotsに初の日本人留学生として受け入れられ、2012年8月から留学中。 ■連絡先 mail 9625909@facebook.com Facebook http://facebook.com/ayaomoto7 |