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つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-139.htmlより転載
我々の知る「浦島太郎」は明治時代、尋常小学校の教科書用に修正し書き直された新しいものである。それ以前の浦島伝説が文章で残るのは古い順に「日本書紀」「丹後國風土記」「万葉集」「お伽草子」などであるが、そこで綴られる浦島太郎は親孝行な働き者ではなく男前の風雅者であった。乙姫とは浦島が釣り上げた海亀が変化(へんげ)して現れた女人であり、そして二人は夫婦の契りを交わしそのまま享楽の三年を過ごす。が、明治の新政府からしてみれば青少年の健全な育成にふさわしからぬけしからん内容であるため野暮な忠孝者の話に改められた。
しかし日本書紀の浦島太郎にもその前世というか、前身がある。
日本の昔話の特徴として、それが単体の物語であることが無いに等しいほど少ないことをまず挙げたい。土着の「はなし」と遠い国から伝わる「はなし」が出会う。混ざり、重なり、それが時を経るごとに時代に染まり、風俗を着こなしその姿を変え続ける。遠い昔のはなしをそのまま伝えるものと思われがちな昔話は、実は日本という島であたかも人の如く育ったものである。これというのも流動的に文物の伝播がなされる大陸に対し、我が日本列島がいわば袋小路のような位置にあることに大きく由来する。日本の昔話の代表たる「浦島伝説」もその例に漏れずそれぞれ別の伝説から構成された物語といえる。
九州は日向地方に伝わる伝承で記紀にも収められた「海幸山幸」は「浦島伝説」の原型として知られる。
山で獣を狩る山幸彦と海で魚を獲る海幸彦は天孫の子である。弟の山幸彦は兄にお互いの「さち(幸、刺ち)」、すなわち獲物を獲る道具を取り替えてみたいと三度も乞い、ようやく許されて兄から借りた鉤(つりばり)で漁に出るが、一匹の魚を獲ることも叶わず挙句にその鉤を海の中に失くしてしまう。一方、弟のさち(紀:弓矢)にて狩りに出たが何も獲れずに帰った海幸彦は弟から大事な鉤を失くしたことを告げられると大いに怒り、如何にしても返せと迫る。山幸彦は腰に佩いた剣から五百の鉤を作るも兄はそれを取らず、千の鉤を作るも受け入れなかった。
海辺で泣き患う山幸彦のもとに現れた鹽椎~(しほつちのかみ、潮流の神)は、事情を聞くと山幸に小船(紀:目の詰まった籠)を作り与えて載せ、潮を押して綿津見(わたつみ−海つ神)の神の宮に送り届けた。
そこで大綿津見神(海神)の娘の豊玉毘売命(とよたまひめ)と結ばれた山幸彦は綿津見神宮で三年を過ごすが何故ここに来たかを思えば嘆かずにはいられず、その夫を見かねた豊玉姫は大綿津見神にそれを告げて助けを求めた。海の魚という魚を呼び集めて失せた鉤を聞き質し見つけ出した大綿津見の神は、潮盈珠(しおみつたま)と潮乾珠(しおふるたま)を山幸彦に鉤とともに与え、その珠をして海幸彦を従わせる術を授けた。山幸彦は一尋和邇(ひとひろわに、=鮫)の背に乗り陸に戻り、大綿津見神に教えられた通りに兄を懲らしめた。
身篭っていた豊玉姫は海原で天つ神の子を産むわけに行かぬと陸に上がる。子を産む時は決して産屋の中を覗かぬようにと念を押された山幸彦だが、気掛かりに負けてつい産屋の中をみてしまう。すると、もとより八尋和邇(やひろわに、=大鮫)の化身であった姫が本当の姿にもどって子を産む姿がそこにあった。豊玉姫は辱しめを受けたと怒り、子を残して海の中に帰ってしまう。後に神武天皇の父となる、その子の乳母として豊玉姫の妹の姫が山幸彦のもとに送られ、やがて妻として迎えられる。
本稿は「浦島伝説」の原典をどれだけ遠くにまで求められるかを考察するものである。まず「海幸山幸」とともに分解して要素を整理し、一般史観と筆者の偏見による解釈を羅列したものを前編、そして中東の伝承を加えて再解釈したものを後編として書き記したい。そんな考察をしなくても地球は回るのだが、味気ない現世を放れて束の間の心の旅をするのも悪くはない、と、そんな思いにお付き合いいただけるならば恐悦至極。さればさっそく分解してみる。
