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(略)
■ネトウヨに関する投票・アンケートから
鈴木:はい。みなさんこんにちは。コラボトークの時間です。今日も飛び切り素敵なゲストにお越しを頂きました。社会学者の宮台真司さんです。
宮台:はい。今晩は。
鈴木:昨日(6月16日)、新大久保で在特会としばき隊の「もみ合い」で、初の逮捕者が出たということも受け、ネトウヨについて、宮台さんにきちっと教えて頂こうと思っているのですが、まずちょっとアンケートを聞いてみたいと思います。
今日ご覧の皆さんのうち、自分が「ネトウヨ」であるという意識をお持ちの方が何人ぐらい、何割ぐらいいらっしゃるのかという辺りから伺ってみたいと思います。
はい。15.2%の方が自分はネトウヨであるという自意識をお持ちのようです。ありがとうございました。ちゃんと反応して頂いて非常にフレンドリーで暖かい。感謝したいと思います。では、ネタの第2問。
「自由民主党はネトウヨの同志であると思うか?」
あのこれは15%の方のみお答え頂ければと思います。あ、まあでもいいか。はい。同志であるか否か。お願いいたします。もう今日はさすが宮台さん359人、がーっと増えてきますからね。42%がイエス、ノーが58%という結果が出ました。
それでは次、ネトウヨの皆さんにお伺いしますが、次のうち誰を支持しますか?
「安倍晋三」、「石波茂」、「麻生太郎」、「その他」と。
はい、安倍晋三36.9%、石波茂12.3%、麻生太郎16.1、その他が多いですね。皆さんご協力ありがとうございました。それでは早速、宮台さんに伺っていきたいと思いますが、このネトウヨという言葉は大分馴染みが出てきましたが、この言葉は、使う人によって定義がバラバラですよね。
■ネトウヨはナショナリズムや右翼とは無関係
宮台:ネトウヨについては、歴史的な流れが大事ですよね。1997年に「新しい歴史教科書をつくる会」が出来まして、特に小林よしのりさんが、自分自身もメンバーになって、「ゴーマニズム宣言」と合わせて活動されるようになってから非常に大きくなっていったところ、いわゆる「嫌韓中」という風にいわれるような流れにも繋がっていくのですね。
そういう意味では、当初からネットとは切っても切れない流れがあります。これは、実際に多くの社会学者あるいは若者ウォッチャーの人達も言っており、その1つの記述に、特に北田暁大君が言っていた「繋がりの社会性」があります。ワーキングプア・非正規雇用者を支援する運動、プレカリアート運動のようなものの流れの中で特に言われました。元々ネトウヨだった人がプレカリアートに参加したり、戻ったりというような現象が珍しくなかったということから、北田君的に言えば、ある種のお祭りネタというか繋がりネタとして、たまたまネトウヨが選ばれたり、プレカリアートが選ばれたりするということではないかという議論がありました。
これはネット現象ですから、いわゆる炎上現象がつきものなのですが、例えば「電凸」という動きが起こりました。道徳的な問題を釣り針にして企業の攻撃に回って、東芝を攻撃したり、毎日新聞ワイワイ問題で攻撃したり、色々なことがありましたが、電凸の仕掛け人というのが、実は日本でごく僅かな人数の人がいて、その人達がいわば燃料投下したり、ネタを投下したりして、その炎上具合を競うっていうゲームをやっていたのです。そのカリスマ電凸仕掛け人の1人が僕のゼミにいましたので、かなり詳しい話を聞く事が出来たのですが、この上の方で仕掛けている人間達は、自分自身は内容的なコミットメントって全く無く、実際はどれだけ釣れるかと、ちょうど釣りを楽しむのと同じようにして横で楽しんでいましたね。
そういう一連の流れの経緯を知っていればネトウヨというのは、むしろイデオロギー的な背景とあまり関係がない1つのモブ現象だという風に言うほか無いと思います。
元々在日特権を許さない市民の会の流れを主導してきた人達というのは元々関西で「チーム関西」という動きをやっていて、実はナショナリズムあるいは右翼とは実は関係が無かったですね。
●部落の特権叩きは新住民問題
宮台:僕は関西で育ちました。したがって、在日の方々とか部落の方々と仲良くしたりもみ合ったりしながら、小学生時代を過ごしてきました。
