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(回答先: あの世はないという論理の破たん 投稿者 朝田宅朗 日時 2014 年 3 月 20 日 05:14:15)
あの世はあると考えるしかない。
あの世で自分がないとすれば、何も認識できないのだから、在るも無いもない。
この世で自分がないのと同じで、何があっても、無いのである。
全ての存在の前提は、自分の存在である。
そして、自分が存在することが前提であるから、自分という存在がある。自分があれば、同じ他人もあることになる。
次に、人間と似たような死に方をする動物もあの世にいる可能性が出てくる。
つまり、問題は、あの世があるかないかではなく、どのような在り方をしているのかである。
その一つとして、自分以外何もないという世界が想定できるかもしれないが、ほとんど在り得ない。
それは、自然の在り方に基づいて人は考えるし、科学技術もそうであり、また、人間自体が、その自然の仕組みの中から出てきたものであるから、自分がいる以上、父も、母も、他の人もいるのであることは、必然である。
また、あの世があると考えるしかないとすれば、あの世は、この世の延長線上にあることになるから、死を考えればよい。
死は、精神と肉体の分離である。つまり、肉体をこの世に残してしまう。捨ててしまう。その行為の後は、あの世ということになる。
その世界は、この世から、肉体を抜いた世界。肉体がないのだから、物質もないのであろう。
すなわち、この世からの推論するのであり、我々が知っているのはこの世であるから、この世を前提に考えるしかない。自分が前提であり、次にこの世が前提となる。
そこで、物質がない世界が、どのような世界かを推測するしかなくなる。
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