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http://bousai.tenki.jp/bousai/earthquake/earthquake_center_ranking
の「震源地ごとの地震発生回数」を見て、伊方原発に関係のありそうな震源域でのこの数年の地震回数を数えてみた。
和歌山県寄りから「紀伊水道」、「徳島県北部」、「瀬戸内海中部」、「伊予灘」の4つの震源域だ。2013年は3月16日までの集計。
「紀伊水道」
2009年 15回
2010年 18回
2011年 24回
2012年 9回
2013年 4回
合計70回
「徳島県北部」
2009年 1回
2010年 5回
2011年 4回
2012年 6回
2013年 1回
合計17回
「瀬戸内海中部」
2009年 2回
2010年 0回
2011年 1回
2012年 2回
2013年 2回
合計7回
「伊予灘」
2009年 6回
2010年 8回
2011年 3回
2012年 11回
2013年 2回
合計30回
以上のデータをどう解釈するかはかなり難しい。
紀伊水道へは311の地震で東北地方が東へ移動したことの影響があるはずで、それが2011年の地震回数増加につながっているはずだ。または、2010年からその予兆が出ていたと言ってもいいかもしれない。
もう一つ変動が激しいのが伊予灘で、2011年がたったの3回だ。これもやはり東からの西へ押す力が弱まったからと言えるかも知れない。
もうひとつ、紀伊水道で1月2月の合計が今年は3回だ。これは2009年からの5年間で最も多い。と言っても1回とか2回と比べてのことだからまだ誤差の範囲だ。
ちなみにおまけで日向灘を集計してみると次のようになった。
「日向灘」
2009年 17回
2010年 6回
2011年 20回
2012年 19回
2013年 6回
合計68回
中央構造線の関西部分は主にフィリピン海プレートとアムールプレート(ユーラシアプレートの一部を構成するマイクロプレート)の境界部分に並行してある。
伊予灘での地震としては次のようなものがある。
1596年9月1日、愛媛の中央構造線・川上断層セグメント内(震源については諸説ある)で慶長伊予地震(慶長伊予国地震)(M 7.0)が発生。3日後の9月4日には、豊予海峡を挟んで対岸の大分で慶長豊後地震(別府湾地震)(M 7.0〜7.8)が発生。 豊後地震の震源とされる別府湾−日出生断層帯は、中央構造線と連続あるいは交差している可能性がある[2]。さらにその翌日の9月5日、これらの地震に誘発されたと考えられる慶長伏見地震(慶長伏見大地震)(M 7.0〜7.1)が京都で発生[3]。有馬−高槻断層帯、或いは六甲−淡路断層帯における地震とみられる[4]。
1649年(慶安2年)3月13日 伊予灘 - M 7.0
1979年(昭和54年)7月13日 伊予灘 - M 6.1
伊方原発は1号炉が1973年建設開始、1977年運転開始
2号炉がそれぞれ1978年と1982年
3号炉が1986年と1994年だ。
なお、慶長伊予地震が起こったのは、次に挙げるように大型の地震が次から次へと怒っていた時期。
1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8〜8.1(それ以上の可能性あり、あるいはM8クラスの地震が3つ以上同じ日に立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の巨大地震の同日発生の可能性がある。少なくとも養老断層(愛知県)、阿寺断層(岐阜県)の2つの断層の活動(いずれもM8クラスか)の可能性が高い。さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントでのM8クラス地震が同日に少なくとも3つ以上発生した可能性が高い。[注 7]。
1596年・・以下の3つは連動型地震の可能性がある。
9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震)- M 7.0、寺社倒壊等。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。
9月4日(文禄5年閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M 7.0〜7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだとされている。大分県を走る別府・万年山断層帯での正断層型地震と考えられている。
9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震) - M 7.0〜7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島〜神戸〜大阪北を走る六甲・淡路島断層帯での地震と考えられている。
1605年2月3日(慶長9年12月16日)慶長地震(東海・東南海・南海連動型地震) - M 7.9〜8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。死者1万〜2万人と推定されるが、津波以外の被害はほとんどなかった。
12月2日(慶長16年10月28日) 慶長三陸地震 - M 8.1。十勝・根室沖のM9クラスとする説がある。一方,東北地方太平洋側[注 9]で繰り返し発生していると推定されるM9クラスの地震の候補ともされる[25]。大津波による死者約2,000〜5,000人。
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1605年の慶長三陸地震を2011年の311の地震とみなすと、同じ年である1605年に起こった慶長地震(東海・東南海・南海連動型地震)や1596年の慶長伊予地震、そして、1586年の天正地震などは近い将来起こることが予測されるはずだ。
ともかく、「紀伊水道」、「徳島県北部」、「瀬戸内海中部」、「伊予灘」のどこをとっても地震の回数はかなり変動しているので、変動の傾向を見ることはしてもいいはず。
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