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【第295回】 2012年10月2日
南海トラフ地震「死者最悪32万人」をどう読むか
専門家も恐れる“絶望視”に潜む危険性
――東京大学総合防災情報研究センター長・田中淳教授に聞く
およそ1ヵ月前、東海、東南海、南海地震などが同時発生する「南海トラフ巨大地震」について恐るべき被害想定が発表された。特に衝撃だったのは、最大級マグニチュード(M)9.1の地震が発生した場合、最悪のケース(冬・深夜、東海地方が大きく被災)では死者が最大32万3000人に達するというものだ。昨年の東日本大震災では津波到達までの時間が約30分〜1時間程度だった一方、南海トラフ地震の想定では津波到達までわずか数分程度という地域もある。
この想定を絶望的に受け止める地域住民も少なくないなか、私たちはこれから防災対策にどう取り組むべきか。今回の想定発表に携わった中央防災会議・南海トラフ巨大地震対策検討作業部会副主査を務める東京大学総合防災情報研究センター長・田中淳教授に、この最悪の想定を発表した真意と、望まれる防災対策について聞いた。(ダイヤモンド・オンライン 林恭子)
なぜ最悪の被害想定を発表したか
「地震像の固定化」の危険も
――先月末に発表された「南海トラフ地震」の政府被害想定は、最大級の地震が発生し、なおかつ最悪のケースで32万3000人が死亡するという衝撃的なものでした。被災地域には絶望的な数字にも感じられますが、この最悪の被害想定をあえて発表した狙いとは?
たなか・あつし
東京大学大学院情報学環 総合防災情報研究センター センター長・教授。1954年生まれ。 1981年東京大学大学院社会学研究修士課程修了。 1981年財団法人未来工学研究所研究員。1990年群馬大学教養部専任講師。 1992年文教大学情報学部専任講師・助教授(94年)。2000年東洋大学社会学部助教授・教授(2001年)を経て、2008年東京大学大学院情報学環教授。
東日本大震災が防災・減災対策に与えた衝撃は、とても大きなものだった。津波は我々の想像以上に極めて高く、地域によっては内陸部奥深くまで浸水し、それぞれの居住地域におけるこれまでの津波の危険性の評価をはるかに超えている。これは、今まで考えてきた地震像に基づいて防災対策を進めることの危険性を示している。つまり、1つの地震像、津波像に固定化してしまうことに大きな問題があった。
地震は近代観測され始めてから100年、歴史記録も高々2000年しか残ってない。これだけの知識しかないところに、東日本大震災は自然災害の多様性、幅広さを我々に突き付けたと言っていい。
では、今後、被害を防ぐためにはどうしたらいいか。まず、過去に学ぶとともに、既往最大にとらわれず、発生頻度は極めて低いかもしれないが、今科学的に起きうる最大限の地震災害を考えることが重要である。そして同時に、最大クラスよりは規模が小さいが頻度の高い地震災害についても想定し、備えなければならない。今回は、その地震規模の幅を見なければならないという3.11の反省から想定を出している。
「死者32万3000人」に秘めた2つの意図
“早期避難率の重要性”と“避難は万能ではない”
――それにしても「死者32万3000人」は、あまりに衝撃的なメッセージだったと思います。
この「死者32万3000人」は、最大クラス(M9.1、東海地方が大きく被災)の地震の中でも最悪のケース(冬、夜中、東海地方が大きく被災)の場合に、直後に避難する人が20%という低い早期避難率の仮定の下に出された数字だ。しかし、避難ビルなどの施設を整え、早期避難率を上げれば死者は減らすことができる。
早期避難率が低く津波避難ビルが活用されない場合と、住民の70%が直後から避難を開始し効果的な呼びかけがあり、津波避難ビルなどの避難環境を整えれば、死者数は最大で約8割減少すると推計される。また、全員が発災後すぐに避難を開始し、かつ避難施設が効果的に活用されれば、津波による死者は最大で約9割減少すると推計できる(いずれも冬・深夜に発生の場合)。
したがって、「死者32万3000人」には2つメッセージが含まれていると考えていただきたい。まず、この死者数は早期避難率が低い場合であり、我々が早く避難をすれば、助かるということ。もう1つは、1人では避難できない方や家が倒壊して避難できない方や、高い津波が速く襲来する地域もあり、個々人の避難だけでは救えない命もあるという、「避難は万能ではない」ことである。
そのためにまず行うべきなのは、避難できる環境を自分たちでつくること。家具の固定や家の耐震化を進めれば、津波から素早く逃げられるだけでなく、地震によって亡くなる可能性も低くなる。
それでも避難が難しい方々に対しては、避難施設などをもう一度考え直すべきだ。約30メートルの海岸防潮堤をつくったり、地域の合意を得て高台に移転するという選択肢もあるだろう。しかし、これらの対策は日常生活にも支障を及ぼしたり、コストの面からも非常に難しく、勇気が必要なものだ。したがって、同時に少しでも津波の襲来を遅らせたり、低くする対策にも着手すべきだろう。
東日本大震災の地震・津波では、1つの想定を信じることの問題点と海岸防波堤で守られる保障がないことを学んだ。できるだけ早く避難する意識を備えると同時に、避難環境を整えていかなければならない。そこでまずは、比較的頻度の高い津波に対して全員が逃げられる環境を整え、一歩一歩積み重ねていくべきだろう。それが今回の想定を出した意図になる。
津波襲来まで数分という地域も…
最悪の結果は“諦めてしまうこと”
――南海トラフ地震では、地震発生から津波襲来までの時間が非常に短いことも被害を拡大させる最大の要素といえます。津波でたくさんの命が奪われた東日本大震災の教訓を受けて、防災対策をどう進化させるべきでしょうか。
