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(Japanese mayor fights for his quake-hit community : DW English)
http://www.dw.de/japanese-mayor-fights-for-his-quake-hit-community/a-16547617
災害
日本の市長が地震に襲われた街のために闘っている
日本の東北沿岸の街々は、生涯の記憶で最悪の日本を襲った自然災害が発生した日を思い出す準備を始めたが、街が再び自立できるよう政府に援助を求めている市長がいる。
戸羽太氏はこの2年間にかなりのことを通り抜けてきたが、持ちこたえているようだ。おそらく、街が苦境にあるから、彼は心の奥に、妻クミと734人の他の陸前高田の街の住民の命を、2011年3月11日の地震と、それが引き起こした津波が奪ったのだという思いを、抱くことができているのだろう。
戸羽氏は現在48歳。岩手県にあるこの街の市長に就任してから、1カ月も経たないうちにあの日を迎え、約20,000人の命を奪い、数百kmの海岸線沿いにおよそ想像できないような規模の荒廃を引き起こした災害に、突如立ち向かうことになった。
戸羽太氏は2年近く、日本政府に支援を求め続けている
しかし、その運命の日がまた近づくにつれ、戸羽氏は、自分がいらだちと怒りを増しつつあることに気づく。
「私は2月6日に当選し、2月13日に就任したが、あの荒廃した有様を見たとき、私は人生で初めて本当に無力だと感じた」と、彼は語った。
波が周囲を嘗め尽くすと、戸羽氏は職員とともに市役所での避難を余儀なくされた。翌朝、彼らは比較的安全な、街を取り囲む山々に逃げることができた。
「その時点で妻はまだ行方不明だったが、私には街全体を見るという市長としての責任があったので、妻を捜すことができなかった」と、彼は語った。「私は市長として正しいことをしたが、1人の人間として、妻を捜しに出られなかったことは非常に心残りだ。」
災害の大きさ
日が経つにつれ、街を襲った災害の大きさがだんだん判ってきた。死者の多さと同様に、街の中心にある約3,300〜8,000軒の家屋も波によって破壊された。
戸羽氏が見渡す限り、街は、ねじ曲がった鉄、ひっくり返った車、亡くなった生命の残骸の山と化していた。ボロボロの瓦礫が石油と混じった臭い、タイヤが燃える臭い、そして死体の臭いは、ほとんど耐え難かった。
「それでも、時間が経てば状況は好転し、1年か2年で多かれ少なかれ物事は元通りになると、私たちは考えた。」
「しかし、私たちはいま2年目を迎えようとしているが、率直に言って、全てにおいて復興の取り組みはあまり進んでいない。」
戸羽氏の話では、街の住民はいまなお瓦礫の山に囲まれており、津波で壊れた公共施設の多くは、まだ解体できていない。
3月11日の津波で、海岸線の多くが破壊された
「私と同じような未来への絶望感を、被災者の多くも抱いている」と、彼は語った。「復興がこれほどまで遅れている理由はいくつかあるが、最大の問題は政府の考え方だ。」
「上辺では、政治家たちは私たちに非常に協力的で、この『かつてない災害』について語り、東北の人々が立ち直るのを支援するために、いかに結束して取り組むべきかを語る」と、彼は語った。「その言葉は美しいが、彼らはほとんど全く現実に関わろうとしない。」
形式的なお役所仕事や間違った対応の実例は夥しく、腹立たしく思えると、戸羽氏は説明した。
官僚的失策
被災者に食糧を供給するために新しいスーパーを建てたいとの請願は、そこは農地の地目であるという理由で却下された。大量に必要とされるガソリンを供給するある省は、自衛隊の部隊がガソリンを運搬することを、それは別の省の所管になるからと許可しなかった。家を失った人々が住む緊急の住宅団地を建築するよう、木を伐採して丘を均すために必要な書類を全て整えるのに、1年以上かかった。
「この災害で苦しむ人々には、24時間さえ長い時間だ」と、戸羽氏は語った。「しかし、国会の政治家たちには、24時間はなんでもない。」
「菅直人首相がまだ在任中に、何度か街を訪問したので、私は首相に、私たちが直面している問題を説明しようとした。」
「それでも実際に、菅氏が私たちの状況を理解しているとは思えなかった。私たちの状況を助けるために何かしたいという意図も願望も、菅氏にはなかった」と、戸羽氏は肩をすくめて付け加えた。
12月の総選挙で敗北したが、民主党には確固たる決定をする力に欠けていたようだ。
失望感
震災後、政府は国内の原発の安全検査を命令した
「政府の代表者が来て話をしたが、彼らは状況を変えたり、必要な難しい決定をすることができない」と、彼は付け加えた。「こうした政治家たちは、私たちに途方もない失望感だけを置いていった。」
陸前高田の人々は新しい自民党政権と安倍晋三首相に、より高い期待をかけている。ただ戸羽氏は、なぜ2人の地元政治家が内閣で得たポストが復興事業に関係ないものなのか、疑問を抱いている。
当局から包括的な支援が得られなくとも、街は必要なこの難事業を自力で行わねばならないという現実を、戸羽氏は甘んじて受け入れるようだ。
この街が比較的隔たった海岸部に位置することは、多くの投資可能な人々に否定的に作用するが、それでも、街は新しい産業を街に誘致しようとしている。貝類や海草類をはじめとした、街の水産業の約70%は操業を再開した。もっとも戸羽氏は、年老いて身体が弱った人々のためのモデル都市を作り、そういった人々に退職者の理想的なコミュニティーを提供したいと語っていた。
「いま、私には人生で果たすべき使命が2つある。1つ目は、陸前高田を繁栄した街として再建すること。2つ目は、2人の息子を立派に育て上げること」と、彼は語った。「陸前高田は美しい街に生まれ変わる。約束するよ。」
発表 2012年1月24日
執筆 Julian Ryall / Tokyo
編集 Sarah Berning
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(投稿者より)
ドイチェ・ヴェレの英語サイトに掲載された記事です。また近づいてきましたが、あの日のことを忘れずに伝えてくださる方々がおられるのは有り難いことです。誤訳があるかも知れません。ご容赦下さい。
復興は進んでいません。シロアリたちはその資金を食い物にしていました。政権が変わったのでまともな対応を期待したいのですが、どうでしょうか?
私は日常に追われ、ボランティアも、現地を見ることもできませんでしたが、復興が進むこと、被災者の方々が平穏な日常をとりもどすことを祈っております。
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