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次の巨大災害への備えはあるか
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20120315/229859/?ST=print
2つの大震災を合わせた被害をもたらす巨大地震が襲来する
“震源域”の観測網で予測精度の向上に挑む
• 2012年3月16日 金曜日
• 家入 龍太
東日本大震災から1年が経った。マグニチュード9の激震は、「1000年に1度」とも言われる巨大な津波を引き起こし、東北地方の太平洋側を中心に広域にわたって甚大な被害をもたらした。津波による死者と行方不明者は約2万人に上る。
今後も地震だけでも首都圏直下型地震や東海・東南海・南海の3連動地震といった大規模地震の発生が予想されているほか、洪水や台風、火山の噴火などの自 然災害や感染症のパンデミック(世界的大流行)、テロと、社会経済に深刻な影響を及ぼすリスクが日本には山積している。にもかかわらず、震災から時間が経 過するとともに、危機意識が薄らぐ傾向が見え始めている。
今回の連載では、東日本大震災がこの国に突きつけた課題を受けて、防災やリスクマネジメントの専門家に、日本で起こり得る災害のリスク、そして社会や企業、個人の備えはどうあるべきかを聞く。
今回は、海洋研究開発機構の地震津波・防災研究プロジェクトの金田義行プロジェクトリーダーに、震災後に行った海洋調査で解明が進んだ次の巨大地震の姿や、その被害を減少するために同機構が実施している「減災」の取り組みについて聞いた。
(取材構成は、家入龍太=フリーライター)
(前回の首都直下型地震が起きれば日本は破綻するから読む)
海洋研究開発機構では東日本大震災の直後、6500メートルの海底まで潜れる「しんかい6500」や、海底の地形や海底下の地下構造を調査できる「かいれい」といった調査船を使って、太平洋の海底を調べた。
これら調査船による調査の結果、「北アメリカプレート」という巨大な岩盤(プレート)が東側に動いたことが分かった。海底にあるプレートの先端部は相対的に東南東方向に約50メートル、上方に約7から10メートル移動していた。
そして日本列島が東の方向に引き伸ばされるようになったため、東北地方の沿岸部が地盤沈下した。地盤が沈下したうえに大きな津波が襲ったことから悪影響が相乗され、津波による被害が拡大した。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20120313/229745/zu01.jpg
東日本大震災では北アメリカプレートが東に移動した(資料:海洋研究開発機構)
マグニチュード9.0の東日本大震災クラスの地震では、地球の裏側まで地震波や津波が伝わり、そのシミュレーションも可能だ。一方、実際の被害は、地震波や津波高の解析だけで解明できない複雑なものだ。
例えば東日本大震災では、港に係留してあった船舶が津波によって流され、その結果、建物を破壊したり、津波で壊れた家屋から火災が起こり、漂流する燃料タンクに引火して大火災が起こった。
それから千葉など首都圏でも起こった地盤の液状化だ。これは東北地方の太平洋沿岸域でも起こった。津波で流されたために、その痕跡はあまり確認されていないが、液状化が起こったことから沿岸の人々が避難できなかったという話もある。
このように海溝型の巨大地震がもたらす被害は、地震動による建物の破壊や津波による浸水といった直接的なものだけではなく、液状化や建物の倒壊による避難の阻害、津波によって発生する火災、そして漂流物による破壊などを含めた「複合災害」に発展するのが特徴だ。
東日本大震災を引き起こしたマグニチュード9の東北地方太平洋沖地震によって東日本を中心に地下の内部にかかる力のバランスが変わった。それが、周囲の 地震活動も誘発している。関東から東北の太平洋側でマグニチュード7を超える大きな余震が何度も起こり、福島県南部や長野県北部、富士山南方など、内陸の 地震も頻繁に起きるようになった。
