http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/656.html
Tweet |
康応四年、戊辰三月十四日、西郷と会して江戸城無血開城を決めたとき、幕府は滅びたが海舟は現実の保全に成功したはずであった。明治二十五年になって、彼は仕事を回顧し、一首の漢詩を試みている。
官兵城に迫るの日
我を知るはひとり南洲
一朝機事を誤らば
百万髑髏と化す
つまり、海舟は、このとき「百万髑髏と化す」の玉砕を避けて、互全の道を選んだ。そしてその選択に
南洲は協力し、江戸百万の民生を救った。明治十年丁互の秋、その南洲が自滅への道程を直進して行ったときも、海舟は「苦学」して旧幕臣をまとめ、薩軍への加担を許さなかった。
だが、それがどうだろう。西郷と私学校党の面々が、ことごとく滅び去ったいま振返ってみれば、「苦学」して互全したはずの現実そのものが、ぼろぼろに崩壊しているではないか。十年間「辛苦経営」して保全して来た現実が、いつの間にか砂のごときものに変わっているではないか。
西郷とともに薩摩の士風が滅亡したとき、徳川の士風もまた滅び去っていた。瓦全によっていかにも民生は救われたかもしれない。しかし、士風そのものは、あのときも滅び、いままた決定的に滅びたのだ。これこそ全的滅亡というべきものではないか。
ひとつの時代が、文化が、終焉を迎えるとき、保全できる現実などはないのだ。玉砕を選ぶ者はもとより滅びるが、瓦全に与する者もやがて滅びる。一切はそのように、滅亡するほかないのだ。
政治的人間の役割を離れて、一私人に戻ったとき、海舟の眼に映じたのはこのような光景であったに違いない。平家が滅び、源氏が滅びたあとに浮上したのが、北條執権の武家体制であったように、徳川が亡び、西郷と私学校党が亡びたあとには、近代日本というものが樹立されようとしているかに見える。海舟は、政治的人間として、いわばこの近代日本というあり得べき国家に賭けて来たといってもよい。だが、それはいつまでつづくか。それもまた、やがて滅亡するのではないか。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。