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巨大地震、こうすれば被害を減らせる 対策進めば半減も (朝日新聞) 
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/754.html
投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 3 月 19 日 18:02:00: igsppGRN/E9PQ
 

巨大地震、こうすれば被害を減らせる 対策進めば半減も
http://www.asahi.com/national/update/0318/TKY201303180300.html
2013年3月18日23時19分 朝日新聞


 【編集委員・黒沢大陸】十分な対策を講じれば、被害は減らせる――。南海トラフ巨大地震で最悪220兆3千億円の経済被害が出ると発表した国の有識者会議は、防災・減災対策が進めば半分近い118兆3千億円になるとした試算も出した。

 最も効果が大きいと指摘したのは、建物の耐震化と火災対策。現状で79%の耐震化率が100%に向上▽地震時、電熱器のスイッチが切れる装置の完備――といった対策がとられれば、119兆1千億円と想定した住宅や工場などの民間の建物被害を51兆1千億円まで減らせるとしている。

 さらに、工場の設備など民間の財産被害も29兆2千億円から12兆4千億円、電気やガス、通信施設などの被害は9千億円から6千億円にすることができるという。防潮堤の整備のほか、軟らかい地盤が流動する液状化への対策で、さらに被害が減らせるとしている。

 耐震化や火災対策の徹底に加え、津波からの迅速な避難、家具の転倒や落下物を防ぐ手立てが十分にとられていた場合、死傷者の発生や工場・店舗の被災で下がる生産力と販売への被害も減少。企業が事業継続計画(BCP)を作ったり、部品や製品の供給・物流拠点を複数にしたりしていれば、復旧や復興も早く進んで経済被害を抑えることができると呼びかけた。

     ◇

■入院患者15万人、治療難しくなる恐れ

 【土肥修一】医療機関への被害も深刻だ。最大で入院患者15万人、外来患者14万人の治療が難しくなると想定された。断水や停電で、震度6強以上の地域は医療機能の6割、それ以外の地域も3割がダウン。入院患者の5割で転院が必要になると仮定し、計算した。

 道路の被害や交通渋滞で患者の搬送にも支障が出る。医薬品が不足し、「相当数の人工透析患者が受け入れ可能な施設への移動を余儀なくされる」とした。

 被害を減らそうと、各地では対策を急いでいる。和歌山県は昨年11月、患者を大阪などに空路で搬送することを想定し、陸上自衛隊などと合同訓練をした。4月には、交通が遮断されても医薬品不足が起きないよう、県内8カ所の病院と、あらかじめ分散させて備蓄する協定を結んだ。

 県立医科大付属病院の加藤正哉・高度救命救急センター長は「海に近い医療機関もあり、互いにカバーしないと対応できない」。

 厚生労働省によると、震災時に中心的な役割を担う災害拠点病院は全国で653カ所(昨年4月1日現在)。厚労省研究班の2011年度の調査では、回答した約500カ所のうち4割は、地震や津波などの被害が出かねないと自治体が予測している地域内に建てられていた。

 災害拠点病院11カ所中、6カ所が浸水地域にある徳島県。昨年11月、災害拠点病院が被災したと想定し、周辺に「災害医療支援病院」を独自に指定した。県は「実際の災害で機能するよう、訓練などを重ねていきたい」と話す。

     ◇

■金融システムへの打撃、懸念

 岡崎哲二・東京大教授(経済史)の話 今回の想定は建物などの資産が破壊される直接被害を169兆円としたが、数値化できない項目も多く、推計の下限値だ。この額は国内総生産(GDP)の約3分の1で、比率は関東大震災と同じくらいだ。だが今の日本は成熟社会。成長力は小さく、南海トラフ巨大地震が起きれば予測できないほど影響が広がるだろう。

 被災するのは製造業を支える太平0洋沿岸。企業に金を貸していた金融機関が担保を失って巨額の不良債権が発生し、バブル直後の状況を大規模にした金融システムのショックも懸念される。

 被災後の再建が難しいだけに、被害をできる限り減らす政策が必要だ。

     ◇

■思考停止は禁物、あきらめず対策を

 防災・危機管理ジャーナリストの渡辺実さんの話 220兆円はとてつもない規模だが、対策を講じる自治体の防災担当者や企業経営者らが「もうお手上げ」と思考停止してしまっては本末転倒だ。今回の想定は参考データととらえ、あきらめずにこれまで進めてきた防災対策の強化に粛々と取り組むべきだ。