歴史上も繰り返されてきた「地震の連鎖」
こうした地震の連鎖は歴史上、何度も記録されている。例えば863年に起こった越中・越後地震が引き金となって富士山、阿蘇山の噴火、播磨・山崎地震に 続き、869年には東北沖で貞観(じょうがん)地震が起こった。その後も878年の相模・武蔵地震、そして887年に任和地震へと続いていく。
金田 義行(かねだ・よしゆき)氏
1979年東京大学理学部研究科大学院地球物理専攻修士課程修了。理学博士。専門は地震学。海洋研究開発機構で海溝型巨大地震研究を推進し、地震津波・防 災研究プロジェクトのプロジェクトリーダーとして文部科学省から委託研究「地震・津波観測監視システムの構築」ならびに「東海、東南海、南海地震に関する 連動性評価研究」プロジェクトを指揮する。著書に『先端巨大科学で探る地球』(共著、東京大学出版会)がある(写真:陶山 勉、以下同)
1703年に江戸で元禄(げんろく)地震が発生した後、1707年には西南日本では宝永地震が起こり、その49日後には富士山が噴火した例や、1854 年の安政地震と翌1855年の安政江戸地震が起こっている。そして1943年鳥取地震から始まり、1944年の東南海地震、1945年の三河地震、 1946年の南海地震、そして1948年の福井地震が続く。また、時間スケールを大きく取れば、1923年の関東大震災との連動も考えられる。
東海沖から四国沖、日向灘沖に延びる海域ではフィリピン海プレートの沈み込みによって形成された南海トラフ(日本海溝と同じ海底の窪み)周辺では100 年から200年の間隔でマグニチュード8クラスの巨大地震が連動して発生し、それに地震や噴火活動が誘発されるという現象が何回も起こっているのだ。紀伊 半島の沖合を震源とする東南海地震、四国の沖合を震源とする南海地震が過去に同時に発生、もしくは数日から数年の間隔で連動して発生していることが分かっ てきている。
南海トラフで起こる巨大地震による被害は、津波で大きな被害が発生した東日本大震災と、地震動で大きな被害が発生した阪神・淡路大震災を合わせたような被害が起こると想定されている。
こうした災害の減災を行ううえで2つの柱がある。1つは地震がいつ、どのくらいの規模で発生し、被害が実際にどのように起こるかを予測する研究だ。2つ 目は人命を守るという観点でいかに早く地震や津波を検知して、人々が避難できるように警報に結びつけるかという研究である。
海洋研究開発機構では、南海トラフという“敵”の姿を知るために、いろいろな研究を行っている。特に過去の地震の履歴から重要と考えられている東南海地 震の震源域において、非常に高度な研究を進めている。例えば、“岩盤のCTスキャン”を行うような地下構造の調査の結果、船舶を用いた海底下の内部構造も 分かってきた。これを3次元的に表すと、紀伊半島沖からプレート境界に沿って地中を探索し、断層の位置などを確認できる。
また、同海域において、このデータから過去に地震が起きたと思われる断層やプレート端部の位置を特定し、地球深部探査船「ちきゅう」と呼ばれる掘削船を 用い、実際に海底を掘削(ボーリング)してサンプルを採取した。そのサンプルの解析の結果、地震の際に断層がずれた時の摩擦熱で温度が高くなった跡を発見 した。過去に地震が起こった場所を高精度で突き止められるようになった結果、震源域が従来、考えられていたよりも広く、浅い部分でも発生することが分かっ たのだ。
「東海・東南海・南海」の震源地は大都市圏に近い
調査の結果、各震源域の面積が大きくなり、さらに日向灘沖の震源域を加味することにより、同時に発生した時に最大で震源域の面積が約2倍にもなる想定がなされている。
マグニチュードに直すと約9と、東日本大震災とほぼ同規模の地震が起こる可能性があるのだ。東北地方太平洋沖地震と異なる点は、震源域が陸に近く、名古屋や大阪といった大都市圏にも近いという点である。さらに津波が到達する時間も東日本大震災より早い。