「浦島伝説」
い) 亀(じつは乙姫)との遭遇
ろ) 異界(竜宮城あるいは蓬莱山)への旅
は) 乙姫との三年(現世での三百年)の蜜月
に) 両親への思いに駆られ暇を乞う
ほ) 乙姫から玉くしげ(=大事な物の箱の意)を授かり陸に戻る
へ) 三百年経っていた
と) 玉手箱を「開けてはならぬ」約束
ち) 約束を破ることで乙姫との離別が確定する。
「海幸山幸」
イ) 兄から借りた鉤を失い責められる
ロ) 異界(綿津見神の宮)への旅
ハ) 豊玉姫との三年の蜜月
ニ) 兄との決着をつけるために暇を乞う
ホ) 大綿津見神から宝珠と兄を征伐する方法を授かり陸に戻る
ヘ) 兄を懲らしめ、恭順させる。
ト) 豊玉姫の出産を「見てはならぬ」約束
チ) 約束を破ることで豊玉姫との離別が確定する。
異界の者が人の女に姿を変えこの世の男の妻となって幸せな日々を送るも(は)(ハ)、男が「見て(開けては)はならぬ」の禁を破ることでそれが崩壊するという筋書き(と)(ト)は「つるにょうぼう」「くわずにょうぼう」「羽衣天女」などに共通するおなじみのものであり古くはイザナミとイザナギの別れに、さらには遠いギリシアのオルフェウスやパンドラの神話の中にも見ることができる。男と女はそもそも生きる世界が違うことの現われなのか。だからして、ここは古代伝承における普遍的要素の一つと解釈してやや遠巻きに見るべきである。本題をここに求めてしまうと道に迷いかねない。
「海幸山幸」にあって「浦島伝説」にない要素のひとつに「兄弟の争い」が挙げられる。この「海幸―」の根幹ともいえる顛末は海幸彦の子孫とされる隼人族が山幸彦の流れを汲む朝廷と敵対しつつもやがて恭順してゆく経緯であり、発端(イ)からして「浦島―」には描かれていない。稲作に向かない九州地方に住む隼人族は朝廷の米による徴税に酷く苦しめられて反乱が絶えず、朝廷も手を焼いたが王朝としての力が蓄えられる過程でこれも制圧されたことを物語る。
「海幸―」における姫の父親の大綿津見神は日本土着の海の氏族の長と考えることができる。彼らが朝廷に協力し(ホ)、さらに一族の娘たちを妃として朝廷に嫁がせていたことが伺える。一方の「浦島―」に海神は登場せず乙姫がその役を兼ねて勤めている(ほ)。
二つのはなしに共に現れるのが海の生き物、「浦島―」では亀、「海幸―」では和邇(ワニではなく鮫)であるが、いずれも美しい姫の姿となり三年の甘い月日の伴侶として過ごしたとある。亀が長寿の象徴であることからも、明治以前の書物には竜宮城ではなく蓬莱山と記述されていることからも「浦島―」が神仙思想の影響を受けていることがよくわかる(ろ)。蓬莱山とは中国の神仙思想でいう不老不死の仙人のすむ理想郷をさし日本では古代からその山が富士山と結び付けられていたことは竹取物語や除福伝説にも見られる。
豊玉姫が「八尋和邇」の化身であったこと、また「一尋和邇」が山幸彦を陸に送り届けたことは海神の一族として描かれているのが謎の古代氏族・和邇氏である考えられる。系図の上で五代考昭天皇の血脈とされる和邇氏は富士山を祀神とする浅間(せんげん)神社の神官を代々つとめた家系である。富士山の怒りを鎮めるための神事を預かり、和邇氏の娘たちの中から巫女が選ばれた。巫女を妻に娶ることは天皇にのみ許されていたが、和邇氏からは多くの娘が妃として六代考安天皇に始まる歴代の天皇に嫁いでいる。
初代神武から九代開化までの天皇は実在性が薄いとされ神話と史実の間を埋める架空の存在とする見方が強い。それに対し日本に古来から存在した倭人の王朝の系譜を天孫系(大陸系)王朝たる大和朝廷が吸収し我が物にしたとする説もある。いずれにしても記紀はそれを覆うために創られた血統書であると考えられている。後者の系譜吸収の説を採るならば、和邇氏の存在はその土着の古代王朝の血筋か、そうでなくとも深い関わりがあるといえる。