ご存知のように、在日特権、同和特権、組合特権等があります。例えば、良く知られているのは、京都の市バスの運転手の倍ぐらいの給料を、市バスの運転手が取っていたのは組合利権ですよね。同じように大阪清掃局の話とか色んなことがネットでも話題になったと思います。それで特権叩きが起こるようになりました。
しかし、関西で育った人間から言うと、特権叩きというのは新住民現象なのです。関西というのは、元々、同和や在日については差別がすごくて、JR、阪神、阪急等、どの駅のどこに住んでいるかで、大体色んなことが分かってしまうという社会なのです。
僕が若い頃の、昭和40年前後の関西というのは、ちょっとグシャグシャのカオスな所があったので、僕なんかはヤクザの人達の子ども達にケツ持ちしてもらって学級委員になったりしたことがありました。そういう風にしてみんな大人になると、焼鳥屋とかで、たまたま在日の人や部落の人と飲んだりもするみたいな、そういう中でまあ確かに特権はあるけど、昔俺達も色々ひどいことやったからな、償いっていう意味でもしょうがないかな、みたいな感じで、ある種の救助民的な包摂の中で許容されてきたという所があると思うのです。
ところが、そういう事情を知らない新住民が、社会的流動性が高くなると、どんどん増えますよね。増えるとこの方々にとっては、そういう特権というのは、やはりアンフェアなのです。
ある時代以降、かつての旧住民的な包摂を前提とした特権許しはできなくなってきました。これは政治学的に見てもアンフェアなので、擁護しているわけではないですが、在特会のベースにあるチーム関西が勢力を付けていくプロセスの背後にあったのは、新住民問題なのです。
■ネットをベースにルーツを知らない人たちが相乗り
特権叩き自体はナショナリズムとは何の関係も無い。ところがその動きに、ネットをベースにしてルーツを知らない人たちが、相乗りしてくる。これがまさに新住民現象なのです。
さらに、社会がグローバル化によって崩れていく。中間層が分解して、共同体が空洞化していく。そうすると不安で鬱した人が増える。この人間達は溜飲を下げたいので、極端な事を言ったり、排外的な振る舞いをしたりして、盛り上がる。
鈴木:日本では、特にこの10年間ぐらい、相対的貧困率や非正規労働者割合が急上昇する中で、未来に希望を持てない、まさに鬱屈したルサンチマンの裏返しが起きているように思えます。
ハンナ・アーレントはこういう所にある種の全体主義的な起源があるのだと言っており、フランスやオーストリア等でも同じようなことが見られます。
宮台:根っこは基本的にはどこも同じですが、違いは社会的なリアクションの方です。ヘイトスピーチは、外国では基本的に禁止されていて、刑事罰の対象になっているところが多いです。あるいは、名誉毀損されれば巨額の損害賠償も請求出来るという状態になっています。
しかし、日本では、ヘイトスピーカー達がネトウヨという言葉でも言い方でも分かるように、右翼の一種みたいに考えられて、市民社会の中に許容されています。先進国標準って言えば、右翼左翼という問題ではなくて、簡単に言えば「可愛そうなヘタレ」なのだというような理解が一般的です。なので、思想どうこうではなく、如何に地域社会がうまく包摂して、あるいは宗教団体がうまく機能してこういう鬱屈して不安な人達の受け皿になっていくかというのが一般的な議論の方向性です。
■ネットをベースにルーツを知らない人たちが相乗り
特権叩き自体はナショナリズムとは何の関係も無い。ところがその動きに、ネットをベースにしてルーツを知らない人たちが、相乗りしてくる。これがまさに新住民現象なのです。
さらに、社会がグローバル化によって崩れていく。中間層が分解して、共同体が空洞化していく。そうすると不安で鬱した人が増える。この人間達は溜飲を下げたいので、極端な事を言ったり、排外的な振る舞いをしたりして、盛り上がる。
鈴木:日本では、特にこの10年間ぐらい、相対的貧困率や非正規労働者割合が急上昇する中で、未来に希望を持てない、まさに鬱屈したルサンチマンの裏返しが起きているように思えます。
ハンナ・アーレントはこういう所にある種の全体主義的な起源があるのだと言っており、フランスやオーストリア等でも同じようなことが見られます。
