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2014年7月11日
鯛を塩焼きにして酒を飲んだ。
鯛の塩焼きは、数千年の時を越え、いまに受けつがれる「日本の味」なのである。
鯛のアラが買ってあり、どうやって食べるかを考えるに、お腹はあまり減っていない。きのうの炒め物に、油をたっぷり使ったからに違いない。
特に卵の場合、油をたっぷり使うとふんわりと仕上がる。卵のタンパク質と油が何かの作用をするからで、マヨネーズとおなじ話だ。
ただしカロリーは、激増することになるのだろう。
でもカロリーなど、あまり気にする必要はないのだ。食べたいと思うものを食べ、何の悪いことがあるだろう。
しかし体は正直なもので、こうしてきのうカロリーを摂りすぎれば、きょうは腹が減らない。
「体が欲するものに忠実でありさえすれば、困ったことにはならないだろう・・・」
ぼくはそう思うのである。
腹が減っていないから、アッサリしたものが食べたいところだ。鯛のアラを、もっともアッサリ料理するとすれば、やはり「塩焼き」だろう。
鯛の塩焼きは、鯛料理として王道中の王道だ。調味料は、本当に塩だけでよく、他の魚を塩焼きするときのように、大根おろしだの、しょうゆだの、スダチだのを添える必要がまったくない。
下手に味を付けてしまうと、せっかくの鯛の味を損なってしまうのだ。
鯛アラを塩焼きするのは、何も難しいことはない。塩を振って焼くだけだ。
いまは家にもガス台が来て、グリルもあるから、何も労せずきれいに焼ける。
グリルがなければ焼き網でもいいし、フライパンでもきれいに焼ける。ただしどれでやるにせよ、魚がくっ付いてしまわないよう、あらかじめよく熱しておくのは必要だ。
鯛は塩焼き、あとはトマ玉炒めの残りがあるから、それを食べる。
それに農家のおばさんのドボ漬け。
三条会商店街、大宮通を東に入ったところで、上賀茂から農家のおばさんが来て、スグキやら、他のいろいろな漬物やら野菜やらを売っているのだが、このドボ漬けも、化学調味料とは無縁の素朴な味で、毎日食べつづけても飽きることがないのである。
あとは汁物が欲しいところだ。これはすぐに思い付いた。
トマトの赤だし。
トマトの赤だしは、前に食べたかどうか覚えていないが、うまいのは間違いないだろう。赤だし味噌の濃厚な味に、トマトの酸味がいいアクセントになりそうだ。
具はほかには厚揚げ、それに冷蔵庫に鶏肉が余っているから、それも入れることにする。
2カップの水に削りぶしのミニパック1袋と赤だし味噌(八丁味噌)大さじ2くらい、酒大さじ2、みりん小さじ2を入れ、火にかける。赤だし味噌は、煮こむほどうまくなるから、先に入れてしまっていいのだ。
鶏肉と厚揚げを10分くらい煮て、最後に8等分のくし切りにしたトマトを加え、トマトがややしんなりするまで、サッと煮て火を止める。
たっぷりの青ねぎと、一味を振って食べるのである。
さて食事の支度は整った。
酒は、冷や酒。
鯛もいい加減に焼けている。
一口食べ、思わず悶えた。鯛はやはり、王者である。
味付けは塩だけなのに、この上ないうまみがあり、しかも余計なえぐみなどが一切ない。
しかも鯛の塩焼きは、サンマやらの塩焼きとは異なり、冷めても味がまったく落ちない。最後の一口まで、夢見心地の気分がつづく。
この味は、「日本の味」そのものだろう。鯛は単体で、日本の味を、過不足なく体現している。
鯛の歴史は古いそうだ。5千年前の縄文時代の遺跡からも、鯛の骨が出てくるらしい。
縄文時代の人たちも、鯛はおそらく、塩焼きにして食べていたに違いない。
日本の味は、鯛にはじまり、それから様々に新たなものが生み出されても、つねに鯛に立ち返っていったのではないだろうか。鯛が単体で体現する日本の味を、ちがった具材を組み合わせ、どう表現できるかが、日本の料理が歩んできた道であった気がするのである。
途中にいくつもの岐路があったことだろう。特に「ニンニク」を使うかどうかは、お隣の朝鮮や中国がニンニクをふんだんに使うことを思えば、日本人も深く悩んだに違いない。
でも日本人は、ニンニクを使わないことにしたのである。古代からつづく日本の味を、「変えない」ことを選択した。
おかげで今でも、縄文時代の味をそのまま、変わらずに味わうことができる。
鯛を食べ、「これこそが日本だ」と、深く思い至ることができるのだ。
日本は、嫌なところも多い。特に組織になったときの無責任体質は、「耐えられない」とすら思う。
しかし日本が、何か大切なものを、数千年の時を越え、保ち続けていることもたしかだろう。そのことを、ぼくは鯛を食べるたびに、いつも思うのだ。
日本は世界の中でも、古い考えに固執しつづける、珍しい国なのではないだろうか。明治になって「近代」が入ってきても、まさに和洋折衷建築のように取り入れて、根本的なところは変えずにきている気がするのだ。
その近代が、いま大きな岐路に差し掛かっている。
そのとき、近代以前の考え方をいまに残す日本は、「何かできることがあるのではないだろうか」と、ぼくは酔った頭で、ぼんやりと、考えるともなく考えるのである。
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(転載投稿者)
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