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地震学者は大震法見直しに声を上げよ [日経新聞社説]
科学に基づく予測には不確実性が伴う。不確かさがあることを含めて正確に、同時にわかりやすく社会に情報を伝えなければならない。このことの重大さを改めて思い知らされる判決がイタリアであった。2009年に起きたラクイラ地震の予測をめぐる裁判だ。
300人を超す住民が命を落とした地震の6日前、政府の防災担当者と地震学者が大地震の可能性は低いとの見解を公表した。これが結果的に犠牲者を増やしたと住民が訴えを起こしイタリアの地裁は22日、学者らに実刑判決を下した。被告側は控訴する見通しだ。
判決理由が未公開で詳しい背景はわからない。経緯からみると、政府の防災部局による拙速な「安全宣言」が住民をミスリードし、科学者も説明が舌足らずで行政の判断に科学のお墨付きを与えてしまった可能性がある。
科学者の言葉がいちいち裁判で責任を問われたのでは、自由な意見の公表や議論を妨げると心配する声がある。それはその通りだ。
しかし原子力やBSE(牛海綿状脳症)の問題など、科学が安全の判断の物差しを提供する機会は増える。最終判断は政治家や官庁が下すにしても、科学者の発言が社会に与える影響は大きい。原子力発電所事故を契機に科学者への信頼感が薄れたともされるが、安全に関し的確な判断を下すには科学の視点は欠かせないからだ。
日本地震学会は先週、地震が起きる場所や規模、時間を数日前に予測する直前予知について「現状では非常に困難」であると改めて認め、今後は「予知」という言葉を慎重に使うと決めた。地震学の現状を「一般市民の目線にたって伝える」とした学会の行動計画は歓迎したい。
ただここに至っても大規模地震対策特別措置法(大震法)の見直しを求めない姿勢には首をひねる。大震法は東海地震を想定して、駿河湾周辺で前兆とみられる現象が観測されると気象庁が地震学者らを集めて大地震発生の可能性を見極め、首相が警戒宣言を出す仕組みだ。34年前に定められた。
直前予知が前提の大震法は予知を困難とする科学的見解と矛盾する。地震学者が大震法に科学のお墨付きを与え続ければ、予知は可能だとの誤解を払拭できない。ここは地震学者自身が見直しに動く時ではないか。それが一般市民の目線にたって地震学を伝えるうえでも必要だろう。
[日経新聞10月24日朝刊P.2]
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