岩板の調査により明らかになった震源域の広がり(資料:海洋研究開発機構)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20120313/229745/zu02.jpg
このような地震や津波に対して、早く警報を出すために、我々は東南海地震の震源域に「DONET((Dense Oceanfloor Network system for Earthquakes and Tsunamis)」というシステムを設置している。いわば海底にある“震源域の聴診器”のようなものだ。東南海地震の震源域で進行する現象をリアルタイ ムでモニタリングする、例えれば病気の進行を聴診器で診断することで、地震発生予測の精度を高めたり、地震や津波が発生した場合に警報につなげたりするこ とができる。
DONETは、大地震から微小地震、長周期地震動までを検知する「地動センサー」や、津波、地殻変動、地震を検知する「圧力センサー」など高精度な観測 装置で構成された20の観測点を東南海地震の震源域に当たる熊野灘の海底に設置し、海底ケーブルでつないだネットワークシステムである。データはケーブル と陸上のデータ回線を通じ、リアルタイムで取得することが可能となっている。
これによって地震や津波を早期に検知できるほか、震源域の常時観測データから、南海トラフにおける巨大地震発生予測を高精度化できる。この観測データは気象庁などにもリアルタイムで提供し、緊急地震速報や津波警報にも使うことができる。
岩盤の“聴診器”と“内視鏡”で素早い警報を
DONETにより沖合で津波を検知できるため、沿岸域に設置したGPS波浪計などを使った津波警報に比べて避難時間は10分程度長くなる。また、微小地震が発生する深さの変化から、巨大地震発生の切迫度が分かり、地震発生の予測精度を上げることが期待できる
東南海地震同様、切迫度が高いとされている南海地震の震源域にも、DONET2と呼ばれる同様の海底ケーブル式観測システムの構築を2010年度から開始している。早ければ、2015年度にも運用を開始できる見込みである。
また、“震源域の内視鏡”として、南海トラフ周辺に深さ約1キロメートルの穴を地球深部探査船「ちきゅう」で掘削し、岩盤の内部から地震や地殻内部の変動を観測する孔内観測システムの設置も進めていく予定だ。早ければ2012年度末にもDONETと接続できる見込みだ。
発生した地震や津波に対して、いかに被害を“減災”できるかについては、世界最高速のスーパーコンピューター「京」を使った解析やシミュレーションが計 画されている。文部科学省の「HPCI戦略プログラム」の戦略分野の1つである「防災・減災に資する地球変動予測」で行うものだ。この中で、私は地震・津 波の予測精度の高度化に関する研究のとりまとめを担当している。
実際に地震や津波が起こった後、どのようにして都市に到達し、どんな被害を起こすのか、どう避難すればいいのか。地震や津波の発生や被害予測、避難までの防災・減災に関わる1連の予測研究を行っている。
例えば、南海地震が起こると高知市は2メートルくらい地盤が沈下する。そこへ土佐湾に大きな津波がそのまま入ってくることが予想される。その後6〜10 時間くらい津波は何度も引いては戻ってくることを繰り返す。そして建物などには地震の被害も合わせて津波の力が働いて壊れたり、流されたりする。
そこで、「京」の中に仮想の町を作り、地震や津波でどんな被害が起こるのかをシミュレーションしようというわけだ。
実際の津波被害では、津波の浸水をシミュレーションするだけでは十分な被害想定とは言えない。実際には地震が先に来てまず地盤が沈下したり液状化したり、建物が倒壊したりする。その上に津波が来る。
防潮堤が倒れた場合、倒れない場合でどのくらい津波の威力が違うかも考慮する。防潮堤が倒れたとしても、30〜40%は津波の威力を減ずる効果がある。 また、津波で流されてきた船が建物などに衝突したりする。その時、どのくらいの破壊力があるのかを評価するためには、実際の現象をそのまま「京」でモデル 化し、解析する必要がある。
