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国(ハワイ)の滅亡と、アロハ・オエ / ねずさんの ひとりごとより。
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ハワイのことを書いておこうと思います。
◇
18世紀末に、
ハワイを発見したのは、有名なキャプテン・クックです。
クックを先頭に、ハワイに来島した、
白人たちが持ち込んだのが、
貿易商、キリスト教宣教師たちなのですが、持ち込んだのは、
それだけではありません。
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麻疹、結核、コレラ、ハンセン病
梅毒(ばいどく)も持ち込んだのです。
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これは、かつての太平洋の島々に共通していた事項なのですが、
彼らには、もともと「土地所有」という概念がありません。
その代わり、たとえばバナナの木などは、誰の所有か?」が、かなり厳格に定められたりしています。
そんなハワイの人々に、
▼
欧米から来た白人は、
ただ同然で土地を買い占めました(奴隷売買と同じ搾取(さくしゅ)
なんと、
国土の、75%以上を所有してしまったのです。
◇
ハワイの先住民たちは、
追いつめられ、
クックが来島した頃、30万人だった人口が、
1872年には、わずか、
5万7千人にまでに減少してしまいました。
国民の、8割の人口が失われてしまったのです。
◇
ちなみに欧米=白人=キリスト宗教組織)によって、
植民地化された国は、
ほぼ例外なく、
人口が8〜9割減少しています=大虐殺(女性、老人、子どもも→情け容赦なし)されて。
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なかでも、
もっとも悲惨だったのは、
アメリカインデアンで彼らは、かつて北米に、
約800万の人口があったものが、
欧米人の上陸後、今では、わずか、
35万人にまで人口が減少、
しかも、インデアンの純血種は、いまや皆無です。
今でまインデアンは全員が、白人との混血です。
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これが何を意味しているか?」は、
申上げるまでもないことだと思います=レイプによって)
◇
さて、ハワイ諸島を統一したのは、カメハメハ大王です。
大王がハワイ諸島を統一したのは、19世紀
日本の明治のはじめ頃のことでした。
∞
大王は、欧米人種と対抗するために、明治維新のときの日本と同じように、
一方で彼らから武器・弾薬を買い、
一方で種々の部族がひしめくハワイ諸島を統一したのです。
武器購入資金は、サトウキビ等の輸出など、国内産業の発展によって賄(まかな)いました。
しかし、
輸出相場の変動、疫病の蔓延
白人たちによる暴行等によって、
国力は徐々に衰退していってしまいました。
◇
実は、カメハメハ大王の孫にあたるカラカウワ大王が、
1881年に日本に来日しています。
当時の日本は、有色人種で、唯一の独立国でした。
有色人種の希望の星だったのです。
そしてこれが、外国の大王
つまり、
要人が日本に来た」最初のできごとでした。
◇
来日したカラカウワ大王は、
アメリカ人の随行員らを出し抜いて、
日本人通訳のみを連れ、
密かに赤坂離宮を訪れて、明治天皇との会見を願い出ました。
天皇側は、夜中の訪問を不審に思ったけれど、
とりあえず会見に応じました。
▼
大王は、明治天皇に、
ハワイ王国の内憂外患の窮状を述べました。
そして、
5つの事柄について、日本の協力を要請しました。
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【1】
日本人移民の実現
ハワイ人の人口減少を、
同一種族である、日本人の植民で補う。
【2】
やがて、
王位を継ぐことになる、
姪のカイウラニ王女と、日本の皇族の山階宮定麿親王との婚約
【3】
日本とハワイの合邦(ハワイを日本にしたいと申し出たのです)
【4】
日本・ハワイ間の海底電線(ケーブル)敷設
【5】
日本主導による「アジア連邦」の実現
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しかし、
明治維新後わずか、14年の日本には、
米国と対抗できるだけの力はありません。
やむなく、
明治天皇は、翌年カラカウア大王に特使を派遣して、婚姻を謝絶しました。
◇
