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日本に恋してやまないウラジオストック
極東ロシアを豊かにするために不可欠な日露友好関係
2012年11月22日(Thu) 菅原 信夫
9月初めにアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議(サミット)の舞台となったウラジオストックが今後、どのように発展していくのか、我々ロシアビジネス関係者の間でも見解は大きく分かれている。
そんな関心と問題意識を持って、筆者は先月(2012年10月)本年3回目の現地出張を行ったので、その際仕入れた情報も加え、ウラジオストックの問題を報告する。
どぶに捨てられたAPEC用の資金4億7000万ドル
9月のAPEC首脳会議に間に合わせるべく、最後は突貫工事で完成したウラジオストック新空港。APEC期間中は警備のため一般人の使用は禁止された
11月14日号の「The Moscow Times」紙に、こんな記事が掲載された。
「APEC用資金4億7000万ドル(約380億円)が無駄に〜国家会計検査院指摘」
記事によると、2008年から2012年にかけてAPEC施設建設用として政府から提供された資金のうち、施設がAPECに間に合わなかったために、150億ルーブル(4億7000万ドル)が無駄となってしまった」というのである。
さらに検査院によると、APEC関連67施設のうち、9月1日までに稼働可能となったものはわずか23施設で、APEC施設を管轄する役所でまともなコスト見積もりを取ったり、正式な建設許可を取ったものは1つもなかったとの指摘がされている。
その代表例として、会議場の建設されたルースキー島のごみ処理施設、2つの5スター級ホテル、そしてオペラ劇場が挙げられている。とてつもない突貫工事だったことをうかがわせる指摘である。
開業1年前なのに槌音は全く聞こえず
指摘を受けた2つの5スター級ホテル、とはハイアットグループが運営を請け負うハイアットリージェンシー・ウラジオストックホテルとハイアットホテル・ブルニーである。
思い返すと、韓国との合弁企業が運営する「ホテル現代」以外、大型都市ホテルのないウラジオストックに、APEC首脳会議のためとはいえ突如発表されたハイアットホテル建設計画に、度肝を抜かれたのは筆者だけではあるまい。
驚きの理由は、まずそのタイミングであった。
シカゴにあるハイアットホテルズ本社から、ウラジオストックの2物件に関して運営を受託する契約が整った、という発表があったのが2011年9月のことであった。
一般的にホテル運営契約というのは、物件がその姿を現実に現し、完成予定が見えてから調印されることが多いので、その意味であれば、APEC首脳会議の予定される2012年9月の1年前、というタイミングは妥当である。
しかし、その頃、現地を見ていた筆者には、その1年後にホテルがオープンする、とはとても想像ができなかった。要するに、現場にはホテルらしき建築物はなかったのである。
以来、筆者はこのプロジェクトの行方に多大な関心を持つことになる。すると、極東の抱えるいろいろな問題が見えてきたのである。
このホテルプロジェクトのプロジェクトオーナーであり、経営母体となるのは「ナッシュ・ドム・プリモリエ(我々の家は沿海地)」という企業である。
この会社は国有地、国有物件の管理会社で、沿海地方政府が株式の100%を握る国策企業として2002年に創立された。
本来であれば、国有資産を安全に管理運用することが最大の務めのはずだが、ウラジーミル・プーチン政権の極東開発プログラムが2007年末に発表されてから、会社の性格が大きく変わってしまい、民間企業では二の足を踏むような事業を自ら手がける会社になってしまう。
ナッシュ・ドム新社長になったマリーナ・ロマキーナ氏
金角湾を渡る斜張橋の夜明け。斜張橋は吊り橋の一種であるが、メーンケーブルとハンガーロープのないものを言う
そして、その究極が、ロシア政府の都市部カジノ閉鎖令を受けての沿海地方カジノ建設構想と、ウラジオストック市5スターホテル建設計画であった。
カジノはウラジオストック市から車で40分ほど北上した場所にある林の中、そしてホテルは金角湾とアムール湾にある臨海の埋め立て地。ともに国有地である。
