http://www.asyura2.com/12/kokusai7/msg/244.html
Tweet |
http://rockway.blog.shinobi.jp/
12月18日
★ 14日にアメリカのコネティカット州のニュータウンのサンディフック小学校で起きた銃乱射事件が、どうも仕組まれた事件の様相を示し始めたようだ。仕組んだ方の狙いは、「銃規制」である。銃があるからこのような犯罪が可能なのだから、銃を規制せよ、という主張である。
下記の記事でヘンリー・メイコウは、この事件がイリュミナティによって仕組まれた、としている。「自殺」した犯人は、別の襲撃者らによって殺されたようだ、という。二人の逃げていく男がいて、どうも警察は彼らを逮捕しているようだが、表だったニュースにはなっていない。
アメリカには2億丁の銃があると言われている。アメリカ独立以来、銃はアメリカ人であれば合法的に所持できる。憲法で保障されているという。
★ ところがアメリカを支配したがっている存在にとっては、この銃が邪魔である。なんとかしてこの銃を取り締まりたい。それで、今回のような銃乱射事件を時々起こして、銃規制を実現したい、と図っているというわけだ。
もしも、彼らの狙い通り「銃規制」が実現したらアメリカは内乱状態になるかもしれない。アメリカ人にとっては銃は自由と直接結びついている存在だから、銃を取り上げられるということは、即、自由を失う、ということを意味するからだ。そして、それはまさにその通りなのだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●二人の射殺犯が逮捕された!
http://www.henrymakow.com/whos-really-to-blame-for-school-hooting.html
【12月17日 by Henry Makow Ph.D.】
ニュータウンの学校射殺事件は9・11自作自演劇の様相を呈し始めた。これはまさに銃規制のための9・11の始まりである。恐らくはあの9月11日同時多発テロを仕組んだ者たちによって成されたのであろう。これが彼らの手口なのだ。いつまでアメリカ人はこのようなポグロム(虐殺)を許すのであろうか?
現地の警察が送ったテープには、教師の一人が二人の射殺犯が逃げるのを目撃したというレポートがある。
ジョージ・フレウンドによれば、「この学校の職員らは、あのお人よしの死を報告している。彼は逃げていったこの二人の男たちによって殺されたに違いない。彼らは恐らくは襲撃チームだろう」
「警察はショットガンを発見していることを報告している。ライフル銃、ショットガン、二丁の拳銃を、それにそれぞれの弾薬をどうやって二つの手で持ち、あんなに多くの人間を殺せるというのか。明らかに一人ではなかったはずだ」
「二人の人間が逃げていっている。警察は彼らを拘束したようだ。誰かが勾留されている。犯人と言われている射撃者は死体で見つかった。
別の射撃者の存在は射殺犯であるアダム・ランザ(20)がマスクをかぶり、防弾チョッキを身につけ軍用作業着を着ていた理由を説明している。そうすることで彼はほかの射撃犯と見分けが付かないようにしていたのだ。彼が自殺するつもりだったならば、彼は変装する必要はなかったであろう。
9・11の時オサマ・ビン・ラディンが即座に非難されたように、今回仕立て上げられた犯人は銃器である。銃規制を求める大合唱の声は、バラク・オバマとニューヨーク市のブルームバーグ市長やダイアン・フェインステインのような彼のイリュミナティ・ユダヤハンドラーに届いている。ホフポストのようなイリュミナティ・ユダヤの代弁者らは激怒している。
9・11の時のように、今回の襲撃を本当は誰がやったのかということを我々は忘れやすい。
犯人の兄であるライアン・ランザ(24)は、アダムは精神的障害を持っていたと語っている。かれはアスペルガー症候群を持っていた。隣人たちは彼のことを「自閉症」と呼んでいた。アダムがどんな薬を飲んでいたかを知ろうという声がどうして上がらないのか? 心理的薬物治療禁止を要請する声がどうして起きないのか? アスペルガー患者の拡大されたモニタリングへの要請の声は? アダムがビデオゲームで遊んでいたことに対する問題点は? こういったものを禁止する声が上がったことがあっただろうか?
アダムは崩壊した家庭の産物なのだ。彼の両親は2009年に離婚した。彼の父親は家を出て再婚した。彼の兄は二年間アダムを見ていない。結婚を支援し家庭を支援せよという要請の声を上げてもいいのではないか?
友人の一人はアダムのことを、「ゴート人(野蛮人)」と表現していた。ゴート人は悪魔主義者(サタニスト)であり、あのような殺戮を堪能するかもしれない者たちだ。ゴート・ミュージックや彼らの行動様式を禁止する要請をしてもいいではないか?
殺戮事件を大げさに報道するメディアに対する規制はどうだろうか? 模倣する者たちが出る可能性があるのだから。
昨日ヘルマンド地方で27名の兵士が待ち伏せ攻撃を受け殺害されたとしたら、そのことを知るだろうか?
