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東日本大震災から1年。被災地では苦難に直面しながらも再生に向けた懸命の努力が続く。一方で、復興事業や補償金などを通じ、膨大なお金が現地に投じられ、一部では復興バブルの様相も見える。住民の労働観をも変える勢いで流れ込むマネー。被災地のもう一つの断面を追った。
ここに1枚の内部資料がある。原発事故対応の前線基地になっている福島県いわき市の現状について、地元の金融機関が業務用にまとめたものだ。
ひときわ目を引くのが、アパートや家屋の建築状況を示す建築確認受付件数。「2011年11月=前年比516.4%、12月=584.4%……」。建築件数が前年の5倍以上という異常な数字が並ぶ。
実際、いわき市内を歩くと、あちこちで賃貸アパートの建設現場が目に入る。街角の不動産業者に尋ねると、常時100〜150件の空室待ちを抱えているという。「バブルと言われれば、バブルに違いない。ほかの業者も同じような状況だと思うね」
いったい何が起こっているのか。
■仮設住宅以外にも避難者が流入
いわき市の人口は33万人余り。放射性物質の影響を恐れる幼い子供を抱える世帯を中心に市外へ避難し、震災直後の3月末時点から6000人余り減った。だがこれは「公式」の数字。実際に市内に住む人は震災直後から2万〜3万人も増えたといわれる。まず原発事故や震災被害の復旧に当たる工事関係者や現場作業員。原発に近い広野町や楢葉町から市内の仮設住宅に移り住んだ避難者もいる。
実はそれだけではない。
仮設住宅以外にも続々と避難者がいわき市に集まっている。震災直後、原発周辺地域に住む人は町村ごとに県内の自治体に分散退避した。このうち原発がある浜通り地区は「スパリゾートハワイアンズ」に象徴される温暖な気候が特徴。しかも、いわき市は原発からの距離に比べ、地形や風向きから放射線量が相対的に低い。
一方、福島市がある中通り地区や会津地区は冬になると厳しい寒さが訪れ、一面が積雪に覆われる所も多い。賃貸住宅が異常な賑わいを見せるのは、寒さが本格化する11年後半あたりから「中通りや会津よりも古里に気候が近い浜通りに住みたいという人たちが急増した」(地元の不動産業者)ためだ。
■バブル膨張期のような好循環
人口の急増は、町に思わぬ特需をもたらした。長引くデフレ下で塩漬けになっていた土地が、賃貸住宅を建てればすぐ満室になる宝の土地に変身。働かなくても保有不動産が利益を稼いでくれる1980年代後半のバブル膨張期のような好循環が生まれた。
前述の内部資料によると、震災後は売上高の前年割れが続いた市内のスーパーやファッションビルも11年末にかけて2ケタ増を記録。原発事故で深刻な打撃を被った漁業と観光の町が一気に息を吹き返した。
「言いにくいが、金回りが良くなっているのは市民だけじゃない」。ある地元金融機関の支店長はこう指摘する。
楢葉町から仮設住宅に避難したという高齢の男性は「みんなお金のことは話したがらないが、家族が多い世帯だと月80万円ぐらい入ってくるらしい」と話す。東京電力が避難生活を余儀なくされた人に支払う「精神的損害」の賠償金は1人あたり月10万円。しかも避難によって働けなくなった分の給料も補償される。世帯主の月給が30万円で5人家族であれば、確かに月80万円が懐に入ってくる計算になる。
「手に職を持ったやつも多い。だけど何もしなくても金が入るのに働いたら損と言って、パチンコ屋や飲み屋に入り浸っている」。別れ際、高齢の男性はこう漏らした。実際、市内中心部の幹線道路沿いのパチンコ店やドラッグストア、スーパーの駐車場は平日午前から満車が続く盛況ぶりだ。
■個人預金が1割以上も増加