2010年、APEC横浜会議が終了し、次回ウラジオストック開催への日数が気になり始めた頃、マリーナ・ロマーキナ氏がナッシュ・ドムの新社長に就任する。
ここで、マリーナ・ロマーキナという女性について、興味を覚えたので調べてみた。
1973年、ダリネゴルスクという沿海地方の北部、ウラジオストックから400キロほどの距離にある小さな町(人口3万7000人)で生まれ、最終学歴はウラジオストックにある極東国立大学卒。
彼女の強みは経理の勉強をしたこと。ロシアの企業で経理主任を務めるのは例外なく女性であり、支払用伝票にしても代表者署名とともに経理主任署名がなければ資金を動かすことはできず、代表者は解雇できても経理主任は辞めさせられない、とはロシア企業でよく言われることである。
その後、彼女は露韓合弁の「ホテル現代」の経理主任となる。ここでロシア型ホテル経営をつぶさに経験したであろうことは想像に難くない。
2010年、彼女は議会からナッシュ・ドムの代表取締役に指名され、APEC用ホテル計画を主導することになる。
ロシア型ホテル経営というのはソ連型ホテル経営を引き継ぐもので、西側のホテル経営とはかなり様子を異にする。簡単な例を挙げると、ロシアのホテルには宿泊部門はあっても料飲部門というのはない。
別会社が食堂を経営し、ホテルは場所貸しをして家賃を取るだけ。従い、宿泊客はホテルの食堂で食事をしても、その伝票を部屋づけすることはできない。こんなソ連時代の経営方式が21世紀の現代まで、田舎のホテルでは綿々と受け継がれている。
高級ホテルを2つも同時に経営することに対して、ロマーキナ氏は沿海地方議会で何度もその採算性を質問されている。彼女はそのたびに「営業上の機密」という言葉で逃げているが、すでにその段階で採算性などは無視されていたであろうことは明白である。
採算を度外視した官製プロジェクト
APEC会場を優雅に散歩する牛たち。一部をAPEC首脳会議に使用した極東連邦大学の施設はまだ建設中。周りは放牧地で、牛が所々で草を食んでいた。完成まで一体どれくらい時間がかかるのか、誰も知らないと言っていた
そもそもこのホテル計画は、先述のロシア政府極東開発プログラムで投下される巨額の資金を受けるべく計画された一連の工作の一部であって、初めから採算性など度外視してスタートした官製プロジェクトなのである。
このような途方もないプロジェクトは、しかし、2012年3月にダリキン沿海地方知事がドミトリー・メドベージェフ大統領(当時)の圧力で辞任するあたりから雲行きが怪しくなる。
そして、本年6月、筆者がウラジオストックで2つのホテル建設現場を見たところ、建設はほぼストップしていた。
そして、先月、ロマーキナ氏は特段の理由も発表されない中でナッシュ・ドムの代表取締役を辞任、沿海地方議会は彼女の後任として、極東連邦大学副学長職にあったイゴーリ・バトゥーリン氏を選ぶのである。
さて、ここで登場するイゴーリ・バトゥーリン氏であるが、彼に関するデータは次のようなものである。
1959年、ウクライナ東部ドネツク州エナキエボ市生まれ、1981年モスクワ冶金大学卒、一貫して冶金分野での研究、指導を行う。ロシア連邦教育科学省勤務を経て、2010年極東連邦大学副学長を拝命。85以上の著作物あり。
この短い経歴からだけでも、海運の現場からのし上がったダリキン元知事や、ホテル現代での実体験豊かなロマーキナ氏とはかなり異なる背景の持ち主であることが分かり、ちょっと爽やかなイメージが湧く。
だが、バトゥーリン氏が教育界から実業界に転ずるのは、どうやらまたしてもロシアの縁故人事によるところが大きそうだ。
ダリキン元知事のあと、メドベージェフ大統領はミクルシェフスキー極東連邦大学学長を州知事に指名した。このミクルシェフスキー氏とモスクワ冶金大学で共に学んだ同年輩のクラスメートが、このバトゥーリン氏なのである。
モスクワ冶金大学、連邦教育科学省、極東連邦大学と常に2人は同じ職場を経験してきた。そして、ミクルシェフスキー氏が沿海地方知事となった今、その資産を管理する企業のトップを信頼の置ける同僚バトゥーリン氏に委ねた、というのが真相だろう。
随分ホテルの話から離れてしまった。今回の出張中、筆者はその話題のホテルの支配人を訪ね、今後の計画について聞いてみた。
ドバイのハイアットから移駐してきたというカディエラ氏は、ブルニーは来年3月末、リージェンシーは来年8月末の開業予定であることを教えてくれた。当初の計画に比べ、まさに1年遅れ、ということになる。
