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「鎮魂」盛力健児/宝島社‘13年から
≪「山一抗争」勃発≫
あの抗争で、四代目(竹中正久)の親分を失ったんは、山口組にとって大きかった。いや、当時のだけやなくて、その後の山口組にとっても。振り返ってみれば、四代目の死で、三代目の親分から親父(山本健一若頭)、竹中の親分へと引き継がれた山口組の伝統が潰えたんやな。四代目の死を機に山口組は変わっていったんです…。
≪山口組の変質≫
やっぱりバブルというのは人を変えたんやな。その筆頭がヤクザやったわけや。
四代目の親分(竹中正久組長)なんか、人が金持ってきても、「そんな金いらんわい!」言うて蹴る人やった。「金は自分で儲ける」と。だから、袖の下なんか持っていったって、一切、受け取りませんでしたよ。
ところが俺が(16年間の)懲役から帰ってきた頃には皆、カネ。カネ、カネや。おまけに直参同士で足の引っ張り合いばかりしよる。
だからある日、五代目(渡辺芳則)にこう申し出たことがある。
「今の執行部ではあきまへんで、親分、今の執行部、ワシがきれいに“整理”しましょうか?」
しかし、肝腎の五代目が首を縦に振らんかった。それどころか、俺を遠ざけ始めたんや。
それからじきの話ですわ。俺の心が離れる決定的な一言を、渡辺が言いよったんや。
「盛力、俺は田岡(一雄・三代目組長)を越えたぞ…」
(その後、渡辺はクーデターで平成17年引退)。
盛力健児:昭和16年生。元山口組盛力会会長。
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