避難者の懐事情を象徴しているのが、金融機関の預金量の膨張だ。福島県最大手の地方銀行、東邦銀行では11年9月末時点の個人預金残高が2兆3100億円と、前年比で2400億円近く膨らんだ。同行は預金急増の理由について「震災に伴う保険金、義援金、原発事故に伴う補償金が大幅に増加したため」と説明する。
小名浜港では操業自粛でほとんどの漁船が停泊したままになっている
異変はこんなところにも及ぶ。
いわき市南部の小名浜地区。ここには東北有数の歓楽街がある。2月末、きらびやかなネオンがあちこちに灯る界隈を訪ねた。
震災前は観光客と小名浜港に立ち寄る漁師が上客だったが、風評被害で観光客は激減。原発事故の影響で漁師も沿岸では漁ができない。すっかり寂れてしまっているのかと思われた。
だが実態は違った。
「空いているの?」。客引きの男性に声をかけると、思わぬ答えが返ってきた。「お兄さん申し訳ない。今だと40分待ちかなあ」
裏通りを歩いてみると、どのお店の駐車場もびっしり。「いわき」や「福島」のナンバーがずらりと並んでいた。店で働く山形出身という女性は「去年の夏までは県外から来た作業着姿の人が多かったけど、最近は地元の人ばかり。補償金がもらえるからって、朝から通い詰めている人もいるのよ」という。「どこの人か分かるの」と聞くと、「だってジャージ姿だし、言葉が違うから」と笑った。
復興バブルが起きているのは、いわき市だけではない。
例えば全国の飲食店業界が最も注目する仙台市の歓楽街、国分町。界隈の飲食店2500店舗にお酒を卸すカネサ藤原屋の佐藤裕司社長は「去年の11月ごろから県外業者の出店が目立つようになった。秋以降、50店舗以上は進出したはずだ」という。
こちらも「夏までは作業着姿の集団が目立ったが、最近は保険金や義援金が懐に入った地元の人も多い」(地元の飲食店経営者)。ある国分町の酒店では、震災前まで半年に1本売れるかどうかだった1本10万円以上する高級シャンパンが毎月出るようになったという。
■働かないほど賠償金が多い矛盾
働かないほど賠償金が増える異常な仕組みを何とかすべきではないか――。労働意欲をそぎかねない賠償手法は、文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会の場でもしばしば問題視されてきた。審査会は東電に対し、再生に努力した人や企業ほど報酬が増えるような仕組みを考えるべきだと指摘するが、いまだ妙案は見えてこない。
いわき市北部の丘陵地帯にある「いわき四倉中核工業団地」。ここでは原発事故で操業できなくなった中小企業が申し込むと、14年3月まで無償で敷地を貸してくれる。いわき市によると、これまでに70社余りが契約を結び、30社余りの引き渡しが済んだという。だが現地を訪ねると、軒並みシャッターが下りたままで、操業している会社は数えるほどしかなかった。
そのうちの1社をのぞいてみた。
楢葉町で建設機械向けのエンジン部品を製造していたという東信工業の志田五郎会長は「この近辺ではうちが最初に操業を始めた。だけど急いで再開しようなんて会社はほとんどない」という。被災企業は、事業を再開できなければ、東電に損害賠償金として震災前の利益を請求できる。「一生懸命働くほどお金がもらえなくなるなんて本当にバカな話。だけど賠償金が切れた後、ほかの会社はどうするつもりなんだろう。取引業者だって離れちゃうよ」
働かない人が増え、企業活動が機能停止に陥る――。こんな状態が続けば、地域経済はダイナミズムを失い、被災地再生もままならなくなる。
いったん染みついた補償金や義援金への依存体質はなかなか抜けない。東電が避難生活者に支払う「精神的損害」の賠償金は当初、11年9月から月5万円に半減されるはずだったが、避難者の抗議で12年2月まで月10万円が続けられることになった。だが今後どうなるかは分からない。
