http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/535.html
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以下に引用する渡辺豊和氏は著名な建築家です。氏が2004年に著した本(下記に本の名を記しました)は、元衆議院議員の栗本慎一郎氏を始め歴史愛好家に大きな衝撃を与えました。私もその衝撃を受けた一人です。氏によれば、日本武尊は東北日本を平らげるべく近畿から北上したのではなく、逆、つまり渡来族が南下したと主張します。その渡来族はゾロアスタ教信仰族、従ってシリウス星信仰集団であったと、渡辺氏は書きます。
NHKの番組で森博達氏(「日本書紀成立の真実」、中央公論新社、2011年の著者)がそれを裏付ける発言をされたのです。
ブログ:法螺と戯言より
http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51855910.html
NHKで放映された「BS歴史館」という番組(「空白の五世紀」、7月18日放映)の録画を見せて貰いました。これをご覧になった方も少なくなかろうと思います。そうした方々の記憶が薄れない内にと思い、当初の予定を変更して、このTV番組について二・三コメントしておきます。番組は1978年埼玉県行田の稲荷山古墳で発掘された「銘文が刻まれた鉄剣」をめぐって学者さんが語ります。
(1)銘文に刻まれた「辛亥」について
これを、コメントするには、私の2009年12月28日のブログ記事の引用が不可欠です。その記事で掲載した図をまずはここに再掲します。図は埼玉県南西部です。上方の稲荷山古墳のあたりが行田、氷川神社のあたりが大宮、右下は朝霞です。私はこの朝霞は安積同様「火を信仰するサカ」族に由来すると考えています。これが後世「アスカ」に転化したのです。:
(*****この掲示板に図を載せることにいつもしくじっています。この図は
大変興味深いはずです。上記のブログアドレスをご覧になってください*****)
この記事を基に私は、2010年1月13日記事で以下を書きました:
%%%%%過去記事引用
12月28日の記事で私は一つの図を示しました。それは、あの有名な「銘文つき鉄剣」を出土した埼玉県稲荷山古墳と、その南南西にある志木の位置関係を示したものでした。既に書いたように、鉄剣に銘された「斯鬼宮」(しきのみや)は、奈良盆地の磯城ではなく埼玉県の志木であると私はブログ2009年12月28日の記事、および2008年12月22日の記事で書きました。あの図はそれを論証するためのものです。
そこで、先ずは、稲荷山古墳から見て、志木にある宮戸神社の方位を算出してみます;
埼玉古墳―宮戸 d=33.3733(km),a=163.4781,b= 343.5399
この 163.5度は、(2010年)1月1日の記事で書いた八溝山―鹿島神宮の方位と同一と言っても良いほどです。何故なら、その違いは一度を越えないのですから。私はこの一致は驚くべき事と思っています。12月28日に掲載した地図の右に付した説明で私は、「南南西」の方向がシリウス星の方向と書きました。そこで、今回はそれを検討する事とします。(以下過去記事の転載は省略しますが、私は、これに続く記事で、1500年前のシリウス星の位置を天体座標計算法を用いて行っています)
%%%%%
シリウス星の地球から見た位置は(夏至日真夜中)年々規則的に移動します。これは地球の公転軌道が年々ずれるからです。この規則性から、古代の築造物の年代決定が可能であることを、たとえば2013年3月22日記事で書いてきました。
この記事で示した年代表を使うと、稲荷山古墳と志木・宮戸神社(埼玉県)を結ぶ直線の方位は西暦518年頃のシリウス星の位置であることがわかります。言い換えれば、この直線配置が構築された年代が西暦518年前後と見積もることができます。精度を前後15年程度と考えれば、この線配列は503年から533年と思えます。テレビでの議論では鉄剣の銘にある太歳「辛亥」を西暦471年ときめてかかっていますが、これに60年を加えた531年も辛亥なのです。
下に見る私の年表(日本書紀編年が明瞭に示す、二重王制を考慮して作成したもので、詳細は4月10日記事)では、それは、宋書が書く「武王」(所謂倭の五王のお一人)時代の末期に相当します。蛇足ですが「武」の和風訓(よ)みとして「たける」が充てられたのがこの時代ではなかろうかと思っています。2012年11月21日の記事にも書きましたが、「武王」こそ日本書紀に登場する「日本武尊」のモデルと私は考えています。統一規格の鉄製武器の普及なども、それが武王時代になされたと考えることで、説明ができます。
(*****ここにも私が考える古代史編年の表が添付すべきですが、加齢による技能劣化のせいで、それができませんので上記ブログを参照願います*****)
(2)番組での森博達氏の指摘の重み
森氏は、漢語・漢文に関する卓抜した知識を駆使して、日本書紀の謎を解明し、古代史分野に巨大な衝撃を与えたことで知られる方です。本ブログでもしばしば引用しています。番組で、森氏が鉄剣の銘文を当時音されたであろう正確な発音で、読み上げました:「テオカリオワケ」。
その上で、「エ」行と「オ」行で始まる言葉は東北地方の方言であると断じます。したがって、この鉄剣は中央から賜されたものではなく、自らが指示して鍛造したといいます。ワカタケルなる漢字列の前に列記される七つの名前は鉄剣所有者の先祖で、彼らも東北の人間であろうとまで言い切るのです。
もし、渡辺豊和氏がこの番組をご覧になっておられれば、ずいぶんと喜ばれたのではなかろうかと想像します。私は、渡辺氏の仮説を検証するためにこのブログを始めたわけですから、まさに我が意を得た思いです。中央アジアに拠した「サカ」族たる「高昌」(匈奴の末裔)が遠く間宮海峡を渡り北海道を経て東北日本に南下渡来した。それが渡辺氏の仮説です。渡辺氏は、その痕跡をシリウス星観測の痕跡で検証できると自著「扶桑国王蘇我一族の真実」(新人物往来社、2004年刊)で書きます。
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