宮台:根っこは基本的にはどこも同じですが、違いは社会的なリアクションの方です。ヘイトスピーチは、外国では基本的に禁止されていて、刑事罰の対象になっているところが多いです。あるいは、名誉毀損されれば巨額の損害賠償も請求出来るという状態になっています。
しかし、日本では、ヘイトスピーカー達がネトウヨという言葉でも言い方でも分かるように、右翼の一種みたいに考えられて、市民社会の中に許容されています。先進国標準って言えば、右翼左翼という問題ではなくて、簡単に言えば「可愛そうなヘタレ」なのだというような理解が一般的です。なので、思想どうこうではなく、如何に地域社会がうまく包摂して、あるいは宗教団体がうまく機能してこういう鬱屈して不安な人達の受け皿になっていくかというのが一般的な議論の方向性です。
■ネトウヨはマークシート型の日本教育の犠牲者
鈴木:ネトウヨと言われている人達は非常に気の毒な方だという風に私も思っていて、ある意味で、マークシート型の日本教育の犠牲者でもあるのではないかと。承認欲求に繋がるコミュニケーション教育を日本はきちっとして来なかったので、貧困等を背景とした鬱屈を、社会に受け入れられる形で表現するような学びの機会を与えられなかったということもあるのかと思います。
宮台:そうですね。統計的に見ると、日本の特異的なデータはたくさんありますが、「政府が貧困層を助けるべきか?」という質問に対してノーと答える割合が日本は先進国ではダントツ1位なのです。
ノーと答える割合は、ヨーロッパ標準だと8〜9%。アメリカでさえ2割台半ばです。それに対して、日本は、3割代半ばがノーと答えるのです。
アメリカの場合には、政府を頼る人は左翼だといい、逆に、右翼が反国家主義だと言われます。日本の場合には、アメリカのような自立の文化は無く、国家主義者が右と呼ばれる恥ずかしい伝統があるのですが、そもそも、日本でなぜ政府は貧困層を助けてはいけないのでしょう。調査会社の解釈では、日本の場合は、貧困といっても大して貧困ではないのではないかという風に、まだ日本は豊かだからではないかとされています。
しかし、僕は、日本では、貧困の問題が「共同体の問題」として捉えられていないことが最も大きな理由だと思います。ヨーロッパには、共同体自治を行政が補完するというのが原則であり、アメリカはトクビリズムの伝統のもと、共同体が解決できないものについてのみ、連邦政府が出てくるというのが原則です。
一方、日本ではそのような原則はなく、貧困は、個人や個別家庭の問題と考えられています。だから「なんであんなやつを助けるんだ。俺を助けろ。」みたいに、生活保護の受給者のうちの0.4%にも満たない不正受給の問題に吹き上がりました。
最も恥ずかしいのは日本の生活保護の捕捉率は2,3割しかない。ヨーロッパでは、捕捉率は7割、8割。貧困の芽は、共同体が相互扶助で摘み取れれば一番よいのですが、それが出来ない時には行政が手当てをするべきで、そうしないと共同体の維持が出来ません。逆に言えば、日本は共同体がそこまで空洞化しているので、貧困が個人や個別家庭の問題として理解されているという、ある種の社会の空洞化が起こっているように思います。
■問題は関係性の貧困
鈴木:なるほど。私も、コミュニティスクールやコミュニティソリューションということをずっと言ってきました。経済的貧困の問題もさることながら、まさに関係性の貧困、これが日本の最大の問題ですね。
民主主義の本質は、多数決原理ではなく、自治であり、王様が民衆の生活を統治するのではなく、自らが自らを統治するセルフガバメントというところにあると思いますが、そこが抜けていく中で関係性の貧困を誰が埋めていくのかという話になります。
宮台:そうですね。関係性の貧困というのは、「ソーシャルキャピタル」とも言いますよね。社会関係資本と訳すのが一般的ですが、人間関係資本と訳してほしいと個人的に思っていますが、それにはさらにベースがあり、経済的な豊かさや集会場があるとか、共通の産業基盤があるとか、こちらの方は「コモンズ」、社会的共通資本と言います。
コモンズがあって、その上に人間関係資本が成り立って初めて自治が可能になります。それが成り立たない場合に、実はネトウヨが出てくるのです。
■右翼か左翼かは資本主義の賛否と関係ない
