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アメリカ東部での地震が起こる可能性
1995年の阪神大震災と2011年の東北地方太平洋沖地震と同じような関係の地震が次に挙げるように16世紀末から17世紀初めに起こっている。
1596年9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震) - M 7.0〜7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島〜神戸〜大阪北を走る六甲・淡路島断層帯での地震と考えられている。
1611年12月2日(慶長16年10月28日) 慶長三陸地震 - M 8.1。十勝・根室沖のM9クラスとする説がある。一方,東北地方太平洋側[注 9]で繰り返し発生していると推定されるM9クラスの地震の候補ともされる[25]。大津波による死者約2,000〜5,000人。
そして、この時期、アメリカのニューヨーク周辺でも、1638年とか1661年、1663年などに地震が起こっている。もっとも、これは上に述べた日本の地震とは数十年のずれがある。しかし、アメリカ東部にイギリスなどから移民が始まったのが1600年代の後半であり、それ以前は文字記録がそもそも残らなかったので、この時期にもっと早く大きな地震があった可能性はある。
どちらにしても、マグニチュード9の地震が2004年にスマトラ島沖で起き、2011年に日本で起こった結果、アメリカ東部でもかなりの大きさの地震が起こる確率がかなり高まったということは言えるのだと思う。
http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/states/new_york/history.php
NewYork
Earthquake History
Strong earthquakes in 1638, 1661, 1663, and 1732 in the St. Lawrence Valley and a shock near Newbury, Massachusetts, in 1727 were felt in New York before the first notable tremor centered within the State was recorded.
http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/states/vermont/history.php
Vermont
Earthquake History
A violent earthquake, probably centered in the St. Lawrence Valley, was felt throughout the New England area on June 11, 1638. Other strong shocks on April 14, 1658, February 10, 1661, February 5, 1663, September 16, 1732, November 29, 1783, and October 17, 1860, were felt over broad portions of the region.
http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/states/maine/history.php
Maine
Earthquake History
As early as June 11, 1638, a strong earthquake in the St. Lawrence Valley region, near Trois Rivieres, Quebec, was reported felt throughout all the English plantations. Another shock from the same area, in 1663, was felt over all of eastern Canada and the northeastern United States.
なお、次の天正地震とか慶長伊予地震、慶長地震、寛文近江・若狭地震などが若狭湾の原発群や伊方原発などを直撃したり、何らかの影響を与える可能性がかなり高いはず。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8〜8.1(それ以上の可能性あり、あるいはM8クラスの地震が3つ以上同じ日に立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の巨大地震の同日発生の可能性がある。少なくとも養老断層(愛知県)、阿寺断層(岐阜県)の2つの断層の活動(いずれもM8クラスか)の可能性が高い。さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントでのM8クラス地震が同日に少なくとも3つ以上発生した可能性が高い。[注 7]。
9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震)- M 7.0、寺社倒壊等。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。
9月4日(文禄5年閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M 7.0〜7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだとされている。大分県を走る別府・万年山断層帯での正断層型地震と考えられている。
9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震) - M 7.0〜7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島〜神戸〜大阪北を走る六甲・淡路島断層帯での地震と考えられている。
17世紀 [編集]
1605年2月3日(慶長9年12月16日)慶長地震(東海・東南海・南海連動型地震) - M 7.9〜8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。死者1万〜2万人と推定されるが、津波以外の被害はほとんどなかった。
1611年
12月2日(慶長16年10月28日) 慶長三陸地震 - M 8.1。十勝・根室沖のM9クラスとする説がある。一方,東北地方太平洋側[注 9]で繰り返し発生していると推定されるM9クラスの地震の候補ともされる[25]。大津波による死者約2,000〜5,000人。
1614年11月26日 (慶長19年10月25日) 高田領大地震 - M 7.7。震源は直江津沖。震域は会津、伊豆、紀伊、山城、松山諸国まで及んだ。越後高田藩では地震と津波により死者多数とする記録もあるが疑わしい[43]、京都で寺社・民家が多数壊れ[44]死者も出たことから、震源が京都沖の局所的な地震とする見解もある[45]。
1662年
6月16日(寛文2年5月1日) 寛文近江・若狭地震(畿内・丹後・東海西部地震、寛文の琵琶湖西岸地震、近江・山城地震) - M 7.3〜7.6、死者数千人。京都の大仏殿小破。小浜で城の櫓・多門・石垣・蔵の破壊。
10月31日(寛文2年9月20日) 外所地震(日向・大隅地震) - M 7.6、死者多数。
*6月8日の記事「近づく戦争・テロ社会、これらの動きを止めるべきでは?」から一連番号を付しています。<<1344>>TC:38490, BC:20049
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