ただ、移民については実現し、
1884年、日本・ハワイ移民協約が締結します。
◇
明治18(1885)年、第一陣の日本移民が、ホノルルに到着しました。
このときハワイでは、
盛大な歓迎式典が行われ、
カラカウア大王自身も、これに列席しています。
そして日本酒が振る舞われ、
ハワイ音楽や、フラダンス、相撲大会まで催されました。
◇
明治24(1891)年1月、カラカウア大王が病死し、
後を継いで後継者に、大王の実妹のリリウオカラニが女王に即位しました。明治26(1893)年1月15日のことです。
リリウオカラニ女王は、
ハワイの民衆に選挙権を与えるために、ハワイの憲法を変えようとしました。
宮殿前には、女王を支持するハワイの大勢の民衆が集まりました。
けれど、
この憲法改正案には、ひとつ問題がありました。
この憲法が施行されると、市民権を持っていない白人たちは、選挙権が得られない」つまり参政権を否定されるのです。
米国公使のスティーブンスは、翌16日「米国人市民の生命と財産を守るために」と称して、
ホノルル港に停泊中の米軍艦ボストンから、
海兵隊160余名を上陸させ、政府庁舎や宮殿近くを制圧します。
そして、
軍艦ボストンの主砲の照準を、イオラニ宮殿に合わせます。
宮殿前には、大勢のハワイ市民が集まっているのです。
∞
スティーブンスや、ハワイ最高裁判事サンフォード・ドールら、在ハワイ米国人達は、
この状況で、女王の身柄を拘束し、
王制打倒のクーデターを強行しました。
ハワイの王族や軍
あるいは国民達は、女王奪還を企図し、徹底抗戦の構えを見せたのですが、
市民が人質に取られているという状況を前に、リリウオカラニ女王は「無駄な血を流させたくないと、退位を決意します。
この瞬間、ハワイ王国は滅亡してしまったのです。
危機感を持ったカラカウア大王が、来日から僅か12年後のことでした。
◇
しかしハワイには、
将来の日本との合邦もあり得るという前提で、2万5千の日本人が入植しています。
そこで急きょ、日本から派遣されたのが、巡洋艦「浪速」と「金剛」でした。
2月23日、到着した「浪速」と「金剛」は、
米軍艦ボストンの両隣に投錨します。
艦長は、若き日の東郷平八郎です。
◇
東郷平八郎は、いっさいアメリカ人たちと会おうとせず、会話も拒み、
ただ黙ってボストンの両隣に「浪速」と「金剛」を停泊させました。
もちろん砲門は、まっすぐ前を向いたままです。
完全な臨戦態勢です。
◇
アメリカからしたら、これほど気持ちの悪いものはありません。
両側の日本の巡洋艦の主砲が、ちょっと横を向いただけで、
ボストンボストンは沈没を免れないからです。
∞
東郷平八郎は、実弾をもって戦うのではなく、
米人たちに無言の圧力を与えることで、
ハワイ市民の混乱や、市民に対する白人の略奪を阻止したのです。
◇
かつて日本に来日したカラカウア大王は、
キリスト教宣教師によって禁止されていた、フラダンスを復活させた大王でもありました。
ですからフラダンスの父と呼ばれています。
そして、
東郷平八郎氏と親交があったといわれるハワイ王国最後の女王リリウオカラニ女王が、
作詞作曲したフラの名曲が、あの有名な「アロハ・オエ」です。
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Aloha ‘Oe アロハ・オエ(あなたに愛を)
Ha’aheo ka ua i na pali
Ke nihi a’ela i ka nahele
E hahai ana paha i ka liko
Pua ‘ahihi lehua o uka
Aloha ‘oe, aloha ‘oe
E ke onaona noho i ka lipo
A fond embrace a ho’i a’e au
Until we meet again
山たちこめる雲 霧化し森の間間
さがす谷咲く花 潤むいのちつぼみ
ふるさと ふるさと
うるわしのああ まほろば
もう一度 抱きしめて
さようならふるさと
とてもやさしい、いかにも太陽の恵みを燦々と浴びた南国の曲という印象がありますが、
そこに歌われているのは「うるわしの古郷、もう一度抱きしめて、さようなら古郷」です。
名曲アロハオエの美しい旋律の陰には、
侵略者に踏みにじられ、
祖国を失ったハワイの民の悲しみが隠されています。
◇
リリウオカラニ女王は、退位し、
ハワイ王国は滅亡(めつぼう)しました。
ハワイは、
退位という現実の前に、
それ以前にあったハワイの、
古くからの文化のすべてが失われてしまいました。
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