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二兎を追う者は一兎をも得ず
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投稿者 日 日時 2012 年 7 月 28 日 23:50:52: IR1H95zbmUf8k
この社会で封印されて来たある人物の一端を許される範囲でご紹介致します。
兵役を終え奇跡的に生還し、終戦後の東京の焼け野原に佇む二影。ある誓いを確認し合った。
誓いの内容
幾度も、限りなく繰り返されて来たこんな馬鹿げた行為には、いいかげん終止符を打たねばならない。
このような事はもう絶対に、何が何でも、人類に起こさてはならない。
その為の方策を共に練ろう。力を合わせよう。
必ず、共有出来る結論を導き出すのだ。その為に命を張って議論しよう。
全力でぶつかり合い、どちらが勝っても負けても良いのだ。
言い負けが怖くて途中で議論放棄するような弱腰だけは見せるな。それでは、納得して動けはしない。
動く為には、言い訳、泣き言、責任転嫁、一切無用。
ただハッキリと厳格に勝敗を決し、これを認め合う事。気取っている場合ではない。
その真剣勝負のために、予め考え付く限りのあらゆる退路をも断っておこう。
その見えない手錠拘束ルール。
・天涯孤独になったこの機を活かし、時間無制限、命尽きるまで、職にも付かず導き出そう。
・故に、食事、睡眠、排泄以外ではこの議論の中断を認めない。
・結論が出るまでは二体が離れる事を認めない。
・導き出した結論は、必ず共有し実行する。
とりあえずそれだけのルール。
バビロン捕囚牢獄環境での白熱の議論(http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/786.html)
を知る者故にこそ生み出された擬似環境だが、それにも勝る点さえあった。
それは敗戦での兵役解除と護るべき家族や財産、希望の全てを失った者に生まれた時間だ。
ここを絶望や無気力に打ち拉がれず、撥ね退け、無制限にそこに全力を注ぎ込めた彼等の気力の源は何であっただろうか。
それはバビロンの捕囚同様に、やはり「強烈な怒り」以外には考えられない。
それはただの怒りとは一線を画す、極限の怒りであり、個人的感情から生まれたとしても、
巨大過ぎて個人が保てるレベルの怒りでもなかった。
それを昇華し、強いて言葉を探すなら「公の怒り」に変えてしまった強者が二体居た、とでも言っておこう。
そんな強者を知る者からみれば、諸宗教の聖人君子の教えを有難がり、その権威を借り、
その絶対的立脚理念に安心して、のたまう悟りや怒りの否定はただの受け売りにしか聞こえない。
怒りをただ否定するだけでは自己を否定するのと同じ。それは愛をただ否定するのと変りがない。
公の怒りは愛に向い発動し、個人的怒りならば憎悪に向かって発動する。
賢明な読者がこの事に気付かれん事を切に願う。
ここが運命の分かれ道。
さて、彼らの議論の進展に戻ろう。
議論を重ねる内に気付かされた。
戦争を無くす為の議論をしていながら、既に形成済みの譲れぬ互いの見識相違がいつしか攻撃対象になって、
自己への執着や未練、プライドを傷付け合う事で、矮小な個の感情間の争いに度々陥っている事に。
そこでやむ無くそれを乗り越えて進むための新たなルールが設けられた。
案件の進め方(言葉のキャッチボールも使用球=案件は一つ)
・公を求める際、個の感情に支配され、目を濁らせてはならない。
・つまり、冷静で透徹した精神を維持するために、意見に意見をぶつけてはならない。
・どちらの発案であろうが共に議題の中身をひとつずつ吟味し、解決する意識に立たねばならない。
・つまり、同時多数の議題を追ってはならない。追い掛けるボールは一つだけに絞るということ。二兎を追う者一兎をも得ず。
・売文で飯を食う者の如く、追求途上の案件を放置して、他案件を発信する者となってはならない。
・つまり、真剣勝負なら複数案件に遊ぶ事は許されない。その全責任に於いて先行案件を結論し、初めて次案件へ歩を進められる。
議論の進め方
・発案者を投手とすれば、受け手は打者として質問に徹せねばならない。野球の如く(投げる球を待ち、反応せよ)。
(見識相違をいきなり表明してはならない。何故ならそれは既にある自己見識を盲信的に正として発信し返しただけで、軽はずみである。
未だ相手の投げた球=その発信の内容をちゃんと確認吟味した後ではないからだ。)
・見送ってボール、納得でストライク、矛盾点を打ち返す、といった事が質問で、三振、フォアボール、凡打、安打がその質問結果となる。
・もしも疑問点無ければそれは見送りストライク。全て了解で三者三振チェンジとなっても、工夫改良点がある時は投手として発案の改良を発信すればよい。
・発案者がその質問に全て答え切り、質問者の疑問が全て解消されたのなら、その発案は事の大小に関係無く必ず実行に移さねばならない。
・鋭い質問によって答えに窮するならば、立場をチェンジし、その改良を吟味しなければならない。
・或いは根拠を持って、厳しく意見(意見なので質問には答え切らねばならない)し、その発案を却下しなければならない。