 日本が地震の活動期に入り、災害のリスクが高まりつつあるのは間違いない。私たち市民もできることから備えを急ごう。家の耐震化、家具の固定、迅速な避難、少なくとも1週間分の水と食べ物の備蓄……。東日本大震災以上の揺れと津波が来ると思い、日ごろから高台に逃げる訓練を積み重ねてほしい。


 

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コメント
 
01. 2013年3月19日 20:08:04 : NrnWIa4XYo
何故か高台への移転の話が全く出て来ないのが不思議ですね。
高台、内陸の平坦か、ごく緩やかな傾斜の土地にある平屋の耐震建物ならかなりの地震が頻発しても気分的に非常に楽で、災害でガスが止まっても庭に置いた薪ストーブで煮炊きや湯沸しが十分できます。後は携帯やラジオなどの電気は手回し発電、ソーラー、自動車の発電でどうにかなるし、車の中で暖もとれます。
津波避難ビルはあまり同感できません。
鉄筋、鉄骨コンクリートの寿命が約50年で地震が頻発したり塩害が腐食に作用すれば更に寿命は縮まります。更に津波危険エリアは液状化のリスクも大きく、建物自体が傾くかそれを防止するのは膨大は杭打ちなどの地盤対策が必要でそれも巨大地震で想定外にどうなるのかはわかりません。
寿命50年とは、1000年で最低20回、更に地震や津波で建替えが必要な場合更に建替えが必要になります。
そして躯体以外の設備は寿命が10年〜20年と言うものが殆ど、そしてエネルギーを食います。
その度に予算を国に面倒見てもらうか税収でなんとかするつもりなのでしょうか?
標高30mの高台か内陸なら一度作れば30mの部分までは基本的に維持費はあまりかかりません。年数が経つ程、地盤は固まって安定して来る場合が多いです。
1000年で二十数回分の建替え費と膨大な維持費、これを節約できる高台移転派の自治体には敢えて住もうとする若い人もいるかも知れませんが、津波避難ビルのみで何とかしようとする自治体からは逃げだす住民もいると個人的には思います。
ただ津波避難ビルが有効なのは、海洋レジャーなどで集客力を維持できるようにする効果とかではないでしょうか。これなら既設のホテルやマンションなどに補助をして耐震、耐力補強などをして、その代わり津波避難時に避難者に利用させると言うようにしておけば、「いざとなれば逃げる場所はある」と言う安心感で観光、レジャー客の減りは少なくなるかも知れません。

02. 2013年3月19日 22:36:52 : xEBOc6ttRg

>高台への移転の話が全く出て来ないのが不思議

実際、全員が移転できる用地があるわけではないし、自己責任で行うべきものでもあるので

死亡リスクへの第一次対策としては、避難の徹底の方が行政として優先度が高いからでは?


>津波避難ビルはあまり同感できません。

用途を津波避難のみではなく、緊急物資備蓄、漁業支援や沿岸インフラ整備基地など他の用途もある複合ビルにする方が良いでしょうね



03. 2013年3月20日 17:58:29 : NrnWIa4XYo
01です。
仮に住居の移転を行うのにもどこからを移転対象にするかの線引きが自治体レベルでは難しいようです。
ただ自治体の立場でどうだとか、国の自治体の立場でどうだとか、個人の自己責任でどうだとか、そう言う小さい事に制約されていると国家的危機は打破できない、と思います。
この危機を乗り切るにはザックリ言うとこうです。
住居、幼稚園、保育園、小学校などの学校、その他必要なものは基本的に高台に移転すべき。
造成の時に出た大量に土は津波危険の高い地域の土塁(幅、高さ共に数十メートル)に使う。それは例えば各分野で日本での主な生産拠点である千葉、磐田、名古屋、四日市、大阪他の工場の津波防御の土塁に使っても良いし、地元の町の防御に使っても良いです。
造成は大規模であれば例えば発破工法(つまりダイナマイトで小刻みに山を吹き飛ばす事になります。無論、安全を十分考慮して専門技術者が国家の管理の下で行うのですが)で行えてコストがかなり安く済みます。
高台の造成をしたらついでに花粉を撒き散らす杉も大量に伐採されて杉花粉の問題もいくらかはマシになります。例えば太平洋側なら南西、南、南東からの風については花粉が都市部に拡散される分は少しでも防げます。
住居移転、日本の生産拠点の防御、津波防止の土塁造り、花粉対策、これらを省庁や自治体、個人、企業でバラバラに個別で行っていると膨大なコストがかかりますが、上記のやり方で総合的に行えば遥かに安くつきます。
それと土塁であればコンクリートの堤防に比べ地震でポッキリ折れる事は少ないし、コンクリートの寿命50年毎の作り変えのような事はは殆ど不要です。
1000年単位で考えて施工費、維持費(運転、点検、修理、エネルギー費)でどう違うか良く考える必要があると思います。