「知事の交代もあり、本件は官製企業が経営するにはあまりに巨大、複雑という意見があり、民間への売却も取り沙汰されていると聞くが・・・」と話を向けると、彼は「自分は経営主体が誰であるか全く関心がない。契約相手のためにホテルの運用をスムーズに行うのが自分の仕事」とにべもない。
ロシアの極東全体を覆う基本的な問題点
空港とルースキー島を結ぶ新道路。この道路のおかげで、空港から40分でAPEC会場に到着できる。道路には、来訪する各国関係者にアピールするためか、アムールタイガー保護を訴える広告が英語で出ていた。道路が良くなると車は速度を出すため、「ウラジオストックの車の約9割を占める日本の中古車も高年式が増えてきた」とは、現地代理店の話
そして、「開業後の宴会予約が好調で、開業後半年はすでに埋まってしまっていて、自分の仕事は予約申し込みを断ること」と笑みを浮かべる。
彼は「建築現場を見ることはほとんどない」と言う。確かに、現場を見ると来年3月の宴会予約を笑顔で取ることはできないのではないか。しかし、彼を心配させても何も事態が改善するわけでもないと思い、面談を終えた。
極東開発という大テーマから考えたとき、今回取り上げたホテル計画は小さなプロジェクトに過ぎない。
しかし、こんな小さなプロジェクトさえうまくいかず、結局APEC首脳会議に間に合わないという結果を生んでしまった理由を考えると、極東全体を覆う基本的な問題点が見えてくる。
また、その問題を日本が一緒に参加し、行動することで解決することができるのではないか、そんな観点からここにまとめをしてみたいと思う。
ホテル計画から見たロシア極東開発に関する問題点
1.人材不足
この問題がすべて、と言えるほど人材に窮している。モスクワ・サンクトペテルブルク首都圏在住の優秀な人材は、絶対極東に移住することはない。
極東に生まれた成績優秀者はロシア西部に移動、あるいは外国留学を経て極東を離れてしまう。かくして、極東に残る人々の中で人材を見つけることは大変難しくなる。
さらに、ソ連時代、大量に移住してきたウクライナの人々も、今や別の国となってしまったロシア極東、沿海地方に来ることはなくなった。近隣のアジア人で最大の人口を誇るのはもちろん中国人であるが、現在ロシアは彼らを入国させることに大変神経質になっている。中国に人材を求めることなどあり得ない。
現在、増えているのは中央アジアの国民であるが、それもあくまでも労働力として。人材、という観点では本当に不足している。
2.縁故人事
ロシアにおける縁故人事の歴史は極めて古い。民主主義を標榜する現代ロシアにおいても、プーチン大統領とメドベージェフ首相の関係に見られるように、縁故あるいは情実と思われる任官が簡単に行われ、また国民もそれに対して大きな反対を唱えることはない。
しかし、最近ではこのような社会に対する国民の疑問がかなり公にされ始めたことは進歩であろう。ただしロシア極東においては、人材不足を補うため縁故人事に頼らざるを得ない部分があり、これがますます若い世代の極東離れを招いているということが言える。
3.外省人
建設中のハイアットホテル・ブルニー。これは本年6月の写真だが、9月のAPECに間に合わすことはもうあきらめたのか、工事関係者の姿はまったくなかった。ところで、対岸の日本で地震でも起こった場合、ここまで津波が来ることはないのだろうか
ロシアを語る用語に「外省人」という用語はないが、理解を簡単にするために台湾で使われる外省人という表現を使用させていただく。
今回、ハイアットホテル計画でご紹介したマリーナ・ロマーキナ氏やダリキン元知事が沿海地方生まれの内省人とすると、それ以降の方々は沿海地方外で生まれ、成人後、沿海地方に来られた外省人である。
バトゥーリン氏はウクライナ東部ドネツク州エナキエボ市生まれ、ミクルシェフスキー氏はエカテリンブルク生まれと、沿海地方要人には民官を問わず外省人が多い。
彼らの人生計画には沿海地方に定着する予定はなく、一定期間沿海地方で仕事をし、蓄財したのちには、出身地あるいはモスクワ・サンクトペテルブルクなど首都圏、あるいは海外への移住を考える場合がほとんどである。
大変申し訳ない言い方になるが、外省人に郷土愛はなくウラジオストックへの執着は見られないため、稼げるだけ稼いでトンずらする、という生活態度になる。
