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誰かと話をしている最中に相手の携帯電話が鳴ると、気になってそっちに気を取られます。そんな時は誰しも違和感を覚えるはずです。気を取られるというのは、自分の平常心が奪われ乱れるということです。こうしたことは日常よくありますが、現代人はそうしたもの対してひどく鈍感になっています。
電車の中でヘッドホンステレオを聞いている人間がいるだけで、私はひどく違和感を覚えます。他の人は当たり前のようにしていますが、私は我慢しないで注意します。電車に乗った時に隣に違和感のある人がいると、その日しばらくは自分に運がないと見ます。「今から1〜2時間は気をつけていよう」という気持ちにまります。反面、気持ちのいい人やきれいな女性が乗っていたりすると、「1〜2時間はいいことがもつぞ」と思うことにします。
実にたわいもないことのように聞こえるでしょうが、運のちょっとした波はこんな日常の些細な出来事に表れるのです。
麻雀で勝負をしていた時は、それこそ勝負の前に起こる些細なことがらにとても敏感でした。それによって己の運の向きを感じたり運量をはかることで、「今日はこういう勝負の仕方でいこう」とか「勝負がこんな流れになった時はとくにここに気をつけよう」とか、目前の勝負の有効なヒントにしていたのです。
運に対する感性はふだんから細かなことを感じようとする意識を持てば磨けます。感じる力があれば先に起こることがわかるので現実に間に合うのです。
感じ方には、それが心地よいものか違和感があるかということがひとつの基準になります。違和感があればそこから離れることですが、知識に頼るクセがあると違和感がわからなかったりします。考えないで感じることがひじょうに大切なのです。
(2007年2月20日発行 「運に選ばれる人 選ばれない人」P77 P78
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La Puerta - Laura Fygi
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