和邇氏は元来、安曇氏や海部氏と縁続きの海人(あま)族であり、海神である綿津見神をその始祖として祀る一族であった。船を操って海から河川を登りその生活圏を山に移し、直接政治に関わることはなかったが天皇家の血統の維持には大きな影響を持っていたと考えられている。またなぜ海神の子孫が富士山を祀るのか、それは火を噴く霊峰を牽制するためにはやはり水をあやつる海神と縁続きの彼らがその司祀に望まれたからであろう。天皇家が和邇氏の血を混ぜたがったのはその霊力を我が物にせんとする目論見があったのではないだろうか。
海幸彦も山幸彦も「富士山」と「火」には大いに関わりがある。この二神の母は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ、別名を神阿多都比売−カムアタツヒメ)という富士山に鎮座する女神である。姫はたった一夜を共にしただけで身篭ったために夫の邇邇芸命(ニニギノミコト、アマテラスの孫)に不貞の疑いを抱かれ、不義の子でなければ焼け死ぬことなく無事に生まれるであろうとの「うけひ(=誓約)」を立て産屋に自ら火をかけた。燃え盛る炎の中で生まれたのがホデリ(海幸彦のこと)、炎が弱まる中でうまれたのがホスセリ、最後に炎が消えた中で生まれたのがホオリ(山幸彦)である。木花咲耶姫の父である大山津見神(オオヤマツミ−山の神)は邇邇芸命に木花咲耶姫とその姉であるイワナガヒメの姉妹二人を嫁がせたが、邇邇芸命は醜い姉を送り返していた。と、ここでも妻にした姉妹のうちの片方との離別(チ)が描かれている。
「浦島―」と「海幸―」にともに見られる結婚譚は極めて魅惑的であり物語にとってなくてはならない要素ではある。しかし上にも記したが、これは別の系列の伝承が原典に習合したのではないかと思えてならない。異界の姉妹を妻にするという話は古くは邇邇芸命にその例を見ることができ、それが山幸彦に受け継がれたことは間違いない。さらに「浦島―」にある「乙姫」という名は本来、姉妹の姫の妹のほうを指しての愛称つまり「弟姫―オトヒメ」であり、ここでの乙姫は姉が登場しなくても妹の方であることを匂わせ、物語が「海幸―」を下敷きにしていることを暗示していると取るべきであろう。また征服者に一人ではなく姉妹両方を差し出すという行為が完全服従を意味しているとも想像できる。昔話の結婚譚とは色恋沙汰を装う征服譚である。
これまでの話をまとめてみる。
西日本に拠点を築いた大陸系王朝が勢力圏を徐々に東へと延ばす上で、富士山をその信仰の頂点に戴く東日本の土着氏族(縄文人)との衝突と婚姻を描いたものが「海幸―」と言える。その征服譚を隠し結婚譚を前面に出して叙情的な物語に仕上げたのが「浦島―」である。さらに皮肉なことに「明治浦島」は結婚譚までが隠されたため亀を助けた報いに何故か老人になってしまうという奇妙な物語に成り果てた。
しかしこの物語には征服と結婚だけでは語れない何かがある。異界への旅、そして時の流れ である。
明治以降の「浦島―」では海の中に山があるという物理的な矛盾を解消するため蓬莱山の名が削られて竜宮城と改められたわけだが、それを無視すればやはり異界とは海の底とは限らないようである。和邇氏の系譜もさることながらこの物語からは海と山の間にある不思議な互換性が感じられ、上述の山の神・大山津見神の別名が和多志大神(ワタシノオオカミ−渡しの大神)つまり航海の神であるのも見逃せない。
「丹後國風土記」を見ればあるいは空の彼方へと旅をしたのかという思いにも駆られる。
「即七竪子來。相語曰。是龜比賣之夫也。亦八竪子來。相語曰。是龜比賣之夫也。茲知女娘之名龜比賣。及女娘出來。嶼子語竪子等事。女娘曰。其七竪子者昴星也。其八竪子者畢星也。君莫恠焉。(丹後國風土記 逸文)」
