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チリの歌手、故ビクトル・ハラ氏の肖像写真を掲げ、死後36年を経てようやく実現した「葬儀」の会場に集まる市民=2009年12月、サンティアゴ(AFP=時事)
ベンセレーモス(Venceremos)は、チリの革命歌。1970年代、サルバドール・アジェンデ率いる人民連合のテーマソングとして歌われた。1971年クラウディオ・イトゥラ作詞・セルヒオ・オルテガ作曲。チリ・ヌエバ・カンシオンの代表的な曲の一つ。インティ・イリマニとキラパジュンという二つのグループの演奏で知られている。(WIKIPEDIAから)
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http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-05/2013010507_02_1.html
「しんぶん赤旗」 2013年1月5日(土)
歌手ビクトル・ハラ虐殺/元軍人を逮捕・裁判へ/チリ、40年ぶり真相解明期待
南米チリの首都サンティアゴの控訴裁判所はこのほど、1973年のピノチェト陸軍司令官によるクーデターとたたかった国民的人気歌手ビクトル・ハラの虐殺に関与したとして、元軍人8人に対する逮捕状を発行しました。警察は2日までに4人を逮捕。遺族らは同日会見し、裁判で虐殺の真相が40年ぶりに解明される可能性があるとして期待を表明しました。
報道によると、まだ逮捕されていない4人のうち、虐殺の主犯とされるペドロ・バリエントス氏は現在、米フロリダ州に住んでいます。チリのテレビ局は昨年5月放映の番組で「バリエントスは、ハラが質問に答えなかったことに激怒し、至近距離で彼を撃った」とする元軍人の証言を紹介していました。
遺族らは会見で、バリエントス氏の逮捕は真相解明に不可欠だと強調し、米国政府に対し同氏をチリ側に引き渡すよう求めました。チリ司法当局は2日、米国にバリエントス氏の身柄引き渡しを求める方針を明らかにしました。
ハラの妻、ジョアン・ターナー氏は同日、「元軍人らの裁判は真相解明の道を開き、犠牲者の遺族にとって希望になる」と強調。遺族の弁護士であるネルソン・カウコト氏は、事件から40年経過しても犯人を追及することについて「独裁の犯罪者は場所と時間をこえて訴追されなければならない。犯罪者が裁かれないと犠牲者は安心して眠れない」と語りました。
ビクトル・ハラは、チリ共産党幹部としてアジェンデ人民連合政府を支え、軍事クーデター直後に軍隊に拘束されました。クーデターに反対する活動家や市民が収容されたスタジアムで虐殺され、4日後に遺体で発見されました。拷問を受けても市民を励ます歌を歌い続けて抵抗したといいます。
2009年12月にはサンティアゴで、死後36年を経て公式の葬儀が行われ、政府の閣僚などが出席、数万人の市民が集まりました。(島田峰隆)
チリの軍事クーデター 米国の支援を受けたピノチェト陸軍司令官が1973年9月、選挙を通じて誕生したアジェンデ人民連合政府をクーデターで倒し、軍事独裁政権をつくった事件。90年の民政移管までの弾圧で約3200人が死亡もしくは行方不明になりました。2011年までの調査によると、拷問や投獄などの被害者総数は4万人を超えます。
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