家屋も基礎で地面とつながった状態で津波の力が働き、どのように動くのかも解析する。これも地震でどれだけダメージを受け、津波への耐力に影響するのかまで考えないといけない。液状化も含めて、このような複合災害の被害想定までやりたいと考えている。
世界一のスパコン「京」で町の被害を丸ごと解析する
そのためには建物などの詳細なモデルを作って計算する必要がある。極端に言うと、ボルトの締め方や鉄筋1本に至るまで精密に考慮したうえで、建物がどれだけ地震や津波に耐えるのかを高精度に検証する必要がある。こうした解析が被害を予測することにつながる。
ただ、コンピューターによる解析だけでは不十分だ。そこで防災科学技術研究所の兵庫耐震工学センターにある世界最大級の震動実験台「E-ディフェンス」の実験結果なども加味して、シミュレーションの精度を高めていく。
また、人間が避難する際の経路も、建物が道路に倒れて交通をふさいでしまった場合などは、事前に想定した避難経路と異なる場合がある。こうした場合の人の行動についても「京」で解析していく計画である。
将来、IT(情報技術)がどれだけ進歩するのかは分からないが、例えば、現在押し寄せてくる津波の状況や通行可能な避難経路、安全な避難場所などの情報 を将来のスマートフォン(高機能携帯電話)などの先端IT技術を使ってリアルタイムで伝えることができれば理想的だと考えている。
こうしたシミュレーションや観測を通じて、どの町でどのような被害が起こるかを明らかにする。そして、対策や避難方法を考える際に基本となる情報を提供 する。同時に、地震や津波を早期に検知して、特に沿岸部に住む人々に避難を促す情報を発信する。これが我々の研究目的だ。
しかし、シミュレーションや観測の結果、津波の早期警報などを防災や減災に結びつけられるかどうか。それは、地方自治体を中心としたコミュニティーや企 業、個人の行動次第だ。生き延びるためには、まず津波の警報が出たらすぐに安全な場所に逃げることが求められる。このことを忘れてはならない。
(次回は3月19日、東京大学地震研究所地震予知研究センターの平田直センター長・教授のインタビューを掲載します)
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南関東ではM7級の地震が「ほぼ確実」に起きる 東京都心の直下なら阪神大震災を上回る被害に
• 2012年3月19日 月曜日
• 家入 龍太
東日本大震災から1年が経った。マグニチュード9の激震は、「1000年に1度」とも言われる巨大な津波を引き起こし、東北地方の太平洋側を中心に広域にわたって甚大な被害をもたらした。津波による死者と行方不明者は約2万人に上る。
今後も地震だけでも首都圏直下型地震や東海・東南海・南海の3連動地震といった大規模地震の発生が予想されているほか、洪水や台風、火山の噴火などの自 然災害や感染症のパンデミック(世界的大流行)、テロと、社会経済に深刻な影響を及ぼすリスクが日本には山積している。にもかかわらず、震災から時間が経 過するとともに、危機意識が薄らぐ傾向が見え始めている。
今回の連載では、東日本大震災がこの国に突きつけた課題を受けて、防災やリスクマネジメントの専門家に、日本で起こり得る災害のリスク、そして社会や企業、個人の備えはどうあるべきかを聞く。
今回に登場するのは、東京大学地震研究所地震予知研究センターの平田直・センター長・教授。同教授らの研究チームは3月7日、東京湾北部地震が起こった 場合、想定される地震動の強さは従来、想定されてきた震度6強よりも高い震度7になるという衝撃的な研究結果を発表した。
想定が変わって地震のリスクに対する見方は変わるのか。そして、防災や減災のあり方も見直さなければならないのか。平田教授に持論を語ってもらった。
(取材構成は、家入龍太=フリーライター)
(前回の2つの大震災を合わせた被害をもたらす巨大地震が襲来するから読む)
今の地震学では「地震がいつ起こるか」については分からない。しかし、「100年に1度」なのか、「10年に1度」なのかといった地震が起こる頻度につ いては分かってきた。例えば、首都を含めた南関東で言えば、「マグニチュード(M)7クラスの地震が、30年以内に起こる確率は70%」。これが、政府の地震調査研究推進本部という省庁横断組織の評価である。