鈴木:右翼や左翼ということについて、その定義も日本では本当に乱れて来ているので、説明をお願いします。
宮台:右翼というと、資本主義賛成で、社会主義的あるいは福祉国家主義的な再配分に反対と言いますが、石原莞爾や北一輝を振り返ると、彼らは戦前の極端な右翼でしたが、資本主義を否定していて、社会主義的な再配分をほぼ全面肯定でしたよね。だから市場や資本主義を肯定するか否定するかということと、右翼左翼とは何の関係もありません。
では何が正しいのかというと、右左は、主意主義か主知主義かの違いなのです。ユダヤ教・キリスト教文化圏にあるような超越的なもの、つまり神様や絶対の真理を信じる超越依存の立場が主知主義・左翼。それに対する批判をする側が主意主義。不条理であろうが理不尽であろうが内側から湧き上がるものこそが全てであるっていうのが主意主義・右翼なのです。
分かりやすい例は、シュライエルマッハという19世紀の有名なプロテスタント神学者の議論です。どうして神が存在するのに不条理、理不尽といった悪があるのかっていう問いです。これにうまく答えないと、神はいないということではないかということになる。回答には2つの方法があります。
一つは、悪や不条理、理不尽の全ては神の計画である。我々は神の計画を知らないので、理不尽、不条理を悪だと思うのですが、神の計画を知っていればそのようには思わないはずだと。我々は不完全な相対者なので、絶対者を知ることは出来ないが、近づけば段々分かるはずだ。これが主知主義です。つまりちゃんと理屈が通っているのだと。
それに対して、神は全能者だから何をやってもオッケーなはず。理不尽、不条理、悪だろうがそれは神が勝手にやるからだと。人には内なる光が存在していて、理不尽だろうが不条理だろうが前に進もうと思う。これが主意主義者の立場です。
■ギリシャも日本も、伝承は主意主義的
鈴木:その分類から行くと、私は完全に主意主義ですね。ヨーロッパの文明では、神は唯一であるのに対して、日本の場合は神々という文化・伝統がありますよね。神々の不条理というものが古事記、日本書紀などのメインのテーマの1つですよね。
宮台:あまりにも重要なご指摘です。ギリシャのパンテオンには実は、複数の神々がいて、神々の間のカオス的な営みが描かれており、そもそもは世の中が不条理、理不尽だということを伝承の形で語り継いでいくという所に大きな目的があったと理解されています。日本の古い伝承もやはり主意主義的なんですよね。神を頼っても、国家を頼っても、偉い真理を頼っても寝首をかかれるので内側から湧き上がる何かを信じる。
鈴木:経済至上主義っていうのは主知主義の塊であって、むしろ右翼というのは、ある種の文化多元主義・価値多元主義ですね。
宮台:元々はそうですね。
■アメリカは経済的自由が尊重されすぎる嫌いがある
鈴木:いつから逆転というか倒錯が起こってしまったのでしょうか?
宮台 それは中々難しい質問ですね。ヨーロッパとアメリカとで事情が異なります。アメリカの保守は、「政治保守」と「宗教保守」と「経済保守」がそれぞれ分岐してしまいます。アメリカの政治保守は、力が弱くなっており、基本的には銃規制の時なんかに出てくるタイプの人達であり、クリント・イーストウッドが典型です。もっぱら力を持つのは経済保守で、これはある種の資本主義的なゲームの中での自分達の権益が守られる限りでの左叩き、あるいは再配分主義者叩きをやる人達なので、実は元々の右という概念にはあまり当てはまりません。
鈴木:物質文明崇拝論者ということですね。
宮台:宗教保守というのは、むしろ超越に依存するタイプの主知主義の方々で、実はこうした分岐が生じたのがレーガン政権の時で、もうグラスルーツの右が立ち行かないので、こうした経済保守や宗教保守も全部連携をすることでレーガン政権を支えようという話になったのです。これが実はアメリカの本質を示していて、ここにコミュニタリアニズムが出てくるルーツがあります。
つまり、かつてのアメリカはこうだった。しかし昔のようなアメリカはもう維持出来なくなったということです。そこで新しい右が必要だということで、それ以降の新しい共和党になったのです。ただし、まだ古い共和党を本義と思う人も多く、アメリカは経済的自由が尊重されすぎるというきらいがあります。
■ヨーロッパは政治的自由に注意が集中
