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最近、私の頭の中は、目新しい概念の事で埋め尽くされている。
というより、その考えはタイトで、スマートなスタイル故に、場所をとらない。
よって、頭の中はそのことで一杯というより、
以前より風通しが良くなっていると言うべきなのかもしれない。
私に喜びだけを齎すその洗練された考えは、
今や私の原動力そのもので在り、
いまや私が唯一、自分と同化する事を許せる考えである。
つまり、私はその考えを生んでもいるが為に、
私だけがその概念へ、命を吹き込む事が可能だとすら考えている。
そして、私はその考えと常に一体であることがのぞましいのであり、
それだけに、私は私に喜びを齎すのである。
既に考えるヒントを出した感もあるこれらのことは、
内容は比較的理解しやすいものである筈だ。
此処に書くかどうかを躊躇うほどに難解なものであるわけではないのだし、
理解出来る方も、今では、大勢居るのかもしれない。
そうなれば、大分世の中も様変わりするだろう、などと考えつつも、
その事が私にとって主たる目的となっているのでもない。
いつか書こうとは思ってきたし、トライはしてみたいと考えている。
けれど、しっかり手順を踏まえて書こうとすると、あまりに厖大すぎて、
実のところ、書きそびれつづけて、はや数ヶ月。
いまや、しっかりと溜め込んでしまった感があるのである。
何を切って貼っつければ、皆に理解出来るようになるかだけを考えてしまうと、
ただ徒に冗長的になってしまう悪いクセを取り戻してしまう。
と、そうこうして、結局、一向に先に進んでいかないまま、
この状況を迎えたのである。
もしかしたら機を逸したのではないかと考える所もあったりで、
その場合は自分の中に静かに閉まっておく事になるに違いない。
もはや好きな事だけを書いていた方が楽しい、という見解に達したのも事実で、
この目新しい考えの端っこと繋がっている。
とにもかくにも、自分の好きな事、楽しい事だけを伝えようとする多くの投稿者の姿勢に、私も同調しようという構え。
そうした考えに至る前段階には、私の見る夢が変わった事があるとも言えるのである。
さらに詳細に具体的に、夢に登場した舞台の備品に至る迄を
余す所なく覚えているので、そこに現れた意匠だけでも、宝の山である。
ここ最近は、そのように快適な夢しか見れていない。
そして、そこから学ぶ事はあまりにも多い。
つい、一昨日の夢は、タクシーを呼びつけるようにしてUFOを呼びつけ、
そこから降り立ったやさしい顔立ちの宇宙人的存在から、
とても使い勝手のいいプレゼントをもらう夢だった。
その機械の説明だけでも、もうひとつの日常のありのままのリアルが蘇ってくる。
要するに、夢から情報を持ち帰る際の手際と解釈の程度もが、
覚醒時の記憶に大きく影響しているだけなのである。
その前日の夢は、岩山の先端と、上空の雲間から伸びてきた細長い岩山の先端が、
まもなく繋がろうとしている現場に居合わせていた。
そこは、何かしらの儀式的な場所か、はたまた、信仰のスポット。
その先端同士を結んでいたのは青い稲妻であり、
私はまもなくその先端が繋がるという間近に際して、
周囲の信徒(?)から煽られるようにしてそこに近づいたものの、
判っていたのだがやっぱりな、という感じで、
先端同士が接触する現場の間近で落雷に打たれて痺れてしまった。
そして、最近の夢の中で極めつけなのは、
ついに私が、個の意識無く存在していた、と云うもの。
私はそこ(夢中)で、"概念そのもの"として、人から人を介在する様に、
伝搬する情報として登場している。
何かしらの情報を司る、概念的存在のような立場としての意識があった。
私が大きく弧を描く様にして、ふわりと街の中を空中散歩する。
例えて、蜘蛛の糸をたらして、街の上空を疾走するスパイダーマンのように、
かなりゆったりとしているが、ポン、ポンと飛び跳ねていく先々で、
そこに居合わせるようにして、私に出会う条件に該当した人が点在する。
しかし、それぞれの人は、その概念(ここでは私)に出会う為の意思決定が、
その人のタイミングでなされたばかりのようである。
つまり、私と出会うそれぞれの人は、
私からすれば時系列に沿って順を追って出会っているようにみえても、
それぞれが私と出会うタイミングは時期的にみてもバラバラである様子。
実は、この夢の中に登場するそれぞれの人の意識もまた、
「私」のように主体的な体験のされ方をして居り、
それぞれの役柄を同時に私が演じているということとして理解できる。
様々な世代の人格や、人間性を夢の中で体験すると云う事は、
これまでも度々見ていたけれども、
どれも単独の主体的経験としてあり、
一連のひとつづきの流れの中の出来事の全てを
登場人物のそれぞれとして体験するなどということは、
かつて夢でも記憶したことがなかった。
というよりも、そもそも私が「なにかしらの概念」として登場している段階から、
「個の意識」なるものは消えていたような気がする。
夢の中では、全く後悔と云うか、恐怖がないので、
前例を作るには好都合な存在形態なのである。
というより私は現実に於いても、夢同様に恐怖がない立ち位置に歩を進めている。
人柱とは、かくも人間関係が希薄な位置に置かれるものであると理解した。
だが、それは実は私のような人間には、好都合なのであった。
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