この確率を計算する基になったのは、南関東の約150キロメートル四方の地域で過去の起きた地震のデータだ。1894年の明治東京地震から1987年の 千葉県東方沖地震まで、M7クラスの地震が5回も起きている。これだけの規模の地震が狭い範囲で100年に5回も集中して発生しているわけだ。これは、世 界でもまれなことである。
南関東は世界でもまれな地震多発地帯
もちろん、「10年以内は30%」とか、「20年以内は60%」とか、期間に応じていろいろな表現ができる。なぜ30年確率を代表的に使っているのかと言うと、人間のライフサイクルに合った期間だからだ。
家を買ったら30年は住むだろう。これまでは就職したら30年は同じ会社に勤めることが多かった。このように同じ生活が30年間くらいは続くことが多いことに着目したわけだ。
その間に南関東でM7クラスの地震が起こる確率が70%であれ、90%であれ、その数値の違いにはさほど意味はなく、「ほぼ確実に起こる」と考えていい。
平田 直(ひらた・なおし)氏
1982年東京大学大学院理学系研究科地球物理学専攻博士課程退学。千葉大学理学部助教授、東京大学地震研究所助教授などを経て、1998年から同研究所教授。前同研究所長。2011年から同研究所地震予知研究センター長。著書に『巨大地震・巨大津波 ─東日本大震災の検証─』(共著、朝倉書店)などがある。
(写真:陶山 勉、以下同)
M7クラスと言えば、阪神・淡路大震災を招いた1995年兵庫県南部地震と同じだ。もし、発生場所が首都圏の直下だとしたら、国の中央防災会議では最悪1万1000人の死者と112兆円の経済被害が出ると予想している。
関東地方に住んでいる人たちは、揺れを体感する有感地震は何度も経験している半面、何となく自分の生きているうちは大きな地震は起こらないだろうと楽観 的に思い込んでいるところがある。しかし、過去の地震の歴史を振り返れば、たまたま起きていないだけで運がよかっただけなのだ。
阪神・淡路大震災についても、それ以前には「関西では大地震はない」と思い込んでいる人が多かったが、それは地球科学的には全くの誤解だった。終戦時の 前後では東海・東南海地震や三河地震、福井地震などがあったが、それからたかだか50年間ほど被害地震が発生しなかっただけ。にもかかわらず、地方自治体 の防災専門家ですらも、関西では大地震は起こらないと考えているきらいがあった。
東京は繰り返し地震が起きてきた場所という認識を
一方、東日本大震災を招いた東北地方太平洋沖地震の規模はM9だった。M9クラスの地震は、これまで日本の近くでは起きていなかったと思われていた。し かし改めて歴史を振り返ると、869年の貞観地震による津波以後、およそ600年間隔で4回ほど巨大津波が東北地方の太平洋沿岸を襲っていたことが判明し ている。
同じようなことは関東や西南日本にも言える。西南日本では東海・東南海・南海地震が少なくとも紀元1世紀から繰り返し生じてきたことが分かっている。関 東でも大正時代の関東大震災を招いた大正関東地震や江戸時代の元禄地震など、M8クラスの地震が150〜200年間隔くらいで起こっている。
M7クラスの地震のエネルギーは、M9の1000分の1、M8の大正関東地震の30分の1にとどまる。そのM7クラスでも東京の都心の直下で起これば、阪神・淡路大震災を上回る被害が出るだろう。
日本の経済、政治や文化の中心地である東京で生活する人は、これまで繰り返し地震が起きてきた場所であることを認識し、それに備えるべきだ。いろいろと 誤解があったかもしれないが、首都圏に震災のリスクが高まっているという我々の警告が、そういう意識を少しでも高めることができたなら、意味はあったと思 う。
東日本大震災で岩手県の三陸海岸地方は大きな津波の被害を受けたが、明治時代の明治三陸津波に比べて津波の高さが高かったにもかかわらず、犠牲者の数は 少なかった。つまり、これまでの明治や昭和の三陸津波などの経験で、住宅の高台移転などの防災対策が効果を発揮したと言える。備えることは重要なのだ。
