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昨日はカブがあったから、豚肉といっしょに吸物にした。
これを肴に酒を飲みながら、「都知事選が日本が変わるきっかけになってくれたらいい」と、改めて思ったのである。
こう寒いと温かいものが食べたくなるのは、
「あたり前田のクラッカーだぜ」
という話なわけで、そうなるとぼくの場合、「吸物」が大きな選択肢になってくる。
「吸物は酒の肴にならない」と思う人も、もしかしたらいるのかなと思うのだが、たしかにビールや焼酎にはイマイチかもしれないけれど、日本酒の燗酒には最高なのだ。
だいたい吸物には、調味料として日本酒も入れるわけで、これが日本酒に合わないというわけがない。
日本酒との相乗効果で体はほっこりと温まり、さらに酒を飲むことによる喉の渇きも抑えてくれるのである。
昨日はカブがあったから、これを豚肉とあわせて吸物にした。
カブはやはり、肉との相性がいいと思う。
カブは茎と葉もまるごと使う。
茎と葉はいっしょに煮てしまわずに、下ゆでしておいて後で合わせるようにすると、色落ちがせずきれいに仕上がる。
カブはとにかく、「厚く皮をむく」のが最大のポイントだ。
カブの皮は筋張っていて、大根とちがって煮ても柔らかくならない。
皮は捨てずに「じゃこ炒め」にすればおいしく食べられ、無駄になることもない。
それからカブは、茎を少し残しておくとかわいいわけだが、この茎のあいだに詰まった砂を竹串で突いて取っておくようにすると、見た目的にはいいのである。
吸物を作るには、やはりだしは、自分で取るに越したことはない。
4杯分、4カップ半の水に、5センチ角くらいのだし昆布と、昨日はちょっとかつおを利かせめにしたかったから、かつお節のミニパック6袋をいれて中火にかける。
煮立ったら弱火にし、アクを取りながら5分くらい煮る。
最後にザルで濾しとれば、だしは出来上がりという話である。
ちなみにだし殻は、その場で食べてしまえばそれが一番手間がはぶける。
ポン酢に一味でも、わさび醤油でもからし醤油でも好きなのをかければ、料理しながら飲む酒のうってつけの肴になる。
だしに、かつお節を多めにいれたから、酒は少なめの大さじ2、うすくち醤油大さじ4、みりん大さじ1をいれ、まずは6等分にしたカブと、熱湯をかけて油ぬきし、食べやすい大きさに切った油あげを煮る。
とにかくカブは、大きなのはいいのだが、直径5センチくらいの小さなやつは、「煮過ぎない」のもポイントで、煮過ぎると溶けてなくなってしまうから注意が必要だ。
1〜2分煮たところで、熱湯で湯通しした豚こま肉をいれ、2〜3分煮る。
豚肉も煮過ぎないのが大切で、合計の煮時間は5分くらいがいいところだろう。
塩ひとつまみを入れた水でサッとゆで、水で冷やしてよく絞ったざく切りの葉と茎を、最後に汁で温めて添えるようにする。
一味でも振れば、天国行きはまちがいないところである。
やわらかく煮えたカブに、豚肉のだしがしみている。
たまらないわけっすよ。
あとはこないだの生節の汁で煮た高野豆腐。
生節の煮汁は3倍くらいに水でうすめ、水にひたしてよく絞った高野豆腐をコトコト10分くらい煮る。
一つには一味を、もう一つには粉山椒をかけて食べる。
これは「酒房京子」で覚えたやり方なのだ。
レンコンの甘酢漬け。
これは今回大変うまく出来た。
すぐき。
前はすぐきの茎が歯につまるのが嫌だったのだが、最近は通っている歯医者のかわゆい衛生士の指導のおかげで、毎日歯間ブラシをするようになっているから、気にならないのである。
酒はぬる燗。
昨日はこれを飲みながら、
「今度の都知事選が、日本が変わるきっかけになってくれたらいい」
と、改めて思ったのである。
というわけで「都知事選」なのだが、昨日細川元首相の出馬会見があったわけだ。
ぼくはこれを見て、不覚にも涙してしまったのである。
実は小泉元首相が日本記者クラブでした会見を見たときも、ぼくは涙したのだが、それは「元首相」などという大きな影響力を与えうる政治家が、
「脱原発」
をはっきりと口にするのを初めて耳にしたからだ。
今の政治家にはホトホトあきれ、
「もう政治には期待しない」
と思っていたから、希望の光がすこし見えた気がしたのである。
細川元首相が今回言っているのは、小泉元首相が言うのと基本的に重なることで、
「このまま原発を再稼働せず、今すぐ原発ゼロを実現しよう」
ということだ。
東京から100キロ圏内、200キロ圏内にある原発で、もし事故が起これば東京も無事ではいられないのだから、原発の問題は、
「十分都知事の課題である」
というわけである。
また
「自然エネルギー利用の技術開発をうながすことで、日本は大きく成長できる」
とも言っている。
「今度の東京オリンピックは、その出発を皆で確認できるものとしたい」
そうだ。
「脱原発」は、何も新しいものではないし、これまでも多くの人が取り組んできていることだ。
「必要である」と思われながらも、既得権益の分厚い壁にはばまれて、どうしたらそちらへ向かうことができるのか見当がつかなかったことだろう。
でもそれを今、「元首相」という人たちが、はっきりと口にするようになっている。
さらに細川元首相の場合には、「選挙」という勝負に出たわけである。
細川元首相は、
「自分には、原発を容認してきたことについて、『世代として』の責任と、さらに『元首相として』の責任と、両方がある」
と言っている。
その責任を感じるから、
「今こそ自分が、エネルギー政策の転換に力を尽くさないといけない」
というわけだ。
ぼくは上の世代の人から、「責任」という言葉を久しぶりに聞いた気がする。
「もうあの人たちは、日本にたいする責任など考えず、自分が安穏と暮らすことしか考えていないのだ」
と、ぼくは今まで思っていた。
ぼくは細川元首相には、「ぜひ勝ってほしい」と思う。
もしも負けてしまったら、安倍政権は勢いづき、
「自分は信認された」
と思うだろう。
そうなれば、これからしばらく国政選挙はないわけだし、日本は一挙に奈落の底へ転げ落ちていくことになるとぼくには思える。
「太平洋戦争敗戦」のような壊滅的な破局が、避けられなくなるように思うのだ。
まあしかし、京都府民であるぼくには投票権はないわけだし、見ているしかすることがない。
負けたら負けたで、相も変わらず、自分ができることをするだけの話である。
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(投稿者)
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