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少しここで私の事を書こう
私は会社組織を渡り歩いて今が在る
今の私は仕事尽くめで休暇が無い
50日間働き詰めであることすらある
朝は七時から働き帰るのは10時近くである
かつては五時に起床し車で一時間半かけて出勤していたこともある
私が本当にしたい仕事ではないので楽しいと云う事は無いが
それなりに生きる為に奮闘する気分だけは味わっている
別に味わいたくも無いがその事によって
私が本当にしたい役割を果たす為の夢を見つづける事は出来ている
かつて私が社会に抱いていた感想は「程度が低い」というものであった
そしていまもまた同様の感想を得ている
y社に属してたときもk社に属していたときも辞める時には喧嘩別れしている
私はそもそもまともに高校を出ていない
私の性格が招いた事であったが高三の夏に辞めている
そこでは教師を筆頭に高校と云うものの在り方について反感を持つ事が在り
喧嘩別れしている
のちに新たに別の高校で三年の月日をかけて高卒という"称号"は得たが
その価値の恩恵を未だに理解した事は無い
私側についてくれた教師はその学校を辞めて
新たに入り直した学校に赴任して来た
何故そうしてくれたのかは知らない
だが私はその教師の想いに頭が下がらない
私は社会と云うものに疎かった
今もそうかも知れない
勉強と云うものは好きだったが社会の仕組みには馴染めなかった
今もそうである
周囲の雰囲気が変わって行くことにただ違和感を感じるだけだった
私が普通の人間とは隔絶された生き方をしはじめていると感じる頃には
私は既に社会に適応出来ない考えを幾つも身につけていた
私自ら自身をそのように導いていた事は確かだと言える
ある時期私が在籍していた会社が在り
そこははじめて私が社会のしくみに触れた場所でもあったが
新たに幼稚園に入り直したのかと思っていた
そこには年に一定期間だけ働きにくる青年が居た
彼は口数も少なく自信なさげな態度が気になるが至って根はまじめであり
自由できままで一向に人の下にくだらない私よりも会社の気質に在っていた
だからそう判断した私は違う会社に移りゆく事を考え
定員が足りないなら私が辞めるのでその子を入れて欲しいと上司に申し出た
するとこう返事が返って来た
「あの子はダメだ ○○くん」
「あなたに仕事をして欲しい」と言う
周囲の人間もそう私を諭そうとした
「あの子も私も何も変わらないです」
私は「他に仕事を探します」と言った
その後の問答はすっかり忘れてしまったがいきさつ上
私は「ここは程度が低いですね」と思っていた事を口にした
すると上司はにこやかにこう言った
「○○くん 世の中全部がそういうものじゃないのかな?」
その言葉が引き金となって私は真顔でこう言った
「では 世の中全て程度が低いです」
するとみるみる上司の顔が赤くなり
「わかった 辞めろ」
そして私は晴れて辞める事が出来
彼は私の後を埋めてくれてもう十年続いている
その彼の居る会社に今私は舞い戻り
現在その頃より自由な身で在籍しているが
彼を視る他の上司社員の目は変わっていない
「彼はどうですか」と訊くと「あの子はダメだ」という
変わっていないのはこの会社の体質や幼稚さである事は
私には重々判っている
十年という年月を経ても社会を維持する骨組みは何も進歩していない
その会社を辞めた後
人の為と思ったからこそ薬を売る営業をしていた時も在る
そして田舎に営業に出向き愕然とした
その在籍した製薬会社の横暴さが目についたからである
一か月で風邪薬と称する一箱1500円する薬を
精神安定剤代わりに十五箱も消費する客も在った
置いてきたら置いて来ただけ売り上げが在る
二箱飲まれていたら次は四箱置いて来る決まりであり
四箱消えていたら次は八箱置いて来るのが鉄則である
私はすぐに薬を売るどころか回収して歩いた
販売薬を飲まなくても食べ物で改善出来る病気が幾つも在る事を話して歩いた
膝の痛みの原因はけしてCMのような話だけではない事も
身体の改善には信念の持ち方が大事だと云う事も