課題となるのは、昨年の地震に比べて震源域が海岸線に近いため、まず津波からの避難に残された猶予が非常に短いこと。もう1つは、震源域が陸地に近いために揺れが強く、避難のスタートに立てない可能性も高いことである。その点からも、自宅の耐震化は非常に重要だ。
また猶予時間が本当に少ないため、足腰の弱った方の避難は限界がある。避難の猶予時間を稼ぐような海岸防波堤の在り方、避難しやすい環境、長期的にはより余裕のある場所、高台などへの移転も考えるべきだろう。ただ、そのいずれもが日常生活から考えると、そう簡単に実行できることではない。時間をかけて、少しずつ防災・減災のレベルを高めていかなければならない。
今回の想定は、最大クラスの被害想定のため、大きな被害数値となっているが、これは東日本大震災の教訓から試みて出された1つの地震像であり、多様な顔を持つ自然災害のなかのシナリオの1つでしかない。この地震像に固定化してしまうと、また元の固定された被害想定、地震イメージになってしまう。だから、地震には幅や多様性があることを我々は認識すべきだ。
一番悲しいことは、最大クラスの津波の高さや津波到達時間を知り、実際に避難は厳しいからと避難を最初から諦めてしまうこと。それは今回想定を出したことの最悪の結果であり、絶対に防ぐべきである。なぜなら実際は最大クラスの津波に比べて規模の小さい津波が発生する可能性が高いにもかかわらず、諦めることで助かる命を落としかねないからだ。
今回、対策次第では助かることができるというつもりで出したメッセージが、最悪のシナリオに固定化して、何をしても仕方ないと多くの人が考えれば、我々の願う最善を目指してほしいという意図とは正反対の結果になってしまう。そうはならないように、ひとりひとりに正しく恐れてほしいと思う。
全国画一的には語れない防災対策
それぞれの地域で“防災の文化”づくりを
――早期避難などの防災意識は大切ですが、個々人に植え付けるのは難しいように思います。そうした中で、どう防災教育、対策を行っていくとよいでしょうか。
東日本大震災では、自らは津波から避難しようと意識していなかったにもかかわらず、地域の呼びかけで避難したという方がたくさんいた。それは、地域の人々の家族や地域を守りたいという気持ちによる行動であり、地域の働きかけこそが重要であることを示している。つまり、そうした働きかけのできる人を増やすためにも、個人へ防災教育を行うという発想を越え、地域全体で防災を考える必要がある。
実はこれまで津波警報後における避難率はあまり高くない。チリ地震津波(2010年)発生時、宮城県岩沼市の避難率は60%を超えたが、他の地域では20%程度だった。避難するか迷うのが当然だが、迷った人であっても避難できたのが岩沼の力だった。その背景にあったのは、地域の後押しかもしれない。
また、岩手県釜石市では99.8%の小中学生が自ら命を守った“釜石の奇跡”が起きたが、防災の指導をしていた群馬大学の片田敏孝先生は、個々人に防災教育をしているわけではなかった。私は必ず逃げるから親もそれを信じて逃げてくれ、私が率先避難者の模範となるといった防災の地域“文化”を作っていたといえる。
そして、災害の緊急時の限られた時間で我々ができることはごくわずかだ。私は教師であり、男性であり、父親でもあり…といろんな立場がある。この立場が避難を考える上で迷いを生み、避難行動を難しくしている。極端に言えば、自分が助けに行かなければ大事な家族を見捨ててしまう。でも自分が行けば、自分の命が危ない。昨年の地震でもそんな矛盾のなかで皆が葛藤をして、ギリギリの選択をしている。
そんなジレンマの解決策は、家族の安否確認をしなくても済むような事前の決め事、自動的に水門が閉まる仕組みや、消防団が来なくても皆が避難する地域になっているなど、自分が避難すれば他の多くの人の命を救える状況にすることだ。人間は1人で生きているわけではない。そういう部分からも、教育だけではなく、地域で避難環境を整えていくべきだろう。
その際、最も楽に避難できる環境を整えるべきだが、全国画一的だと格好は良いものの、個々の地域の特性に合わせて議論していかないと実効的ではない。それは昨年の地震でも思い知らされた。だからこそ、防災教育・対策も、地域にもう一度立ち返って考えるべきだろう。
個人・地域・行政のダイナミックな連携を
――では今後、地震対策を行う上で自助(個人)・共助(地域)・公助(行政)は、どう役割を分担していくべきでしょうか。
自助・共助・公助の議論は、公助の限界からはじまった。阪神淡路大震災の際に、行政依存、頼みの防災では個人の命は守りきれないとわかったからだ。実際、東日本大震災では、個々人がギリギリの判断で自らの身を守っている。だからといって、自助、共助だけでは対策は十分ではない。自助を進めるうえで、公助、共助に何ができるのか。共助を進めるために、公助に何ができるのか。もっとダイナミックな関係性で防災を考えていくべきだろう。
例えば、こんな連携だ。市町村は公的な場所でなければ指定避難場所に指定しづらいが、その場所が地域住民にとって遠かったり、不便なケースがある。そこで、地域住民にとって避難しやすい場所に民間施設があった場合、指定避難場所として場所を貸してほしいと要請、民間施設も地域の要請を受け入れる。それに対して公助は、避難路を整備する、といった関係性での連携だ。これは、単に自助に丸投げするのではなく、自助と共助と公助が連携したケースである。そうした関係性でこれからは防災を考えるべきではないか。
http://diamond.jp/articles/print/25663
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