・その野球ルールでは言語規定が数学の如き等式、正逆順位付けが定まらない内の議論は不毛だ。
・都合が悪くなればどうとでも言い逃れ出来る様な曖昧な表現、難解な表現は極力慎まねばならない。
・正確で公正な判定の為に、どこから見ても一つの意味しか表さぬ程に、焦点を絞り込んだ言語を共通認識として互いに言質しなければならない。
こうして追求はあらゆる学術大系、哲学、宗教に及んだ。
が、戦争を起こす未熟未完成な人類のそれらの部門からは、もとより解決の糸口を見出す事などは出来なかった。
途方に暮れる二人はただ為す術もなく、それらの基礎を成す、その一字一句の言語をジグソーパズルのピースの様に弄んでいた。
いったいこれまでにこの一字一句の言葉のピースそれぞれが発信している主張を、正しく理解して使用する学術大系はあっただろうか。
…どうやら無い。ならば、この意味の真髄の何たるかを知らぬまま安易に受け取り、しかも誤解し、その上で構築した学術自体、
最初から誤てるスタートを切っている事は自明の理であろう。
人類はこの誤てる学術大系の虜となっているのだ。
真髄を外れたそんな曖昧な言語認識によって、錯誤誘導された、狂気の世界がこの光景を生んだのだ。
そして今後もますます迷路に彷徨い、堂々巡りが繰り返されるだろう。
物質を構成する分子の如く、言語(言葉+漢字+ひらがな)が存在している。
ならば分子を構成する原子の核と電子は漢字とひらがなに相当しよう。
更に原子は素粒子によって構成されるように、特に漢字では文字(数・音・部首=文・字・意味)が素粒子となる。
では宇宙がビッグバン開闢後最初に誕生した素粒子が在る様に、文字の中で最初に誕生した根源の一字があるはずだ。
それを突き止めた時、この複雑怪奇な言語体系に一本の筋が通って見えるに違いない。
希望はそこに見出された。
これを正しく理解し、血肉にした時、初めて人類は曖昧模糊とした霧に漂う夢遊病者のような幻想世界から脱し、
ハッキリと目が覚め、現実世界を直視する事が可能になるはずだ。
唯一手掛りがあるとすれば、一字ずつ語源を遡ること。
ここに人類史上例を見ない新たな学問が生まれた。仮に言語考古学と呼ぶ。
この言語の本質を知る旅は、言語同士を一つずつ辿るという方法が考えられる。
字と字を対比して行けば、例えば、「明」という概念は「暗」という概念なくしては不成立だ。
故にこれは共に同時誕生字であろう。これらの言葉よりも先に生まれた言葉を探す。
概念的に共通するのは「光」。語源的にはその部首「日」「月」「立」。
こうして遂に彼等は最初に生まれた字の根源に辿り着いた。
その根源の字こそ、最強の概念。その創作者こそ、この世界の支配者。
「神」ではありませんよ。それは秘密。
それは敗北を認めなければ明かされぬルール。
こうして自ら求め、妥協を排して行かなければ決して理解出来ぬ事がある。
それは教える事が出来ない、溶鉱炉の情報だ。
その者曰く。「自我と言う根と茎は弱いと枯れる。花を咲かせる迄は強い自我が必要。
その用意の整わぬ(花を咲かせぬ)自我に花粉と言う真理はまだ早い。やがて花粉を迎え入れ、受精する。
そこで初めて(文明は)実を結ぶ。結ばねば滅ぶ。最後に実は熟し、種を宿し、文明は地球外へと拡大する。
二人は東西に花粉となって散った。
そんな実践時、ある友人の奥さんの徹夜での説諭により、明くる朝の感覚に三度目のそれが訪れました。
以来、その素晴らしい感覚は自由に呼び込むことが可能になったのです。
神を受け入れた途端、
神と言う示し申しの世界のトレースから、全てが類推出来る事を知りました。
全ての疑問は消え去り、今では毎日その感覚が手に入っています。
時は少し前後して。
世の中にはどエライ人が居るのです。
これを成人前に確信した時、出会う方法を逆算してみました。
こちらからは見つけられない。
けれどどエライ人なら、向こうからはお見通し。
その人の周波数に闇雲にチューニングする。
まぐれで合えば、気に止めてくれて、その時接触チャンスを与えてくれるはず。
彼はサルの金などは不要な存在。
彼が求めている物は、相手の学ぼうとする必死さだけ。
真剣な態度だけが資格。
そんな時、高藤総一郎の「仙道入門」等をガイドにしました。
それ等をまとめるとこう書いてありました。
行き着く所、人は肉体を脱して、金は要らない体になる。
金を求める師は俗物であるから、学ぶに値しない。
師とすべきは霊界のみに存在する。
そこに行くには幽体離脱しかない。
けれど自己保身や恐れの感情があれば冥界に行くだけ。
或いは悪夢で目が覚めるだけ。
夢で崖から落ちるとする。普通は恐れで飛び起きて目が覚める。
恐れず落下する方向を直視しろ。
やがて猛スピードで接近する底が見える。
激突の瞬間まで目を開き、決して閉じるな。するとふわっと着地する。
底に着くと今度は暗黒の中に無限に続く洞窟が現れる。
入ると中は続々と枝分かれしていて、二度とは戻れない迷路。
恐れずに思う道を進め。
恐れて恐怖した時は目が覚める。
やがて恐れを克服して永久に暗黒の洞窟を進む覚悟を決めた者だけに現れる、遠い微かな灯火が見える。
そこへ行け。
そこに行きました。すると師は言いました。
「よく来たな。で、何が知りたい?」
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