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(転載元 ひらけゴマ 1月27日)
http://blog.goo.ne.jp/hirakegoma2013/e/27c5195014e8270c9cf8fd32aaa684fb
空想を楽しむのが
ボクの いちばんの遊びみたいだ
きょうの空想は、共鳴セカイ論
要するに
自分の幻想世界の外にある
ほんものとの共鳴
それが、自分のセカイ物語にイノチを与える
という、じつに、大発見
(例によって、おおげさに)
2日前
空想だけじゃ、面白くない
実際に、体験をしたい
エンジェルさん、助けてくれえー
という悲鳴を上げちゃったんだけど
(1)宇宙の叡智、エネルギーをもらうこと
(2)他者との共鳴に、喜びを感じること
(3)エンジェルの支援を、実感すること
これらを、体験できるよう、助けてくれえー
ということだった
人間は、誰もが
それぞれのセカイ物語の、創造主なんだけど
じつは、けっして、孤独じゃない
他者の魂、天使、宇宙の叡智・エネルギーが
まわりを取り巻いている
だけど、これらの存在は、我々の五感では
感じ取れず、空想するしかない
五感で感じるのは、他者も、天使も、宇宙も
すべては幻想、空想の産物なんだ
ほんものをつかむことは、できない
そもそも、我々のセカイ物語は
すべてが幻想なんだ
だけど、バカにできないのは
それぞれのセカイ物語は、宇宙が見ていて
宇宙の新たな財産として、記録される
宇宙は、我々の作り出す幻想を、欲してる
だから、幻想、空想も、バカに出来ない
人間のやることは、これしか無い、といって
悲観して悲鳴を上げることは、なかったのだ
考えてみれば
五感で感じ取れなくても、第六感がある
他者の魂、天使、宇宙の叡智・エネルギーと
第六感で感じ取り、共鳴できる
夜空の星を見て
五感では感じられない、何かを感じたら
それは、宇宙の本質を、感じたんだ
恋人から、五感を超える何かを感じたら
それは、恋人の本質(魂)を感じたんだ
この、第六感が、詩や、和歌になる
第六感を磨いて、本質、ほんものと共鳴する
これが、日本で、情緒と言われるものだろう
五感だけをたよりに進行してきたのが
今までの、ボクの、セカイ物語
そして、ついに
五感を元にした空想じゃ、もうダメだと
悲鳴をあげたのだった
今になって考えてみれば、その悲鳴は
第六感、情緒をはたらかせて
ほんものからやってくる波動を感じ取り
共鳴したい
という悲鳴だったのだろう
五感だけを元にした
今までどおりの幻想じゃなくて
第六感、情緒をはたらかせ
ほんものと共鳴して得らる、進化した幻想
幻想 v2 (バージョン ツー)
が欲しかったんだね
今までの西欧型の文明は
自分の五感のなかに閉じこもり
その自分の思いだけで、突進してきた
しかし、それはもう限界
すべてが、崩壊を始めている
これからは
セカイ物語を、五感のなかに閉じ込めず
第六感、情緒による、広がりを
幻想 v2 として
実現することになるはずなのだ
ほんものとの共鳴のなかで
それは出現する
というわけで
そのあたりを空想してみたくなった
名づけて、共鳴セカイ論
ほんものは、つかみ取れない
共鳴できるだけ
共鳴は
この瞬間、この場所で、一瞬だけ生じるもの
保存も、所有もできず、常に流れ去るもの
だから、幻想 v2 は
常に流れを追いかけ、感じ続けることで
維持される
それは、諸行無常の、幻想のなかに
イノチの流れを流し込む
詩人、うた詠みのような、はたらきを
セカイ物語の、それぞれの創造主が
おこなうことを意味する
すべてを崩壊させつづける
諸行無常の、エントロピーの流れを
常に新たなイノチを発生させつづける
イノチの流れへと、転換すること
セカイ創造主としての、我々は
自分の幻想セカイの隅々までを
自分の思いで統一しようとせず
自分の思いの外にある、ほんものとの
共鳴に、よろこびを見出すことへ
意識を転換することになる
これこそ、縄文の復活、よみがえり
というような感じで
共鳴セカイ論の空想を続けるのは
面白そうだ
ボチボチと、やってみようか
ところで、いま
自動車をやめて、自転車にして
サイクリングを楽しもう
なんて思ってるんだけど
周囲と、ていねいに向き合うことになって
ほんものとの共鳴に、つながりそうだよね
楽しみなんだなあ
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