宮台:ヨーロッパではそういうきらいは元々無く、むしろ政治的な自由を主張する人間が過激になって、それこそジャコバン党、ナポレオン帝政、あるいはヒトラーのような全体主義を呼び込むかもしれない危険性が意識されるくらい、元々経済的自由に対する危惧は無い代わりに政治的自由をどこまで尊重するべきなのかっていう所にすごく注意を集中してきたという歴史がありますよね。
■日本の右の歴史はぐちゃぐちゃ
宮台:だから、ヨーロッパとアメリカの違いの中に置くと、日本というのは、よく分からないのですが、歴史的に見ると戦前と戦後は全然違うし、戦後でも戦前の右翼を引きずるタイプの右翼もいたりします。ヨーロッパもアメリカも一貫した歴史の中に右も左もあるのですが、日本は歴史の中でぐちゃぐちゃです。しかし、日本の右翼全部がそうかというと、以前護国団という暴力団体の石井団長という方と20年ぐらい前に一緒にイベントやった時に、今の右翼はアメリカの政権の提灯持ちして褒め殺したりする国家に従属する存在だったけれども、昔はそうではなかったのだ、むしろ国家に異議申し立てをするような戦前右翼の伝統に連なるはずだったのだが、もはや今の段階では右翼と言われるものの9割以上がそういう「戦後的ヘタレ」なのだということをはっきりおっしゃっていました。そのように言う日本の右翼団体も中にはいたということです。
■ヘイトスピーチの規制はすべきか
鈴木:ヘイトスピーチ規制の話をしたいのですが、私は規制すべきではないと思うのです。ヨーロッパなどではヘイトスピーチ規制というのが公然とありますが。表現の自由というのは非常に重要です。ネトウヨがどれだけ増えているかということもありますが。
宮台:在特会など、ウェブ所のメンバーは増えているようですが、街頭でやる人の数はものすごい勢いで減っていますね。
鈴木:私はその背景になっている何か胸のつかえが溜まる状況を、少しでも直していく、あるいは色々な事をサポートしていくという事をすべきであると思うのです。
宮台:賛成です。日本の統治権力は、自民党の憲法改正草案見ても分かるように、憲法の「け」の字も理解していない人達が憲法改正を謳ったりするという後進的な国なのです。そのことを考えるにつけても、アメリカ・ヨーロッパの統治権力に何か任せるのと、リスクが全然違うのです。ヨーロッパの補完性の原則やアメリカの共和制の原則からいっても、自分達が出来る事は自分達でやる方がよいのですよね。
よくも悪しくも、昔は政治家にはすごくオーラがありました。例えば橋龍さんは、1キロ先からでも光が見えるぐらいものすごいオーラがありました。そういう政治家の方って今は本当にいない。
鈴木:いないですね。
宮台:田中角栄とまでいかなくても、やっぱり昔は浅ましさやさもしさを嫌うというようなある種の矜持みたいなものが政治家にもあったと思います。ところが昨今の政治家同士のやり取りを見ると、そうではなくなってきています。そういうのを見て育ってきた若い人達が、浅ましい、さもしい振る舞いがまるでイデオロギー、あるいはその価値に基づくものであるかのように錯覚する。だからネトウヨがまるでナショナリズムや思想の問題みたいに理解されているのではないでしょうか。それを癒しのナショナリズムだと言う人もいます。しかし、在特会のようなものはナショナリズムと関係なく、新住民現象です。
そこだけ見るとひどいことに見えるけど、全体を良く見てみると自分達はどういうゲームをやってきているのかという時間軸、空間軸を見てみよう。そうすると直接的な感情をセーブして、その感情を越える振る舞いが出来るようになる。実はそれが戦前的な意味での右の本義なのです。
鈴木:直接的な感情を抑えるところにリスペクトが生まれるのですよね。リスペクトは押し付けることが絶対出来ないものだと思います。
宮台:だから三島由紀夫は、愛国教育に反対をしたし、徴兵制にも反対したのですね。「なんでこんなにヘイトスピーカーがいるのに国家権力は放置しているのだ!東京都は、警視庁は何やっているのだ!」ではなく、自分達が何が出来るのかということについて見極めはちゃんとした方が良いですね。
鈴木:ヘイトスピーチ規制の賛否アンケート取って頂きました所、規制すべきが3割。で、ノーが7割なんですね。まあちょっと多い、まあこんな感じですかね?
