14. 2014年8月23日 19:32:22
: JFBcDRs0dM
>>13. これはこれは意識がはっきりとして凛々しいくらいですね。たまには暫くの間庶民の感覚で思いつくままを語っても展望を新たにできるのかもしれません。 できないかもしれないが、現実を見て問題意識を共有するならば宗教的な遠回りが野暮な場合もある。 日本の場合、キリスト教と仏教の話となれば言語の違いを乗り越える為に数世紀の時間は必須条件。 決定的な間違いを一つ指摘するが、その意味を考えながらの議論は理解を進展させる為には有効です。
>>御本尊の掛け軸を拝むのは偶像礼拝の一種であろう。 これは我見か誰かの論なのか、大いなる誤解であり間違いであるから認識を改めるべきでしょう。 偶像崇拝は日本でも多くの仏教宗派が行っており、本尊の仏像などは仏具屋さんで売ってる物から国宝に指定され管理されている物まで無数無限に存在しています。今後いくらでも作れるんですから。それらにそれぞれ魂入れなどと何やら儀式などやって本尊と称して信仰する訳なんですね。 しかし法華宗などでは曼荼羅御本尊と呼ばれる仏道における世界観を一枚の曼荼羅に図現しています。そしてその方法とは日本語と漢字を使用した文字を用いて仏教観を描写・図現しているということです。 このことは画期的と言えば画期的であり、正に仏教史上前代未聞の革新的な進歩でありました。そして何故そのような方法が誰にも取り上げられることなく見向きもされず日の目も見ずに十世紀近くも経過したのかといえば、それは日本中が法華経を誹謗し代わりに多くの邪宗派がそれぞれ勝手に邪説を打ち立てて開宗し、それぞれ地域や権力と共存したからです。 むしろ真言宗の曼荼羅は限りなく偶像崇拝に近い意味合いがあると考えられるのではないでしょうか。真言宗の本尊は大日如来の仏像や菩薩の像を絵に描いて図現した物を用いています。偶像でないことには違いありませんが、絵の具を筆で書き上げる一枚の絵を本尊にしています。そして曼荼羅の中心に座して描かれているのが浄土三部経の後に説いた同じく方等部の権経の大日経の仏です。 既に破釈された邪宗派には破釈されただけの確かな理由があります。そこのところを現代人が仮に聞き入れて是正判断を混ぜ込んで正しく理解したと思い込みを強くしても、その宗派が如説を間違ったうえで開宗したが故に宗派の宗義までは正すことができないという厳然たる歴史事実がある訳です。そのことが邪宗の邪義は捨て去られるべき理由があるということなのですす。 今時の時代に一から仏道を極める為に難行や苦行で終業する必要は全くありませんし、たとえ日本放送協会が流してる心の時代をビデオにとって何度見ても分かることなどありません。いーんですとテレビの中の人が言ったらいーんですと思うより仕方がないでしょう。そんな仏道修行は今の時代に不必要ですし誰も理解できません。第一、権経であるが故に無意味かつ無益なんです。 今の時代において仏教が確立されているとは、ただ南妙法蓮華経と唱えて法を求める生き方をすれば、つまり己の信力・行力をが仏力・法力と合い叶うという教えが実教としていきている訳です。普通に如来の常住を体得できる宗派は世界中を訪ねても富士大石寺にしか無いことは法華本門の曼荼羅御本尊を見れば、今の日本の教育水準からするなら恐らく皆が理解できるはずかもしれない。理解できないことはないはずだ。
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