04. 2013年3月22日 01:52:42 : 5FidTbXBPE

【第8回】 2013年3月22日 池上正樹 [ジャーナリスト]
2000年前には宮城に100メートル級の津波!?
震災を警告した歴史学者が予見する「次の巨大津波」
「未曾有の自然災害」と言われた2011年の東日本大震災。しかし、その16年も前に、宮城県石巻市から仙台平野、福島県いわき市にかけての太平洋沿岸に今回の巨大津波が襲来することを予言し、警告していた人がいる。

 宮城県に住む歴史学者で、3月に『解き明かされる日本最古の歴史津波』(島影社)を上梓した飯沼勇義氏だ。

 同書によると、仙台平野には<宮城県沖と、その周辺の海溝型地震の震源地が連動して起こった>とされる巨大地震によって、西暦996年までの約1200年間に7回の大津波が押し寄せていたという。また、歴史上の空白の一部が歴史研究を通じて明らかになってきたことから、飯沼氏は、その後も200年ごとに大津波が繰り返していた事実を発掘した。

 しかし、1793年の「寛政津波」については、<1793年〜1796年がまったくの空白>であり、<飢饉災害として処理された>と記述。1995年、飯沼氏は『仙台平野の歴史津波〜巨大津波が仙台平野を襲う〜』(現在は復刻版=本田印刷)を出版し、「寛政津波」から200年を経て、再び大津波は襲来すると、16年も前に予言していた。

 さらに驚いたことに、飯沼氏は前年の94年、当時の浅野史郎宮城県知事、藤井黎仙台市長に陳情書を提出し、仙台市や石巻市などの沿岸部一帯に、「津波防災上の様々な対策の早急な実施」を要望。当時の東北大学の津波工学や、東京大学地震研究所の専門家、行政などに対し、同書計400冊ほどを無償で配布したという。しかし、こうした警告が、地元の防災対策に反映されることはなかった。

歪められた「津波の歴史」
地形や言い伝えなどから“歴史の真実”に迫る

「歪められた津波の歴史に対する認識によって、宮城県だけでも1万人以上もの犠牲者を出した。やはり日本人は、歴史を精査する立場で、物事を見たり考えたりする思考力ができていなかったんだと思うんです」

 小・中・高校の教師、幼稚園長などを務めた飯沼氏は、これまで40年以上にわたり、地形の特徴や住民の間に残る伝承などから真実にアプローチしていくという手法で、宮城県を中心にした沿岸部の歴史津波を調べてきた。

「それまでの地震学者や歴史学者が提唱してきたのは、証拠書類となる古文書を中心に、物事を見たり考えたりすることです。もちろん古文書はあったほうがいい。しかし、古文書だけで、本当の日本の歴史や、いままでの流れを掌握することは難しいのです」

 飯沼氏は、これまでも津波は何回も押し寄せていて、そのたびに地形は変わっていると指摘する。実際、今回の震災でも、水田などのあった土地が海になったり、干潟になったり、湿地帯になったりしている。

「(地形が変わったという)その部分に対しての証拠は何もない。それをどのように解説するかという思考能力は、これまで学校教育でも教えられてこなかった。これからは現地を見て、なぜこういう地形になったのかを考えることが重要です。例えば、伊達正宗の貞山運河は、干潟と干潟をつないだもの。点と点の干潟をつなげば運河になる。こういう考え方を、学校の先生方が教えることは難しいのです」(飯沼氏)

 例えば、宮城県名取地方の愛島、笠島丘陵地帯には、5世紀頃、300基以上の古墳が造られた。それらの古墳が、この時期に造られた理由を探っていくと、遡ってその40〜50年前に、愛島、笠島丘陵下まで津波が来たことがわかるという。