政府が冷温停止状態を宣言し、避難指示区域の緩和を進めるにつれ、補償金はいずれなくなる。実際、紛争審査会は3月8日、11年9月に解除した「緊急時避難準備区域」について、12年8月末に「精神的損害」の賠償金を打ち切る方向で調整に入ることを決めた。
■1万人の失業手当が期限切れに
補償金に限らず、被災者への金銭支援はいつまでも続かない。被災地では1月以降、特例で認められた失業手当の延長期限が切れ始めた。厚生労働省によると、給付が切れる人は4月までに最大1万人を超す。2月17日までに切れた3510人のうち、就職できずに求職を続けた人が6割超。本来であれば、金銭支援で生活が支えられている間に被災地の復興計画を詰め、新たな就業機会を提供する努力が欠かせない。だが政治の機能不全もあり、復興対応は後手に回っている。
被災者が依存体質から抜け出すのは難しい。いわき市では原発事故の風評被害で観光業も深刻な打撃を被ったが、いわき湯本温泉は多くの旅館で「満室状態」が続く。
盛況の理由は、復旧工事や原発事故対応に携わる大手企業が旅館を借り切り、現場作業員の宿舎に使っているからだ。旅館協同組合に加盟する27軒のうち、20軒近くが作業員中心か、作業員専用に部屋を提供。一般観光客向けは5軒だけになったという。
観光客の誘致活動も料理や風呂の演出も必要ない。営業努力をしなくても、平日も週末も満室で、きちんと宿泊代が入ってくる。だがこんな状態が長く続くはずがない。復興が進めば、現場作業員は離れ、常連客が離れた温泉街にはいずれ黄昏が忍び寄る。
観光客が離れた温泉街はどうなるか。現実にこんな例もある。
福島市郊外の山あいに広がる土湯温泉。1000年余の歴史を持ち、鎌倉時代の書物「吾妻鏡」にも登場した福島市の奥座敷が今、深刻な状況に陥っている。
JR福島駅の観光案内所で手に取った土湯温泉のパンフレット。旅館案内の欄には「廃業」「休業中」の赤い文字がずらりと並ぶ。震災前に16軒あった旅館のうち、半数近い6軒が休廃業に追い込まれたという。
土湯温泉が抱える悩みは複雑だ。多くの旅館が経営難に追い込まれたのは、激震による建物の損害や原発事故による風評被害だけが理由ではない。不幸にも、原発周辺地域の住民の避難行動が旅館に廃業を決断させる一因になった。
震災直後に休廃業に追い込まれた旅館は3軒。福島県内の温泉地が風評被害による観光客離れに苦しむなか、土湯温泉は原発周辺地域から避難した浪江町などの住民約960人を受け入れ、それ以外の旅館は何とか経営を維持できた。だが11年夏以降、仮設住宅の建設が進むと様相が変わる。
■「温泉街自体が消えかねない」
実は福島市の市街地に比べ、土湯温泉の放射線量ははるかに低い。だが避難者の宿泊を優先させた結果、一般観光客の誘致が後手に回った。避難者が徐々に仮設住宅に移るなか、夏の観光シーズンも観光客は戻らなかった。秋に入り、さらに3軒の旅館が廃業したのはこのためだ。
温泉協同組合は今、温泉を使った地熱発電に活路を見いだそうと動き出している。JFEエンジニアリングなどと組んで地熱発電設備を導入し、売電事業で観光の収益減を賄う計画だ。池田和也事務局長はこう話す。
「福島の人が県外に避難しているのに、県外から観光客を呼ぶのは簡単な話じゃない。観光一辺倒ではなく、高齢者施設や被災者向けアパートへの転換なども考えないと、温泉街自体が消えかねない」
被災地のあちこちで膨らんだ復興バブル。だが被災地の住民も企業も観光業者も決してそれを望んだわけではない。被災地の再生が進むにつれ、人やお金の流れは平常に戻っていく。異常に慣らされないことが再生を確かなものにする。
(小栗太)
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