(2001年以来、1827の星条旗に包まれた棺おけがアフガンからアメリカに送られてきた。負傷者数は15460名になる)
1991年から2009年まで、星条旗に包まれた棺おけを撮影することが禁止されていた。なぜか? 軍事的敗退の報道と棺おけの写真は士気に悪いからだ。
学校殺戮事件もまた士気に悪い。国民的士気のことだ。
しかし、それがポイントである。イリュミナティは士気をくじき堕落させたいのだ。彼らは我々を無防備にさせたがっている。彼らはTSA型の検問所をいたるところに設置したいし連邦支配を強化したいのである。
それで、彼らは本当の射撃犯である何十億ドルものドラッグ産業、ゴートの悪魔主義あるいはマスメディアの狂騒を非難する代わりに、銃器を非難しているのである。
もしも教師らが武装していたら、彼らは子供たちを守ってあげられたかもしれない。イスラエルでは誰もが武装し戦いに備えている。
我々の指導者らはイスラエルを愛しているのだから、もっと銃器を要求すればよいのだ。無くすのではなく。
アメリカ人は防御が必要だ−イリュミナティにのっとられた自分たちの政府から身を守るために。
この癌のことをカバリズム(フリーメーソンと組織されたユダヤ人)と呼び、そいつは社会の主要な組織に食い込んでしまっているのだ。
◆アメリカの銃規制は可能なのだろうか?・・「財政の崖」を乗り切るより難しい「コミュニティの壁」!
http://blog.livedoor.jp/fromvancouver/archives/52306659.html
アメリカコネチカット州で起きた小学校銃乱射事件。日本は選挙直前ということもあり、ニュースが小さい扱いでしたが海外ではきわめて大きく、そしてクリスマスを前にあまりにも悲劇的な事件として大きく取り上げられました。
アメリカでは何度も何度も同じような事件がおきているにもかかわらず銃規制が進む気配はありません。
なぜなのか、その原点について考えてみたいと思います。
まず、今回の事件を受けてオバマ大統領は氏の大統領就任以来4度目の銃を使った大量殺人に対して「全権力を使う」と宣言し、本気でその規制に立ち向かう姿勢を見せています。ただし、銃規制が過去、クリントン政権のときに時限立法として成立し、ブッシュ政権の際に失効している経緯からすると憶測ですが、うまくいったとしても似たような形の規制にとどまるのではないかという気がしております。
ではなぜアメリカ人は懲りないのか、ということをずっと考えていたのですが、これは銃はアメリカの歴史である、という前提に立ってみると案外解明しやすいバックグラウンドのような気がします。アメリカの歴史は銃を使った戦争が常について回りました。南北戦争でもインディアンとの争いも第二次世界大戦も朝鮮戦争もベトナム戦争もすべて銃があっての戦争でした。
アメリカ映画では子供向けSF映画を含め銃やそれに類するものが必要不可欠のアイテムのごとく題材に使われています。これはとりもなおさず、アメリカ人すべてにおいて銃が非常に身近なものであるし、一般家庭にも常備薬のように備え付けられている現実を考えればいまさら銃のない生活は裸で喧嘩に立ち向かうようなもの、ということになるのでしょう。
では日本の歴史において喧嘩する武器は何だったでしょうか?刀です。そして今でもNHKの大河ドラマを始め、さまざまなシーンで刀を使って戦いをするところを日本人は普通に見続けています。結果として日本人は護身として刀に似たナイフを持つことが一時、話題となりました。今でも社会面で見かける殺人事件はナイフや包丁を使ったものが非常に多いわけで、銃はもともと手に入りにくいということよりも日本人の歴史になじんでいないように見受けられます。
ではアメリカの隣国であるカナダはどうかといえばカナダ統計局によると銃による殺人事件は2011年は過去50年間で最低となったとのことです。あるいは世界で起きた銃による大量殺人について過去50年間でみると25件のうち15件がアメリカで起きているとのことです。(バンクーバーサン紙より)つまり、銃の問題はアメリカ独自の問題であると考えてもおかしくはないのです。
★しかし、人類の歴史の中で銃はヨーロッパなどでも大きな影響があったはずですがアメリカに比べれば圧倒的に少ないのはなぜでしょうか?これは社会学者や専門の方が説明できると思うのですが、欧州はコミュニティの結びつきがより強く共同体形態であるのに対してアメリカは個人主義が強く、信じるものは自分である、というスタンスが押し出されすぎているように思えます。個人主義ゆえに自己防衛機能が働き、結果として護身の武器が必要である、ということになるのでしょう。
なぜ個人主義かといえば、努力するものは報われる、そして強いものはより強く、という根本思想が介在しているとみてもよいのではないでしょうか?
アメリカで銃規制は財政の崖を乗り切るより難しいことにみえるのは政治家同士の決着のレベルではなく、国民に広く浸透したアメリカのバックグラウンドであるためです。アメリカはこの悲劇を「二度と起こすまい」という気持ちよりも「また起きてしまった」という言葉に置き換えているような気すらします。
★そしてこのような事件が起きれば起きるほど銃規制は余計難しくなるというのが現実ではないかと思います。これは病めるアメリカが治癒できない難病に陥っているといっても過言ではないと思います。
アメリカは目を覚ますのでしょうか?
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。