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日本列島は地震の活動期か
https://aspara.asahi.com/blog/science/entry/2ox4SXZ9zg
12/05/16 科学の面へようこそ 朝日新聞
編集委員・黒沢大陸
大きな地震に見舞われない幸運な時期に、日本は戦後の復興と高度成長を遂げた。近年、日本列島は活動期に入ったとも指摘され、阪神大震災、東日本大震災、内陸の活断層での地震などが続く。過去にも関西や首都圏では地震が多い時期が繰り返されてきた。地震が増える活動期、減る静穏期は存在するのか。それは、どんな仕組みによるのか。
◇「阪神」以降、名前の付いた大地震9回
https://aspara.asahi.com/ulrsc/9/blog/science/namazu1.L.jpg
岩手・宮城内陸地震、能登半島地震、新潟県中越地震、芸予地震……。阪神大震災以降、大きな地震が続き、気象庁が命名した地震は9回起きた。
地震には活動期があるのか。
「日本全体では、はっきりした活動期と静穏期は見いだせないが、特定の地域をみると、違いが見えてくる」と、防災科学技術研究所の岡田義光理事長は話す。20世紀に日本列島周辺で起きた地震の回数を年ごとにまとめると、M7級以下の地震は一定の頻度で発生しており、多い時期や少ない時期はなかった。
◇M8級の前後に内陸地震
しかし、地震学者たちが指摘してきたように、首都圏や関西に注目すると様相は変わる。繰り返して起きるM8級の海溝型の巨大地震が起きる前の数十年と、起きた後の10年ほどは、いずれもM7級の内陸の地震が多くなっている。政府が首都直下や南海トラフの地震対策に力を入れるのも、影響の大きさに加え、こうした点から大地震が近づいている恐れがあると考えるからだ。
相模トラフで起きた1923年の関東大震災(M7.9)の前後には、1894年の東京地震(M7)、1924年に丹沢地震(M7.3)などM7級の地震が相次いでいる。内閣府は「首都地域のM8級の地震は200〜300年間隔だが、その前にM7級の地震の恐れがある」としている。最近、話題の首都直下地震もこれにあたる。
西日本では、100〜150年間隔で南海トラフの巨大地震が起きてきた。前回の1944年の東南海地震(M7.9)と46年の南海地震(M8)の前後には、25年の但馬地震(M6.8)、27年の北丹後地震(M7.3)、43年の鳥取地震(M7.2)、45年の三河地震(M6.8)があった。「東南海、南海地震は今世紀前半にも発生の恐れがあり、その前に内陸の地震が活発化する恐れがある」と指摘されるのはこのためだ。
◇2タイプの活断層が影響
では、なぜ巨大地震の前後に内陸の地震活動が活発化するか。
活動期と静穏期ができるのは、地震を起こすエネルギーを十分にためている活断層が影響していると考えられる。
M8級の巨大地震が起きれば、地殻にかかる力が変化して影響が内陸にも及ぶ。内陸に数多くある活断層には、巨大地震の影響で地震が起きやすくなるタイプと、起きにくくなるタイプがある。
巨大地震で促進されるタイプの活断層は、最後の一押しとなって地震を起こす。また、巨大地震後は余震もあり、しばらくは地震活動が活発な時期が続く。
その時期が過ぎると、巨大地震でブレーキをかけられた抑制されるタイプの活断層ではしばらく地震は起きにくく、静穏期が訪れる。数十年たって巨大地震の影響から抜け出すと、徐々に地震を起こし始め、やがて次の巨大地震が起きる。
つまり、活動期は(1)前回の巨大地震でブレーキをかけられた活断層で地震が起こり始める(2)巨大地震が起きる(3)巨大地震の余震や誘発された地震が起きる、これらがセットになっているイメージだ。
M8級の巨大地震の影響は、それほど大きいのか。
地殻変動に詳しい名古屋大の鷺谷威教授は「日本列島にかかっている力は単純ではない」としながらも、「活断層に与える影響は小さくない」と話す。巨大地震によって活断層にかかる力はわずかでも、千年や万年単位の年月をかけて地震を起こす力を少しずつ蓄える活断層からすれば、この力は通常の数十年、数百年分に当たるかも知れない、という。
海洋研究開発機構地震津波・防災研究プロジェクトデータ解析グループの堀高峰サブリーダーは、過去に南海トラフの巨大地震が起きた結果生じた力が、西日本の活断層にどんな影響を及ぼすかを計算した。すると、前回の東南海、南海地震の前には抑制タイプ、後には促進タイプの地震が起きていた。
西日本の活断層は、なぜか南海トラフの巨大地震で抑制されるタイプが多いという。堀さんは「1990年代以降、抑制されるタイプの断層でM5級がわずかに増えており、活動期に移行しつつあると考えられる」と話している。
◇ ◇
《筆者の黒沢大陸から》
地震や火山の取材をしていて、しばしば研究者から「この半世紀ほどは幸運な時代だった」という言葉を聞きます。
過去の地震を規模でなく、被害の大きさを気象庁の資料で振り返ると、阪神大震災が起きるまで、日本では犠牲者が千人を超える地震は、3769人が犠牲になった1948年の福井地震以降ありませんでした。
その前になると、1946年の南海地震(1330人)、1945年の三河地震(2306人)、1944年の東南海地震(1223人)、1943年の鳥取地震(1083人)、1933年の昭和三陸地震(3064人)と大きな災害が続いています。
火山災害だと、犠牲者が千人を超える災害は1792年の雲仙岳まで溯り、その少し前の1783年には浅間山の噴火で1151人が犠牲になっています。
もちろん、小規模な災害でも被災者にとって見れば大きな災害ですが、社会を大きく左右するような地震や火山災害は、日本が大きく発展した時代には遭遇しないですみました。
しかし、いつまでも地震や火山噴火が少ない時代が続くわけではありません。しかも、経済は低調で社会にはいろんなひずみが表面化しており、大きな被害をもたらす災害にどこまで対処できるのか心配になってきます。将来直面することが想定される危機からも目を離せません。
災害に関連した話題は、同じ「@サロン」にある「災害記者 大陸ななめ読み」でも、毎週、紹介しています。今回の記事に関連した話題も「『幸運』だった100年」「南海トラフの巨大津波、首都の震度7」「続く余震 東日本大震災6」などのタイトルで載せておりますので、合わせてご参照ください。
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