「(海水によって)塩分があると、農作物はできない。元の状況に戻るまでには、弱酸性か中性の土壌になることが必要で、40年から50年くらいかかる。そのために、人が住めない不毛の地となりますが、40〜50年後には良質なコメを栽培できる土壌になるのです」(飯沼氏)

 今回の震災でも、遺族たちから「ここには津波が来たことがないので、来るとは思わなかった…」という話をよく聞く。実際、宮城県内を調べてみると、例えば、北上川河口の大川地区のように、明治三陸津波が来たという記録の残っていない地域がいくつかある。

「(記録にないからと言って)ここは津波が来ていないから安全だという判断はできません。明治三陸津波より古い時代から、何回も津波は来ている。そして、繰り返される津波によって地形が変わっています。もっと遡った歴史津波を検証もしないで、(昭和三陸以降の)直近の津波の歴史を見て、(津波が来るか・来ないかを)判断するのは問題があります」(飯沼氏)

福島・岩沼沖で巨大津波を発生させる!?
「アウターライズ地震」の危険性

 そんな飯沼氏がいま、「最も怖い」と心配しているのが「アウターライズ地震」だ。

 しかし、誰も根拠を示せていないとして、飯沼氏は、地蔵森山と千貫山の2つの伝説から、この「アウターライズ地震」を紐解く。

「アウターライズ地震」とは、東北の太平洋側約200キロにも及ぶ日本海溝の外側で発生する地震のこと(東日本大震災は海溝の内側)。震源地が陸地からは離れているため、陸地での揺れは小さいものの、津波は大規模なものになりやすいという。

「福島・岩沼(宮城県南部)沖のアウターライズは、2000年近く動いていない空白域の地震帯です。東日本大震災より大きなマグニチュード9以上の揺れと巨大津波が予想され、福島県から仙台平野にかけて、大きな被害を受けるでしょう。前回起きたのは、西暦95年の『東北太平洋沿岸津波』のときで、仙台平野は大崎の辺りまで、壮大な運河のようになったとの記述があります。倭の国は(仙台平野の内陸が津波で海となったため)、旧阿武隈川河口から船で内陸へ進出する絶好の機会となりました。いまの大崎市と石巻市の間に大きな運河があって、倭の国の船が行ったり来たりしていたとの記述もあります」(飯沼氏)

 アウターライズ地震については、福島・岩沼沖では地震が起きておらず空白域になっていること以外、いつ来るのかといった周期性などは何もわかっていない。今後、有人潜水調査船「しんかい」の調査などによる回避が難しければ、西暦95年の東北太平洋沿岸津波から「教訓を学ぶしか予防方法がない」と飯沼氏はいう。

 福島県相馬郡新地町の地蔵森という標高350メートルほどの山には、新地の海岸から打ち上げられた津波が御神体を乗せた舟を山頂付近まで運んだという言い伝えがある。しかし、この地蔵森伝説は、福島県の東海岸地方で、昔から知られていた。元々、人々を救うことができる地蔵尊だったため、津波の恐ろしさを地蔵森の山に託して、後世に伝えたと言われている。

 また、宮城県岩沼市の千貫山では、標高50メートルほどの山腹まで津波が駆け上がったことがわかった。千貫山一帯の麓は、縄文時代から弥生時代にかけて海岸線で、山の中腹に千貫神社があったという。

 こうしたことから、飯沼氏は「2つの伝説に共通する津波の巨大性を考察すると、古代に、福島沖と岩沼沖を震源とする地震が連動して起こった。岩沼の海岸での津波の高さは100メートルを超えたと思われる」と推測する。

「地蔵森山も千貫山も、同じ整合性のある津波ということになれば、2つの津波伝説は信ぴょう性があるのです。津波伝説にも10のうち1つは必ず真実がある。それを解明するのが、我々の役割です」(飯沼氏)

地震学と歴史学の融合によって
子どもたちに「津波の危険性」を伝えよ

 そんな宮城の歴史学者の飯沼氏から紹介された東京大学史料編纂所の保立道久教授は、中世の地震や噴火を研究している数少ない歴史学者の1人だ。保立教授は2012年8月、過去の埋もれた地震や噴火との関わりを紹介した『歴史の中の大地動乱――奈良・平安の地震と天皇』(岩波書店)を出版した。