龜比賣(かめひめ、乙姫のこと)に誘われて蓬莱山に至った嶼子(しまこ、浦島太郎のこと)を迎えた七人の童子が、この方は亀比賣の夫君だと相語った。また別の八人の童子も、この方は龜比賣の夫君だと相語った。嶼子が宮から出てきた比賣にそのことを話すと、比賣はその七人の童子たちは昴星(すばるぼし)、八人の童子たちは畢星(あめふりぼし)なので怪しむことのないようにと言った。
昴星、畢星とは、中国の占星・天文学に用いられた二十八宿の中の隣り合った二宿、おうし座のなかにあるプレアデス星団とヒアデス星団を指している。宇宙に引き上げられた浦島太郎が牡牛座の中に遊び、再び地上に戻れば三百年の時が経っていたとされる説の根拠はじつはこの逸文に求められる。勿論ない話ではない。計器と燃料を搭載した宇宙船だけが宇宙への橋渡しではない。
二十八宿の知識は七世紀ごろに渡来人たちが我が国にもたらしたとされるが、月と星の位置を知ることはさらに古い時代から我が国古来の海の民にとっても重要であった筈、天体の運行を熟知した海の氏族が当然存在しただろう。「海幸―」に登場する潮流の神の鹽椎~は「渡し」つまり水先案内人の役を勤めている。すると、ここで邇邇芸命の舅、山幸の祖父、コノハナサクヤヒメの父たる大山津見神、またの名をワタシノオオカミと繋がる。
浦島太郎や山幸彦の旅した先は海か、山か、星屑か、はたまた中国王朝か、物語を読み込めば総てが輪のように繋がってしまうようである。物理的な位置を割り出すまでもなく、万葉集には「常世」と答えが書いてある。われわれが今日まで生きてきたこの世、それを「現世−うつしよ」と呼ぶが、その向こう側は「常世−とこよ」である。仏教でいう彼岸であり、来世ともあの世とも端的に死後の世界とも呼ぶその世界、花は散ることなく緑褪せずして、実り尽きず雪の融けぬ国、時の流れぬその国を常世と呼ぶ。おそらくは現世の者が踏み入れることの出来ないその国を旅し生きたまま戻った者の言い伝えがこの伝承が原典であろう。それを入れ物に結婚譚や征服譚が綴られて各地にさまざまな伝承が残り、太郎たちの行った先はそれに応じて言い換えられ今に伝わった。
そろそろ本題に移るとする。「浦島―」にしか存在せず「浦島―」の心臓ともいえる要素、それは三百年の経過であろう(は)。ではひとまず日本から遥か西方に目を向け、中東の不思議な伝承「アスハーベル・カーフ(أصحاب الكهف)」を記しひとまず筆を置く。以下次号。
偶像を崇拝する多神教の帝国にありながら唯一神を敬う六人の若者たちは皇帝に囚われて投獄され、唯一神を忘れて多神教の神々の偶像に跪くか死罪かを選べと迫られた。牢獄を破り逃げた若者たちはにべもなく現世を打ち捨て、神の教えを貫くために山へ踏み入るとそこに犬を連れて現れた一人の羊飼いが彼らを洞窟に導いた。その夜、羊飼いを合わせた七人は神の教えを今日まで守り得たことを感謝してさらなる大慈大悲を請い、犬に守られながらそのまま眠りにつく。やがて目を覚ますと彼らの中の一人が銀貨を手に糧を求めて町へと下った。目に映る町の様子も人々の装いも大きく変わっているのを怪訝に思いながらもひとつの店に入り銀貨を渡してパンを求めた。店主にしてみればその若者のほうがよほど怪訝であった。なぜなら古めかしい衣服を纏い、手渡された銀貨には数百年前の皇帝の名と肖像が刻まれていたからである。領主に知らせが走り盗掘の疑いで若者は捕らえられた。よくよく話をしてみれば、若者は洞窟での僅かな眠りから目覚めるまでの間に偶像崇拝の時代が過ぎ去り一神教が栄えたことを知り、そして町の人々は三百年前の偶像崇拝時代に追っ手を振り切り姿を消した一神教徒の若者たちが再来したと知る。町は奇跡に沸き返り、その騒ぎは皇帝の耳に届く。皇帝は奇跡の若者たちを尋ねて洞窟へと向かう。そしてそこに至ればまさしく残る者たちと犬が佇み、皆と言葉をかわし、やがて若者たちは再び、しかし今度は深い眠りについたとも伝わり、忽然とその姿を掻き消したとも伝わる。
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