★阿修羅♪ > 雑談・Story40 > 830.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
金印、真偽の謎を越え燦然と:「漢委奴國王」は(かんのわのなのこくおう)より(かんのいなこくおう)と読んだほうがすっきり
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/830.html
投稿者 あっしら 日時 2014 年 6 月 17 日 02:41:05: Mo7ApAlflbQ6s
 


「委奴」は、イト国とナ国の連合で、現在の(イト=糸島地方)と(ナ=博多あたり)に存在したと考えている。

 イト国は、三国志魏志東夷伝倭人で伊都国と書かれ、「世々王あり」と説明されているところである。(ナ国は奴国と表記されている)
 この伊都国の何代か前の王が金印を得たと思われる。
 このような見方は、「まぼろしの邪馬台国」で宮崎康平氏が提示している。イナ国で米作が広まったことから稲をイネと呼ぶとも説明されている。また、今は糸島半島であるが、糸島はれっきとした島であった。金印が発見された志賀島は、糸島と博多湾を挟んだ位置関係にある。

 三国志魏志東夷伝倭人に書かれている「倭国大乱」は、イナ国の王権が崩壊し、共立された邪馬台国卑弥呼の王権が成立するまでの政治的対立期間を指していると思われる。
 このような争乱を考えれば、イナ国の王権にとって権威の象徴であり政治的に極めて重要な金印が志賀島に埋もれていたとしても不思議ではない。

 金印の真贋については、組成分析などでわかるが実施していないので不明。

====================================================================================================
[芸術と科学のあいだ]
(18) 金印、真偽の謎を越え燦然と

福岡伸一

 バランス、対(つい)、版画、鏡文字、印影。そんなキーワードで世界の芸術と科学の足跡を眺めてきたが、印影といえば、わが国にもたいへんなお宝がある。

 それは福岡市博物館奥の特設ガラスケース内に鎮座している。金印である。文句なく国宝。一辺23.5ミリ。もし手のひらにのせることがかなうなら、100グラムを超えるその重さに感動することだろう。

 誰もが歴史の教科書で習ったとおり、金印は1784年、農民・甚兵衛が志賀島の土中からたまたま発見。貴重なものと直感し奉行所に届け出た。黒田藩の学者、亀井南冥(なんめい)はその印影から、これが、3世紀、後漢書東夷(とうい)伝にある「漢委奴國王(かんのわのなのこくおう)」印であることをたちどころに言い当てた。すばらしい該博ぶりと見事な慧眼(けいがん)だった。南冥はこの功績で黒田藩校館長の地位を確固たるものとする。金印は代々黒田家が預かり、これが後に博物館に寄贈された。

 ところが……なんとこの金印、偽物ではないかという風説がある。南冥の話は出来すぎているというのだ。
 南冥は、黒田藩内のライバル学者に競り勝ち、自らのプレゼンスを一挙に高めたい野心があった。そこで書家、鋳物師、彫師などプロ集団と組んで一大プロット(陰謀)を仕掛けた。それが金印発見だった。そういわれてみると、長年土中に埋もれていたにしては金印には傷一つない。そもそも九州本土にあったはずの委奴国が授かった金印がどうして志賀島で見つかったのか。南冥はその後、突然、謎の失脚を遂げる。それもこの陰謀説に真実味を与える。

 事の真偽を確かめる方法は科学的にはシンプルだ。金印を一部削り取り、それを元素質量解析と同位体分析にかける。すると金の由来と年代がわかる。ただし国宝にそんな毀損が許されるはずもない。かくして謎は謎のまま、金印は今も燦然(さんぜん)と輝く。
(生物学者)

写真は金印の複製、アフロ提供

[日経新聞6月15日朝刊P.36]

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2014年6月18日 20:27:56 : JFBcDRs0dM

今の時代に生きている我々が詮索して思うことではないだろ。

歴史は当時に生きていた人々が何を考えてどう思っていたかを我々が思いを馳せなければ存在しない。

当時の中国人は激怒したという。 怒るは地獄なりとは釈迦如来が定めた定説です。

そのあたりにヒントが隠されてるとは思いませんか? 

日中は誤解を解消して歴史認識を修復して認識を共有していくべきだ。

大陸と日本国を分つのは日本海でもいいだろ。



02. 2014年6月18日 23:55:56 : STMivheqxw
金印を削らず非破壊法で調べることができないのであろうか。

真贋を確かめることは、学問上意義あることだと思う。


03. 2014年6月20日 07:25:32 : 3cdYZYbVIc
滇に与えられた「滇王之印」、光武帝の子である広陵思王 劉荊に与えられた「廣陵王璽」が中国で出土していて、漢委奴國王と同じものだと確認されているよ。

04. あっしら 2014年6月24日 12:32:55 : Mo7ApAlflbQ6s : aScLY134nY

3cdYZYbVIcさん、コメントありがとうございます。

同じだというのは、サイズや紐を通す部分の構造に関してでしょうか?

金印偽造説は、そのような事実を踏まえたうえで唱えているようです。


05. 2014年6月25日 04:08:51 : wLYl2C4tnk
>>02

今の技術だとやろうと思えばできるのでは、例えできなくてもほの微量、
恐らく外観に変化が見られない程度のμグラム単位の試料で同位体元素の
解析はできるはずで、結局、古墳を宮内庁が調査させないのと同じ理由で
禁止しているだけだろうね。

まーどっちでもいいのだけどね。


  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)  recommend
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
  削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告する?」をクリックお願いします。24時間程度で確認し違反が確認できたものは全て削除します。 最新投稿・コメント全文リスト

▲上へ      ★阿修羅♪ > 雑談・Story40掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