http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/634.html
Tweet |
オランダ(ネーデルラント連邦共和国)は、1794年、フランス革命軍に占領されて滅んだ。
オランダ東インド会社も、1799年に倒産。
しかし、不思議なことに日本では、1795年からオランダ正月がスタートした。
そして、滅亡したオランダの国旗を立てた船は、長崎に入港し続けた。
その船が、米国籍の船だったのだ。
ただし、1808年、オランダ国旗を掲げた英国籍の船フェートン号の場合は、追い返された。それが、フェートン号事件。
オランダ国旗を立てればどこの国籍の船でもよかったわけではなく、米国を選んで貿易をしていたことがわかる。
1797年(寛政9年)にバタヴィアでオランダ東インド会社と傭船契約を結んだアメリカの船は、セイラムから日本に向けて出航した。そして、1799年にオランダ東インド会社が解散してもなお、1808年(文化6年)まで、セイラムを出航したアメリカ船との日米貿易は続いた。ただし、その日米貿易は日本とオランダ商館との関係に配慮した特殊なもので、米国船が長崎に入港する際、1795年に滅亡したオランダ(ネーデルラント連邦共和国)の国旗を掲げてオランダ船を装うよう、すでに雇い主を失っていたオランダ商館から要請された。セイラムから日本に向けられたアメリカ船は次の通り
1797年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のイライザ号。
1798年、同上。
1799年、ジェームズ・デブロー船長のフランクリン号。
1800年、ウィリアム・V・ハッチングス船長のマサチューセッツ号。
1800年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のエンペラー・オブ・ジャパン号。
1801年、ミッシェル・ガードナー・ダービー船長のマーガレット号。
1802年、ジョージ・スティルス船長のサミュエル・スミス号。
1803年、ジェームズ・マクニール船長のレベッカ号。
1803年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のナガサキ号。
1806年、ヘンリー・リーラー船長のアメリカ号。
1807年、ジョセフ・オカイン船長のエクリブス号。
1807年、ジョン・デビッドソン船長のマウント・バーノン号。
1809年、ジェームズ・マクニール船長のアメリカレベッカ号。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。