ところで、これも多くの人が誤解しているが、東日本大震災はまだ続いている。というのは、今でも仮設住宅で不便な生活を余儀なくされている人が大勢いるし、この震災を招いた自然現象としての地震の影響が続いているからだ。
人が感じない余震は毎日たくさん発生しており、有感地震も時折起こっている。余震域の外側にある日本列島の内陸部にも影響を及ぼし、地震や地殻変動を発生させている。
東日本大震災を招いた東北地方太平洋沖地震を境に、以前は東西に縮んでいた日本列島が、逆に大きく伸びた。その傾向は現在も続いている。長い間蓄積され たひずみエネルギーが完全に放出されてすっきりとしたわけでなく、まだ解放されていないエネルギーが徐々に放出され続けているのだ。
動きの量も地震前は1年に1〜2センチメートルだったのが、今でも1カ月で1〜2センチの状態が続いている。北関東では1カ月に1センチくらい、南関東 では5ミリくらい伸び続けている。いまだに震災前の10倍近いスピードなのだ。そのために小さな地震が多く起こっている。
こうした中、南関東では余震ではないが、日本列島の力のバランスが変わった結果、震災直後の半年間でM3〜6クラスの地震が以前の6〜7倍、それ以降も 3〜4倍の頻度で起こっている。M7クラスが起こる頻度もそれだけ増える。いつ、起こってもおかしくないと我々は考えている。
木造家屋の耐震化で犠牲者を確実に減らせる
我々の研究で、首都直下の地震の震源地となりうるフィリピン海プレート上面の深さがこれまでの想定よりも10キロくらい浅いことが分かり、想定される最大震度も6強から7へと変わった。ただし、これは最悪のシナリオとして出てきたものだ。
震度6強でも立っていられないくらいの揺れであり、耐震化されていない建物は倒壊してしまう。1981年の新耐震設計基準が採用されて以降の建物は、人が亡くなるほどの壊れ方はしないだろう。
これまで死者1万1000人、経済損失112兆円とされてきた想定は見直す必要があるかもしれないが、被害の大きさが従来の想定の何倍にもなることはないだろう。もともと、大きな被害が予測されているのだ。その備えを一刻も早く実行することが求められる。
もっとも、防災や減災のメニューは既に出揃っている。見直すものは少ないかもしれない。例えば、首都圏には古い木造家屋が密集しているところがある。これらの家屋を耐震化、不燃化するだけで、死者の数は確実に減る。
阪神・淡路大震災では、死者の85%は倒壊した建物による圧死だったが、耐震化された木造住宅は無事だった。これまで言われてきたような対策を、自分自身の問題としてしっかりやることが重要である。
(次回は3月21日、野村総合研究所社会システムコンサルティング部の浅野憲周・上級コンサルタントのインタビューを掲載します)
次の巨大災害への備えはあるか
東日本大震災の発生から1年。未曾有の巨大災害の鮮烈な印象は次第に遠のき、災害に対する危機感も徐々に薄れてきてはいないか。
しかし、首都直下型地震や「東海・東南海・南海」の3連動地震といった次の巨大災害のリスクが消滅したわけではない。むしろ切迫度は高まっている。新たな脅威に対する備えはどうあるべきか。改めて災害やリスクマネジメントの専門家に聞く。
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家入 龍太(いえいり・りょうた)
建設ITジャーナリスト。京都大学大学院で耐震工学を研究し、日本鋼管(現・JFEホールディングス)で地震時の地盤液状化対策などに従事。その後、日経 BP社に転職し日経コンストラクションやケンプラッツの編集などを務めた後、2010年フリーに。中小企業診断士や関西大学非常勤講師としても活動してい る。公式ブログ「建設ITワールド」のほか、ツイッターやfacebookでも発言している。
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