また企業経営者には、ウクライナから当地に移住された人たちやその子孫が非常に多く、さらに、この地で成功したのちカナダなど海外に移住する人も多い。自分の郷土を愛す、というのが郷土をより良くする条件の1つだとすると、そもそも沿海地方にはその条件が欠けている。
4.ロシア型経営
近代経営をモスクワのビジネススクールで学んだ秀才が卒業後就職した地方の企業で使いものにならず、1カ月でモスクワに戻ってしまう、という冗談話は珍しくない。
特に沿海地方はソ連時代の経営管理スタイルの影響が強く、その分西側の経営スタイルを取り入れることが難しい。
経営管理の根幹は商業活動の数的把握と記録にあり、表面的なビジネス習慣を西側風にしたところで、西側で言うところの近代経営に通ずるわけではない。
従い、ロシアでも会計原則の見直し、帳簿システムの改変などが不可欠となるが、これは税制とも絡み、納税システムに影響が及ぶため、個々の企業で改革を行うことは難しい。
こういう状態でハイアットがホテル運営を受託したわけだが、どのように日々の業務を行っていくのか、他人事ながら興味が尽きない。
最近、我が国ではロシアを見る際に新興国という縛りをするがゆえに、その奥に70年以上にわたって強固に続いてきたソ連型経営というものを忘れがちである。
ロシアで使用されデファクト化している経営管理ソフト1Cは、実はこのソ連型経理処理をベースにしてプログラムしたものである。従い、理念の異なる日本本社のシステムとロシア工場のシステムを繋ぎ自動処理をするためには、大変な苦労をすることになる。
5.貧弱すぎるインフラ
10月のウラジオストック滞在中、低気圧の通過による豪雨に見舞われた。車で移動中であったが、低地で渋滞に巻き込まれていた。
雨が降り始めて10分もすると、道という道から濁流が我々のいる低地に流れ込み、車はあっという間にタイヤが見えなくなってしまった。その増水の速さ、勢いはちょっと日本国内では想像できない体験であった。
運転手は「これだから日本製SUV以外、この土地では使えないのさ」と言って我々を喜ばせたが、考えてみると、これは町の雨水処理が全くなっていないことを示していて、でこぼこ道も含め道路インフラの整備を本気でやらねば街を安心して歩けない。
また、建物はほとんどが1991年のソ連崩壊までに建設されたソ連型建設物で、ソ連崩壊後これらを廉価で手に入れた企業、個人は、外部はそのまま内部に金をかけて、それなりに快適な建物に変えている。
しかし、これを維持する限り都市計画は不可能で、街を近代化することはできない。町に魅力がなく美しさがない。
こんなことも動機の1つとなって、日本に留学を志し、そのまま日本で就職をしているウラジオストック出身のロシア人青年は東京にどんどん増えているのである。
日本からの支援と協力の可能性
ロシア政府、日本政府両サイドが思考を大転換しない限り、このウラジオストックの土地が極東における商業活動の基地になるとはとても考えられない。それほど問題点は頑固で解決しがたい。
しかし、ロシア政府が極東地区、沿海地方地区の再生の鍵は教育にある、という見解を持っているようなふしもあり、それゆえに、ダリキン元知事の後釜にシロビキ組を据えずに、あえて極東連邦大学の学長を迎えたのは、大英断と言えよう。
幸い、ミクルシェフスキー知事は知日派でもあり、すでに日本人の知己も多いと聞く。
ウラジオストックを中心とする沿海地方と我が国との定期的な協議を経て、新空港やウラジオストック港を含む港湾、道路などの公共インフラを管理運営する共同企業を設立し、日本の管理技術、経営技術をロシアが学ぶような機会は作れないものであろうか。
また、大きく増えた会議施設もフルに利用し、成田から1時間半の距離にあるウラジオストックをもっと利用できないものだろうか。そして、日本の頭脳をロシア極東の開発に提供しつつ、日本は1920年代に現存した「極東共和国」の再現をロシア政府とともに考える。
そのためには、ロシア入国96時間は査証フリーとする、程度のロシア側の譲歩も必要である。APECの終わったルースキー島の立派な施設を牛の散歩に使うのは、あまりにもったいないと思うのである。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36578
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