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社会とは=人間の共同生活の総称。また、広く、人間の集団としての営みや組織的な営みをいう。
◇
こんにち(私たち・・・すべての人類に)突きつけられている問題は、
個人は(単なる)国家・社会の道具にすぎないモノなのか?
それとも、
社会の終極目的(物事のおわり。最後。はて)としての存在であるのか? ということです。
◇
個人としての、
《あなた》や《私》は、
国家や、社会によって、
使用(利用され)指図され、
教育され、統制・規制されて(知らず知らずのうちに)、
一定の鋳型(いがた)にはめ込まれて、ロボット(機械のように)生きていくのでしょうか?
∞
それとも、
国家や、社会は、
私たち一人一人の個人のために存在しているのでしょうか?
◇
はたして(私たち個人は)社会の目的に利用されるモノなのでしょうか?
◇
あるいは、
単に教育されたり、搾取・さくしゅ(ぼったくられたり)されたり、
戦争のための、
便利な道具(用具として)能率的に、
効率的に(国家・社会・伝統の、気まぐれ・自分勝手な・・・ご都合主義という正義の名のもとに)虐殺されていく、
使い捨ての便利なロボットなのでしょうか?
∞
これこそ(私たち人間に)いま突きつけられている問題です。
◇
◇
私たち個人は「国家・社会の単なる道具であって」その支配下によって、
粘土のように、鋳型通りに象(かたど)られていく(なぐさみもの)なのか?
∞
それとも、
国家・社会は(私たち個人のために)存在しているのかどうか?
という問題は(いまや)全世界の問題です。
◇
さて(あなたは・・・この問題を)どのように解決するのでしょうか?
∞
これは重大な問題だと思います。
∞
もしも個人が《国家・社会の単なる道具であれば》、
そのとき社会は・・・個人よりも(はるかに重要なもの)となります。
∞
もし、それが正しければ、
《私たちは、個人としての人格を放棄(捨て去って)して》、
国家・社会のために、
単なる道具=(奴隷、ロボット)とならねばなりません。
◇
さらに(私たちすべての教育制度を完全に)国家・社会の犠牲となって、
社会のために(都合のいいように完全に変革して)、
個人というものを(使用し・破壊し・殺害し・抹消してしまう)道具に変えなければなりません。
◇
しかしながら、
もしも社会が、私たち個人のために存在しているならば、
社会の果たす役割は(私たち個人を)、
一定の鋳型・パターンに適合させるのではなく、
『個人に自由の感触を与え、自由を要求する気持ちを起こさせることにある』のです。
◇
◇
そこで(いま私たちは)このうちの・・・どちらの見方が誤りなのか?
他者や、書物を、鵜呑み丸呑みにすることなく、
(他者や書物を頼ることなく)自分自身で発見しなければなりません。
∞
あなたは、この問題を『どのように吟味・探求してゆきたいと思いますか?』
∞
これは(私たちの)死活に関わる問題ではないでしょうか?
◇
この問題は、
左派や、右派のイデオロギー(たんなる自我の作り出す企(くわだ)て)によって左右されるものではありません。
∞
もし、左・右に、
振り回されているならば、
(それは事実あるがままではなく)単なる見解・けんかい(物事に対する見方や考え方)の問題にすぎません。
◇
私たち人間の自我は、
非(ひ)理性的なものなので・・・観念(物事に対する考え)というものは、
(常に)敵意と・闘争・混乱と軋轢(あつれき)葛藤を生み出します。
∞
ですから、
(もしも・・・あなたが)左派や、
右派の、
○○思想、○○主義、○○な考えの本や、
(あるいは宗教組織)聖典などに依存しているならば、
(あなたは、キリストや仏陀や)資本主義や共産主義・社会主義などの、
単なる見解(物事に対する見方や、考え方に)依存しているのです=信じているのです。
◇
それらは、
観念(物事に対する・・・考えであって)事実あるがままではありません。
∞
あるがままの事実は(決して否定しませんが)事実に対する見解(物事に対する考え)は、
単なる考えにすぎないので、
(自分のご都合によって)いくらでも・好きなように / 好きなだけ自由自在に《訂正・否定することが》できます。
◇
もし(事実あるがままである真理を)発見できれば(私たちは)見解とは無関係に行動することができるでしょう。
◇
このようなわけで、
今までに《私たち人類が言った観念を(きれいさっぱり)捨て去ることが》必要ではないでしょうか?
