20. 2012年9月05日 03:12:04
: ohd4LTrgKE
>>19 11,17です。 返信、ありがとうございます。10までは、04さんの意見をお二方が誤読の上で反論され、04さんがその誤読に気づかずに再反論されるという、誤読の応酬になっていて、読まされる方としては迷惑なので、11でその混乱を整理する善意から、発端となった04と補足の10の意見の要約を書いたつもりでした。(確かに、ご自身が認めている通り、04は誤読されやすい書き方でした)。 それも、なるべく穏やかになるように気を使って書いたつもりなのに、12さんから私の要約をも一緒くたに、喧嘩腰の言われ方をされて、驚いていました。 でも、04(19)さんからの返信で、ちょっと安心しました。 私自身は山国住まいなのですが、もし海沿いの地方に住んでいるとしても、モノグサだから仮小屋は無理かなと考えています(^^;)。とくに冬の夜など、毎日寝るだけのために寒い道を登って冷えきった仮小屋へは行かないだろうなと、、、。昼の津波を考えれば、高齢者などは昼間でも仮小屋にいなければならないだろうし、それなら夜若い人が上ってきても小屋は冷えきってはいないけど、昼間の食事等まで仮小屋分が必要となれば、それはそれでまた不便だろうし。 だから、現時点での自分の案としては、個人でやるなら、お金が許せば家を高台に移すのは当然として、それが不可能なら、ノアのようなカプセルかなと思います。 でも、個人個人、地域地域で、実情にあった方法を考えるのに、いろいろなアイデアが出るのはいいことです。他のアイデアをつぶすのでなく、全部あり、として生かしておくのです。そうすると、短所を見極めて長所を生かす応用を考える人も出てきます。(04さんも、元々はそのような発想で提案されたのだろうと思っています。) 04さんの案を元に私なりに応用例を考えてみて、例えば「仮小屋」を一軒単位でする人はそれはそれでいいとして、気が向いた何軒かが共同で大きな仮小屋を(あるいは地域レベルで公民館のような感じで)作って、老人たちは昼間からそこに集い、夜には若い人々も登ってきて、自由に交流し、各家族ごとの個室で寝る、と言ったようなバリエーションもありではないかと思いつきました。毎晩必ずとなるとプライバシーの点で絶対にいいかは分かりませんが、それでもこれなら、モノグサも冷え込みも不便も、かなり改善されそうです。個々人の高台移住までの中間措置としては、これもありかな、と。 いずれにしろ、04さんははじめから、このスレの和歌山での可動式防波堤に150億使うくらいなら、国費の生きた使い方として(したがってすぐに自力で高台に移転できる人とかの事ではなく)、「インフラが間に合わないなら」「トレーラーハウスでもいい」などを付け加えながら、(当然、経済的など種々の事情で高台に移転できない住民を対象に)犠牲者をできるだけ減らす一案として提案しているわけで、「高台に家を建てたほうが実用的」などというピンボケな「対案」での全否定は無意味です。それよりも、発想のプラス面をさらに生かせないかと、お互いに「思考の協力」をしあうようにしましょう。 ちなみに、ノアを検索してみたところ、空気穴が2つと縦の「つかまり棒」が1本あるみたいです。昨年の情報で発売前から数百件も受注があるということで、体の固定(それぞれの家族で、体格に合わせて安全ベルトをセットできるとか)など今後さらに改善されるのだと思いますが、私が感じる1番の不安は、大海に流されたときの発見のされ方です。のぞき窓が一つあると言うから、それをもっといくつも作ってその内側にソーラーパネルをセットし、下部の「安定のための水貯め部」の一部のスペースを削って手回し発電機と蓄電池をセットして、というようにして、何とか電源を備えて、SOSの自動発信、携帯の充電、最小限の内部照明などを可能にする。目立つ大きな吹流しと細い旗ざおを「つかまり棒」の内側に収納しておき、カプセルが安定したら空気穴の一つからでも外(上)に掲げられるようにする(旗だとカプセルが不安定になりそうなので)、あるいはつかまり棒の中に発炎筒をいくつも収納しておき、空気穴にセットして焚けるようにする、といった方法などを思いつきました。そして、GPS機能付きの防水携帯を持って乗り込む。これでも、海上で安定するまでに全身打撲や家族同士での圧死は考えられるし、さらにカプセルが瓦礫の下になってしまったり、瓦礫にはさまれて水平になれなかったり(水中では当然、水上に出ていても角度によっては空気穴から浸水する)、無事に水平に浮かんでも周りが海上火災になれば万時休すなので、万全とはいきませんが。 繰り返しになりますが、誰かが最初の発想を言い出してくれれば、次々に改善の発想も浮かびます。だから、みなさん、とりあえずはどんな案もみんな「あり」で、できるだけマイナス方向への批判でなく、プラス方向への改善案の姿勢でいきましょう。 さまざまな状況の人々がいるのだから、どんな発想だって、どこで生きるか分かりません。当てはまらなければ使われないだけなのだから、「疑問」はいいけど、わざわざ「否定」などする必要はありません。政策論争とは違います。
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