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311の大地震(東北地方太平洋沖地震)がマグニチュード9を超えていることから富士山噴火の危険性が指摘されている。
東海地震が切迫していると言われだしてすでに数十年が過ぎたが、東海地震と富士山噴火の関係を簡単にまとめてみた。
結論から言うと、富士山噴火は東海地震と必ずしも同期していないということだ。理由は東海地震のマグニチュードが9まで行かないということかも知れないが、3連動地震の場合は全体でマグニチュード9に行くこともあると思え、単純にマグニチュードで比較はできず、地殻の構造などいろいろな要素を考えて判断しないと行けないということだろう。
ともかく、貞観地震の時は東海地震が三連動し、富士山噴火も起こっているので、近い将来富士山噴火するだろうし、東海地震も起こると思う。そして、最も大きな問題は浜岡原発だ。地面が数メートル跳ね上がったということで、それに浜岡原発が耐えることができるとは思えない。
富士山噴火の歴史は次のリンクから:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E3%81%AE%E5%99%B4%E7%81%AB%E5%8F%B2
東海地震の歴史は次のリンクから:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E5%9C%B0%E9%9C%87
*東海地震と富士山噴火が同期したもの:(基本的に30年以内)
1.864年の富士山噴火と887年8月22日(8月26日)(仁和3年) 仁和地震(東海 東南海 南海連動?) M8.0-8.5
2.1083年の富士山噴火と1096年の永長地震(東海 東南海連動) M8.0-8.5、そして、1112年の伊豆七島の噴火
3.1181年か1182年の富士山崩壊と1200年前後の地震
4.1331年の富士山周辺での地震と崩壊と1360年11月13日〜1361年7月26日の正平(康安)地震(東南海 南海連動?) M81/4-8.5
5.1707年10月28日(宝永4年) 宝永地震(東海 東南海 南海連動) M8.6 とその49日後の宝永大噴火
6.1854年の安政東海地震(東海 東南海連動) M8.4と富士山の異常(8合目付近に多数の火)
東海地震:
684年11月26日(11月29日)(天武13年) 白鳳地震(東海 東南海 南海連動?) M8
887年8月22日(8月26日)(仁和3年) 仁和地震(東海 東南海 南海連動?) M8.0-8.5
1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年) 永長地震(東海 東南海連動) M8.0-8.5
1200年前後の数十年間
南海地震が発生した可能性がある(1185年または1233年)。東南海地震の発生は不明だが、静岡市上土遺跡の鎌倉時代の地割れや正断層痕が東海地震に相当する。
1331年8月11日(8月19日)(元弘元年)、駿河における地震が東海地震に関連が深いとする説もある。
1360年11月13日(11月21日)(正平15年、延文6年)〜1361年7月26日(8月3日)(正平16年、康安元年) 正平(康安)地震(東南海 南海連動?) M81/4-8.5
1498年9月11日(9月20日)(明応7年) 明応地震(東海 東南海連動) M8.2-8.4
。
1605年2月3日(慶長9年) 慶長地震(東海 東南海 南海連動?) M7.9
1707年10月28日(宝永4年) 宝永地震(東海 東南海 南海連動) M8.6
1854年12月23日(嘉永7年) 安政東海地震(東海 東南海連動) M8.4
富士山噴火:
864年(貞観6年)
貞観大噴火 864年6月〜866年初頭にかけて活動青木ヶ原溶岩を形成した噴火で、山頂から北西斜面約10Kmの(現在の長尾山)から大量の溶岩流出とスコリア噴火とを起こす。
「剗の海(せのうみ)」は富士北麓にあった広大な湖の名だが、この時の溶岩流により埋め立てられ、水面の大半を失った。埋め立てを免れた西端部、東端部はのちに精進湖、西湖として知られた。流れ出た溶岩は一帯を広く覆い、「青木ヶ原溶岩」を形成した、その後この溶岩の上には新たに森林が形成され、現在では「青木ヶ原樹海」の通り名で知られている。この貞観大噴火は、貞観地震の5年前に起きた。
937年(承平7年)
噴火。
現在の河口湖と富士吉田市の間にあった「御舟湖」を埋め、剣丸尾第1溶岩を噴出させた噴火とされる。
「日本紀略」の記述では承平7年旧暦11月某日の条に、
甲斐国言、駿河国富士山神火埋水海
1083年 噴火
1707年
12月16日(宝永4年)旧暦11月23日 宝永大噴火
大量のスコリアと火山灰を噴出。この噴火は日本最大級の地震である宝永地震の49日後に始まり、江戸市中まで大量の火山灰を降下させる等特徴的な噴火であった。
1854年 (嘉永7年・安政元年)
安政東海地震発生。直後、富士の山頂に異様な黒雲がかかり、8合目付近に多数の火が上がる様が眺められたという。
2012年 (平成24年)
2月10日 富士山3合目(山頂の北西約6km)の山腹で僅かな噴気を確認したが、4月と5月の現地調査では湯気、温度の異常、硫黄臭は認められず。
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