宮台:評価が難しいけれども、ヘイトスピーチが非常に重大な問題になるなということを理解していないからヘイトスピーチ規制しなくてもいいというのが7割という可能性もありますね。この数字自体解釈が難しいと思いますが、多分多くの人はヘイトスピーチの重大さを理解していないと思いますね。
■コミュニティ作りが重要
鈴木:ヘイトスピーチでしか溜飲を下げられない人達にこそリアルなコミュニティ、複数のコミュニティに参画をするチャンスというのを作ってあげるということが非常に重要であって、例えば私が東京オリンピック、パラリンピックをやろうとしているのは、スポーツとか文化というものをきっかけに誰もが参画出来るコミュニティというものを作っていく、そういう仕掛けが非常に重要だと考えているのです。そういう地道なオープンなコミュニティ作りと、ケイパビリティを上げることをしないと、自治は成り立ちませんし、ケイパビリティ値が高くなってくれれば、自尊感情も高くなります。そういうことは国がやるべき仕事ではあるとは思います。
宮台:やるべき仕事ではありますが、国がやるのかというと、やはり僕達一般の国民や市民の責務は非常に大きいと思うのです。
去年、ピースボートに乗った時にちょっとショックな事がありました。エジプトとかインドとかの貧しい港町に行く訳ですよね。すると当たり前ですけども、日本人は昔からそうですけれども、いいカモですからね。カモがネギしょってやって来たので富をむしろうとする訳ですよね。僕が驚いたのは、むしられたり、だまされたりするでしょ。そうするともう2度とインドに来ないとか、エジプトに来ないという若い人がすごく多いのですね。これは僕が若い頃バックパッカーだった時にはありえなかった。日本はすごく特殊で、むしろそういう国が当たり前なのですよね。で、そういう国が当たり前である時に無防備だから騙されたりカモられたりするのです。そういう時にじゃあどうすればいいのかということはちょっと考えればすぐ分かります。それが全然分からないで、もうタイはひどいとかインドはひどいとかね。これはありえない劣化だと思うのです。そういう彼らによく船の中でも言っていたのは、まず自分がどういう存在なのか、自分達がどういう存在なのかっていうのを分かってないのか、分かってないというだけで国際的に恥なので表に出るなよということです。
■直線的な排外主義は恥ずかしいこと
宮台:もう1つ大事なことですが、日本人にも立派な人と浅ましい人がいる。中国人にも立派な人浅ましい人、ザイール人にもインド人にもエジプト人にもそうですね。当たり前だけど日本人の浅ましいやつと付き合うぐらいならね、インド人やエジプト人や在日中国人の立派なやつと付き合った方が楽しいし、実りがあるし、自分の人生が豊かになります。
逆に言えば、中国人だから、インド人だから、アメリカ人だから、エジプト人だからみたいに言ってる人達というのは、さっきかわいそうっておっしゃったけどやっぱり単にコミュニケーションの経験値が少ないのですよね。実際に色んな国でほんと楽しく語り合える友達がたくさんいれば、そういう直線的な排外主義というのは基本的にものすごく恥ずかしいっていう事になるはずなのですね。ただその先の問題として、直線的な排外主義ではないけれどもその国益同士のぶつかり合いにおいてどちらの立場に立つのかっていうシビアな選択迫られる場面がある事は事実ですよ。でもその問題が、中国人だからみたいな話って、僕も中国人の友達たくさんいるし、韓国人も在日もアメリカ人もいっぱい友達いるけど、絶対にありえません。だって自分のその友達の顔を思い浮かべたらそんな事ありえません。
鈴木:この市民社会がネトウヨというのはまあそういうことであってその市民社会の色々な政策形成だ、あるいは一種の判断、そこに影響されないようにとこういうお話がありましたが、そこが僕は重要だと思っています。要するにこれまでの日本の伝統的な良識から言って、ネトウヨの存在というのがそういう本来もっと日本の政治的言論空間に入ってきて欲しい人達がちょっと参画をためらわせるっていう節もありますよね。で、より政治的言論空間というものはもっとこう入りづらいものとかですね、障壁の高いものっていう風になってしまっている事は非常に残念というかですね。