◇
右派や、左派(その他の指導者や宗教組織・哲学・書物など・・・すべての見解は)それぞれ彼らの置かれている立場や、
条件から引き出されたものなのです(すべて既知のものです)
∞
従って(もしあなたが)何か?」を発見するために「誰かが言ったこと / 本の中で読んだことに依存すれば・・・鵜呑み丸呑みにすれば、
あなたは(ただその見解に)とらわれている / 見解に縛られているのにすぎないのです。
∞
新たな発見は、膨大に蓄積された博学の知識の中にはありません。
◇
それでは「この真理(基底)を」どのようにして発見すれはよいのでしょうか?
∞
もし発見できれば(私たち人間は)その基底となる真理に基づいて行動するでしょう。
この真理を発見するには(あなたは)あらゆる主義・主張・信念・信仰から自由でなければなりません。
∞
自由であれば(あなたは)見解に縛られずに(その問題を)あるがまま直(じか)見ることがでます。
◇
子供たちの教育のすべては(まさにこうした)子どもたちの目を開かせることにあります。
《いま私たちが一応(たてまえで)やっている教育は(教育という同じ言葉を使っていても、
教育もどきであって)真の教育ではありません。
◇
またこの(あるがままの真理を)あるがまま見つめるためには(静謐・せいひつで明晰である)ことが必要です。
というのは、
あなたは『いかなる指導者にも書物にも・・・依存してはならない』という意味なのです。
∞
あなたが(ある指導者を)選択するのは(あなた自身が非理性的で)混乱しているからなのです。
その結果、あなたの選んだ指導者も混乱してしまうのです。
こういう現象が(こんにち)世界中で起きています。
∞
こういう理由で(あなたは)あなたの道案内や助力を《いかなる指導者にも書物にも》期待することは出来ないのです。
◇
さて一つの問題・考えを解決したいと思うとき、
頭脳は(その問題を)完全に / 全体として理解するだけではなく(その問題の後を)あるがまま迅速(じんそく)に追わなければなりません。
なぜなら(問題そのものは、ダイナミックな・・・あるがままの生物なので)決して静止していないからです。
∞
飢餓(きが)や貧困の問題でも / 心理上の問題でも『問題は常に(事実あるがままで)新鮮で / 生々しく、ダイナミックで新しい』のです。
また、危機というのも常に新しいのです。
ですから、
「問題を理解するには」精神はいつも新鮮・明晰・冷静沈着で(かつ)その問題を追求するときは(あるがままを追跡して)迅速に動かなければならないのです(あまりにも素早いので・・・考えていたら見逃してしまう)
私たちは(たいてい)自分自身の心の(精神の内部の革命が)焦眉(しょうび)の急であり、
この精神内部の革命だけが・・・外部の(つまり)社会の根源的な / 根本的な(根元からの変換を引き起こすことができるのだ)ということを認識しているように思います「この問題は、私自身のみならず・・・およそ真面目に物事を考える人たちの心を占(し)めている問題です」
要するに、
いかにしてこの社会に《根本的で徹底的な変換を起こすか?》ということが(私たち世界人類の)共通の問題なのです「もちろん(このことは)国家・社会にとって(邪魔者・反逆者なので)消しにかかってくるでしょう」
∞
繰り替えしていえば、
この外部の変換は《私たち人間の》心理的な精神内部の革命が伴わなければ(絶対に)起こり得ないのです。
◇
国家・社会が、腐って死んで沈滞し(ダイナミックなものではなく静的であれば)この内部の革命抜きで行われた《いかなる運動も改革・改善も》すべてが同じように腐って、沈滞して(淀んで腐り)静的なものになってしまうのです。
従って、この(煮えたぎるダイナミックな)絶えざる心の内部の革命がなければ(いかなる)希望もありません。
なぜなら、
精神内部の革命がなければ「外部の行為は自ずから」反復的で機械(ロボット=操り人形=奴隷のような)習慣的・既製品・打算的なものに堕(お)ちてしまうからです。
◇
国家・社会は《あなた》と《他の人》との、
《あなた》と《私》との・・・人間関係の働き(投影)なのです。
それゆえ、
この不断・ふだん(絶え間ないこと)の内部の革命と、
この創造的な心理の変換がないかぎり(その社会は、死んで腐ったゾンビのような)静的なものになり(新鮮で、活き活きしてダイナミックな)活気のある働きを失ってしまうのです。
∞
国家・社会が、死んで、腐って、静的で・頑固で、硬直状態で、コンクリートのように固まって固定化し、
(固まってしまい)そのため《繰り返し・くりかえし / 何度も・なんども)粉砕されなければ・・・ならなくなるのは、
この(私たち人類の)精神内部の意識的な革命を欠いているためなのです。
私たち人類の(非理性的な・・・歴史を見れば)自ずから明らかなことです。
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