変わった薬屋が来たと言われて得意げになっていた
だが持ち帰る売り上げはない
それどころか会社の不損益に貢献している
しかし一軒一軒一時間も話をして回った
気付くとそんな時間が経っている
ノルマを回りきれずに一件あたりに一時間も何故時間を掛けているのか不信に思われ
よくそれだけ話が尽きないものだと感心されたが
まさか薬を飲むなと言って回っているとは思わなかった事だろう
そうしていると次第に徳s会の被害も目につく事となる
ちょっと膝が痛いと聴くと入院させ
人工骨に換える手術をする
痛みは消えるがもう二度と正座が出来ない身体となる
そして新たに別な部位に痛みを伴う様になる
ひどいものだと感じた
これが社会の実体なのかと思ったものだった
自分のしている事が会社の利益とはならないことは知りつつも
会社に帰ると次は誰を薬付けにするかと冗談まじりに言い合っている
私は我慢するのが大人であり社会なのだと云う事を
自分に言い聞かせようとしていた
だが自分のやっている事になんら光が見えないとわかると
もはやそれ以上どうでも良くなってきていた
もう話はしないでノルマだけを果たせと言われ
ただ薬を置いて来る様支持されていた
次の日また私はその田舎に出向いたが私は疲れ果てていた
胸の苦しさだけが正直に自分であることを自覚させてくれた
もはや生きていたく無いほどすべてに疲れ果てていた
私は嘘つきなのかペテン師なのか
それでも嘘をついて喰って行かなくてはなら無いのか
そんな生き方を目指してきたのだろうか
私はただ自分の思いに正直に居たいだけである
死にたいとそう感じた
そしてふらふらと一本の縄文杉の根元に辿り着いた
私は崩れる様にその太い根元にすがっていた
そして頭を埋めた
不思議と胸がすうっとして閊えていたものが落ちて行く
不思議な瞬間だった
これは以前にも感じた事が在る
もはや私にの手にはどうにもならない
「もう諦めた・・・」
そう感じた時胸からストンと何かが落ちた経験が在る
そして光が見えた
そして決断した
私は気分が悪いと足早に帰ると支店長の目をきっとにらみ見て離さず
あなたのやっている事を私は真似出来ないと告げた
私は何度もこうして人を睨んで来たかもしれない
彼は「俺はおまえのように強くなれない」と力なく言った
そこから私の異端さは強度を増して行った
私の一家への稼ぎでなんとか持ちこたえていた生活も
終に終止符を打つ事となった
私は疲れ果てもう既にすべてを投げ出していた
もともと先代のつくった借金があったのだが返済は滞り私ら一家は
ついに先祖代々の継がれてきた土地を追い出される事となった
平成の世に本当に戦時中のような食生活を送り
喰うものが無い日もあった
ただ草だけを食べていたときもある
常に綱渡りの状態で米を買うにもぎりぎりの蓄えしか無かった
それでも普通に仕事をこなしていた私たちを誰も責める事は出来ないだろう
私たちはそれを楽しむ余裕すら在ったのだから
そして長年世話になった家を離れる一週間前の事
私はひとりで懐かしい想い出のある近くの氏神の神社に参った
そして清々しい気持ちで何ひとつ心に煩い思う事無くこういったのである
「訳合ってこの地を離れる事となりました」
「この地に生まれて○○年 住まわせて頂き有り難うございました」
そしておじぎをするとその場を去った
非常に晴れやかな想いしか持たなかった
明日から離れた畑にテントを張る場所でも探そうと話し合っていたときである
その日の午後に突然新しく住む場所が舞い降りた
その氏神の神社のすぐそばの新築の空き屋が空いて居り
特別に到底考えられない破格の値段で貸し出すというのである
次の策を練る事もままならぬ時故すぐに飛びついたのは言う迄もない
しかし新築故にそれ以前住んでいた家より大きく快適であったことは
家を無くしたばかりの文無しにとって奇跡以外に考えられない事であった
そのように今の私の下地はあらゆる私の接する環境に依って
整えられて行った結果なのである
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