宮台:ただし、このネトウヨ的な現象、ヘイトスピーチ的、排外主義化っていうのが日本だけじゃなくてグローバル化が進んでね、まあ市場によって中間層が分解したり、共同体が空洞化したりしている所はどこでも起こっていることなのですね。それで各国の政治学者の議論をよく読んでみると、どこの国の政治学者もやっぱそれをどういう風に手当てする事でグローバル化と民主主義を両立可能になるのかということが今本当に重要な議論になっています。
そこで皮肉な話だけれども単に民主主義に任せているだけだとうまく行かないから、人と話し合う時の例えば熟議の手続きどうするか。コンセンサス会議型にするのか、あるいは何型にするのかと。
鈴木:これはスキルですね。
宮台:そうですね。皆の為にこういう手順で話し合った方がいいのだっていうのを皆で共有していこう、で、知恵を持っている人がその知恵を語る。内容についてこの人の言う事を聞きでなくて、何を内容として妥当だと認めるかっていう語彙形成の中での手続き、何が知恵として有効なのかという事を知っている人に出てきてもらいましょうと、そういう議論が出てきます。だから話し合えばうまくいくとかね、多数派の言う事が民意ですという低レベルの政治家を如何にして民主主義の語彙形成の中から影響力を削いでいくのかって事ですよね。それが実はとても大事な話でしょ。まあ世界的課題だったですよね。
■熟議のススメ
鈴木:熟議のススメという本を書きましたが、熟議は、文部科学副大臣のときに始めて、全国の1万箇所ぐらいで行なわれています。これは何らイデオロギー的な事を言っている訳じゃなくて熟議の仕方、要するに非常にしゃべりのうまい人と、うまくない人がいたら、うまくない人をもちゃんと議論に参加させる為にはどうしたらいいのかということ、それからこれは会議のサイエンスっていうのがありますよね。日本人は6人〜8人が最も適切なコミュニケーションを発動する事が出来る。で、20人だと殆ど物を言わなくなる。まあこうした20人以上の会議の積み重ねによって、誰もがおかしいと思っていた会議、決定がオーソライズされてしまって色々な組織全体、組織益になってしまうと色々なむしろそういう部分がコミュニケーションサイエンスをベースに、1つの提案をしていて、今、学習指導要領で、小学生の場合は特別活動の中で子ども熟議、そして中学生が中学生熟議というのを始めているんですけど、それともう1つやっぱり大事なことは当事者として考えるという事で、正に基本消費の消費者としてではなくて、結局今のメディア構造っていうのは、まあこれテレビが政治をダメにしたって本も書かせて頂いたのですが、まさにリップマンが言うようにどうしてもルサンチマンが増えている。残念な人達が増えている。で、その人達の溜飲を下げる為に商業メディアは視聴率を稼ぐ為には溜飲が下がるネタを提供するという悪循環に陥っていますよね。
宮台:アメリカなんかもっとひどいですけどね。日本よりもひどいですよね。
●日本はテレビへの信仰が厚い
鈴木:これも先進国全ての課題ですよね。ただ、アメリカはそうでもありませんけどヨーロッパの場合はメディアリテラシー局がしっかりしているので、日本の場合はテレビに対するものすごい信仰があるのですよね。これ北朝鮮と中国とイラクと日本のこれが4強、テレビを信じますかというアンケートをすると。で、逆にイギリスなんかはテレビを信じませんという人が圧倒的に、だからテレビはネタだと思って皆見ているのだけれども、日本の場合はテレビで語られる事はネタではなくて、視聴率稼ぎのネタではなくて実はリアリティなのだという錯覚、ここがメディアリテラシー狭義の問題だという風に思っているのですが、まあそれがある種の合意形成とか政策形成に影響を与えると。
■政治は主知主義的には解決できない
鈴木:それからもう1つちょっと話戻るのですけど、その熟議のススメの中で不用意に合意形成っていう言葉を私の方から使ってしまって申し訳なかったのですけど、政治というのはそもそもジレンマとかコンフリクトとかトレードオフとかこういうものがあるのが現実であって、それは中々容易にはそれこそ主知主義的に解決は付かないと、正解は出ないと。で、あちらを立てるとこちらが立つという常に、正にその絶対矛盾的自己統一の中でそれを何とか収めながら、まあそれはある種の保守主義的な政治観なのかもしれませんけども、そういうものであるっていう事をもっと日本の人達が学習しないとですね。