 保立教授は、歴史家サイドからというより、地震学者の側から、すでにこの問題が提起されていたと指摘する。

「佐竹健治先生(東京大学地震研究所)ら地震学者たちから、石巻平野にも東日本大震災とほぼ同じ規模で浸水していた様子が2010年までに論文でまとめられていたことは、大変ショックな話でした。1980年代末以降、地質学の箕浦幸治先生(東北大学理学研究科)が、869年の貞観津波の痕跡を調査された論文を出し、産業技術総合研究所の活断層地震研究センターが、石巻から仙台平野全体、福島原発の北にかけて、海岸から5キロほど津波の運んだ砂層が来ていることを確認しています」

 それまで、石巻以南の平野部には、大きな津波はないという思い込みがあった。これだけの論文や物証が出ていて、国でも公的な議論が始まっていただけに、それらが発表されていれば、とくに学校や教育現場に伝わっていれば、少しは違っていただろうという。

「これらの成果は、東北の歴史学者の間には伝わっていました。しかし、東北では歴史学者は2003年の宮城県北部地震の被災をうけた歴史資料のレスキューで精一杯やっていましたが、保全資料は江戸期のものですから、慶長の大津波以降の分析が中心になるのはやむをえませんでした。歴史学者が、職務をかけてやってきたのは事実ですけど、とくに全国の歴史学者となると、事態を現実感を持って判断して必要な研究をするのに立ち後れがあったのは事実だと思います」

 とくに、歴史学については、8〜9世紀の地震や津波、噴火についての専門的な研究者がいなかったという。

「歴史学の中に専門論文が1本もなかったという状態でした。ですから、それに比べて、地震学はよくやっていたと思います。彼らはマグニチュード9の地震の予測ができなかったと言うわけですけど、歴史学の研究者としては申し訳なく思っています。社会にきちんと伝え、教育の中にきちんと持ち込み、議論をするところまではイニシアチブが取れなかったのです」

 保立教授によれば、明治以降、1000人以上の犠牲者が出た地震だけでも12回あったという。歴史学者としてはそうした「災害史研究を深めて、説得力のある叙述をすることが第一」だと指摘する。

 また、自然科学と一緒になって、自然史の研究の必要性も訴える。

「地震と噴火は、日本の国土の最大の特徴です。日本の文化の中に、自然の猛威がどのように位置づけられているのかを正確に復元して、伝えていかなければいけない」

 そのうえで、保立教授は、教育の体系を変えていくことの必要性を説く。とくに、(プレートが変動しているという)プレートテクトニクスは、小学校教育で教えなければいけないという。

 実際、この国は、噴火によって大地が造られ、海流や大気のあり方も含めて、水の豊かな独特な島国である。

「とくに東北は、豊かな大漁場の1つであり、最大のメリットであると同時に、何度も大津波が起きていることを知っていれば、何メートル逃げればいいかという問題ではなくなる。絶対的な地球の動きなのだから、どんどん逃げなければいけないことを科学的な知識として、子どもたちは持つことができるはずなのです」

 大津波を発生させる可能性のあるプレート型の海洋地震のうち、もう一方の地震発生帯の南海トラフは、「100年に1度」確実に動くという。

「巨大な岩盤や海底火山の場所など、地球物理学的に地下構造を分析していくと、紀伊半島の前後でフィリピン海プレートが曲がっていて、先に東海地震が起きると、南海地震が続くのがいままでの例です。そうした先端の研究は、日本の文化や歴史に直結した問題。貞観津波のあった9世紀はどういう社会だったのか。飯沼先生がいうように、祇園社が京都にできて、この頃から始まったのも、明らかに地震と関係があると思う。その両方を子どものときから知っておくことが大事なのです」

 地学教育はここ20年くらい、無視され続けていて、教科書も授業時間も少なくなっていたという。

 しかし、日本で防災を考える上でも、学術的な知識と知恵と、日本がどういう国土なのかということについて、教えていく必要がある。

 これからは、学会と学校が連携して、オープンに教材を考え、地震に関する最先端の研究と日本の文化・歴史を小学校などの現場で教えることで、子どもたちに津波の“危険性”を伝えていかなければならない。
http://diamond.jp/articles/print/33634


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