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鷲は群れない。狼は多少群れます。
虎も獅子とは違って確か群れない…
鷲は翼があるので群れなくても、狩猟にも防御にも不便はしない。
人であれば誰に雇用されずとも職技能が独立している事に類似して。
狼は獲物を追い詰める際チームワークで囲い込む。
狼が鷲を誘っても詮無いことですが、これはあくまでもたとえに過ぎない。
現実には日本に住む同じ人である以上、運命共同体なわけです。
深部細部での食い違いを多く経験すれば、鷲同士はなおさらそれを予期してその翼で飛び立つ。
けれどはっきりぴったりと一致する世界があるのです。
それをこの地上に創ることは不可能ではありません。
師を超えられなかった当方でしたが、師をも超えた存在を知ってしまい、
師から離れ、それを目指す事にしたのです。
師は鷲だったのかも。
思考停止と無神論の状態が似ていることも今は解ります。
師を超えられなかったのに、何故途中で師の元を去ったのか。
師は何でも知っていて、本気ならばそれを無料で教えてもくれました。
ただしその時のレベルで精一杯、一つに凝縮した質問でなければ本気とは看做されず、
答えてもくれませんでした。
そんな途中で師を超える存在が全てを受け入れて微笑んでいるのが見えました。
「何も知る必要はない。遊べ、泣け、笑え、怒れ、楽しめ。そう作ったぞ。」と言っている様に感じました。
絶対の無の夢では最終段階でリラックスした自分がいて、これは瞑想状態と同じ。
白昼夢では至福と同じ状態。つまり至福を取ったのです。
能力や知識を高める必要はない。そのまま至福に呼ばれればよい。
師はその翼にこだわり過ぎた。
けれどその翼が飛べる世界を作った者では無い。
その世界を作った者が望んでいた事は、ここで遊べ。それだけだと。
この喜怒哀楽という感情すらも。
それを使って、正直に迷い悩み背伸びせず、怒れ、泣け、喚け、笑え、悲しめ、楽しめ、感じたままに動け。
昔、ジョージ秋山のはぐれ雲というマンガの一シーンとも同じでした。
どこかで学を修めた評判の学者が大衆に講義していた。
「悟りとは。無とは…」
真剣に聴講する大衆の中にひとりキセルを燻らすはぐれ雲。
女の着物を着て全体に不真面目、無表情でありながら、どこか明るさを漂わす遠い目付き。
不意に学者の前に立ち、キセルの鉄部で頭を強烈に一撃。
その痛さのあまり思わず大声で怒る学者
「何をする!きさま!」
平然と、けれど目を輝かせながら
「へ〜え。無って怒るんだ。」
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