宮台:そうなのです。多数決というのは実はただの手打ちなのですよね。合意形成とはちょっと違っている。で、それはまあ昔ウィンストン・チャーチルが民主主義は最悪の制度である。まあ他よりましだが。と言った事が本質なのですよね。つまり皆で決めた事は基本的には間違っているから、ほんとは皆で決めるのではなくて、皆でまず参加してフィクションの繭を破るために共同体の絆を作っていこうっていうのが実は参加型包摂民主主義の基本なのです。
それでも、基本的には合意形成に至れないのが普通で、その時に色々な思惑があって手打ちをする、その最もよく知られている手打ちが多数決なのですよね。ところが日本では47年の憲法施行と共に出された新しい憲法の話。右翼左翼の方々がすごくリスペクトされていますが、これを見ると皆で決めた事は大抵間違ってないとか書いてあって、椅子から転げ落ちるのですよね。皆で決めた事は大体間違っているのですよ。
手打ちで納得をしていない人達に対してではどうやって手当てをしていき、そしてコミュニケーションを次に転がしていくのか。彼らが抑圧、鬱屈しないようにどういう風にしていくのかって事が実はポイントなのですよね。
■コミュニケーションをよりよくするには
鈴木:それに対してどのような方針を取ればよいでしょうか。私は色んな多様な関係性の縁付けのチャンスを作っていくのがよいと思っています。コミュニケーションのケイパビリティを付けていくコミュニケーション教育っていうことを日本が怠ってきた。私はそういう意味でさっきもマークシート型日本教育の犠牲者だっていう事を申し上げたのです。
宮台:そうですね。人間が幸せになるためには人を幸せにする事が必要。人を幸せにする人だけが自分も幸せになれるのだよっていうことを言わなきゃダメだと思います。最近は親が浅ましく、さもしく、他を蹴落としたら上に上がって幸せになれるよと考えていたりする。
鈴木:ただ僕はちょっと親の弁護をするとやっぱこの溢れんばかりの商業メディアから流れる、そういう親の不安に付け込んでそれをカモろうとしている商業メディア、市場、視聴率至上主義があって、情報洪水の中でお母さん達は犠牲者なのではないでしょうか。
宮台:そういう立場を取ってもいいですけど、僕はその立場は取らないのですよ。その理由は簡単で、それを言っても始まらないからです。要はテレビを観たり、マニュアル本読んだりしている方々がまず自分の事よく振り返る必要があるのですよ。自分で精察する能力があって、やっぱり初めてメディアも意味のある情報を出せると思うのです。ただ僕はそれが悪循環だと思えるけれども。
鈴木:まあ悪循環ですね。悪循環をどこから直すかということ。そこは要するに自己肯定観に溢れた環境の中でやっぱり育っていくっていう事ですよね。
宮台:そうですね。
■宮台先生からのメッセージ
宮台:すずかんさんは、コミュニティスクールの日本での言いだしっぺでもあるし、実際先程の熟議の実践もやってらっしゃるという事からも分かるように正に参加と包摂を旨とする共同体自治こそが、政治のコアであるべきだって事をずっと主張してこられたし、実践しておられた。民主主義というのはやっぱり共同体自治、つまり参加と包摂の事なのですよね。まあにっちもさっちもいかない時の手口としての多数決がそれはそれで大事かもしれないですが、皆で決めた事がね、多くの場合間違えませんとかってバカな事言っているような人間達に如何に「いや、そうじゃないんだよ。気持ちは分かるけど、そんな単純じゃないんだな。社会は。」っていう風に言っていくのがすずかんさんですよね。だからそういう意味では日本に今後ももっともっと発言を注入していって頂かないと困る。そういう意味では重要な方です。
鈴木: ありがとうございました。今日はですね、宮台真司さん来て頂きまして、私も改めて勉強になりましたというか整理が出来ましたのでね、ほんとにありがとうございました。
******以上転載******
Phil Perry - Living For The Love Of You
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