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「農と島のありんくりん」から
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-3b40.html
菅直人氏、安倍総理提訴事件その2 民間事故調による菅氏の事故マネージメント評価
昨日からの続きです。
※その1http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-707b.html
菅直人氏が安倍首相を名誉毀損で提訴するという前代未聞の事件が起きています。菅氏は「注水を命じたのが嘘だ」という安倍首相の2年数カ月前の言説を、今頃になって裁判沙汰にするという珍しいことをしています。
歴史的選挙を控えて、その真意はなんなのか、各方面から不信がられています。
思えば、菅直人氏こそ在任中にはTPP参加、消費税増税の尖兵となり、福島事故対応には失敗し、そして発送電分離を主張し、FITを導入したのもすべて菅氏なのですから、彼なりに3年3カ月の民主党政権の総括を国民に問いたかったのかもしれませんね。
けっこうです。大いに問うてあげましょう(笑)。
●[独立事故調報告書による事故対応に対する指摘]
さて昨日の「塩水注水事件」の資料にさせていただいた「カウントガウン メルトタウン」の著者・船橋洋一氏は、福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の調査報告書のプロデューサーとして同事故調査報告書を作成しています。
この報告書が特徴的なのは、政府事故調報告書(中間報告)では事故原因の核心部分である政府中枢の危機管理対応にふれないで、技術的な失敗のみ列挙するという政治的圧力すら感じるような内容だったことに対して、事故対応が的確であったのかという事故マネージメントという視点があったことです。
当時、政権与党にいて最高実力者だった菅前首相に配慮して、臭いものに蓋の最終報告書を作りあげたのなら、この巨大原発事故の真相は公式には永遠に葬られてしまうという危機感があったと船橋氏は語っています。
「カウントガウン メルトダウン」は、国際的観点も取り入れてより立体的に書かれた独立事故調報告書の続編のような存在です。
さてこの事故調報告書で、どのように菅氏の事故対応は評されているでしょうか。
3月12日以降の国家的非常事態において、官邸が「パニックと極度の情報不足」(報告書)に陥り、「テンパッた状態」(同)になったことが描かれています。
「今回の福島事故直後の官邸の書道対応は、危機の連続であった。制度的な想定を離れた展開の中で、専門知識・経験を欠いた少数の政治家が中心となり、次々と展開する危機に場当たり的な対応を続けた。決して洗練されたものではなく、むしろ、稚拙で泥縄的な危機管理であった。」(報告書)
この極度の混乱状況の中で、菅首相は理性が吹っ飛んだ半狂乱状態になっていたことも報告書に記されています。
菅氏は、一切の助言に対して「言い出したら聞かない」(報告書)状態となり、過剰な政治介入とスタンドプレーのみに奔走しました。
たとえば、12日ベント準備に全力を尽くしていた事故現場に突如「陣頭指揮」に行くと言い出し、官邸内部でも枝野官房長官など多くのスタッフが反対をしたにもかかわらず、首相は聞く耳をもたず強行しました。
当時現場は、原子炉に海水注入をしようにも炉内が空焚きのための高気圧により、通常のポンプでは注水できない状態になっていました。
だからこそ、圧力を逃がすために早急のベントが必要だったわけですが、しかしこれも停電のために、高線量下の1号機原子炉建屋内に突入してベントを決行するしかない状況でした。
そのために既に50代以上の「決死隊」6名を編成していました。
これを菅氏は「なにをグズグズしているんだ」と激怒し、「陣頭指揮」(首相の国会答弁時の表現)に向かったのです。
一分一秒でも惜しい事故現場の修羅場に首相自らが乗り込み、最前線指揮官を小一時間拘束するという前代未聞のパーフォーマンスを聞いた吉田所長はこう言ったそうです。
「私が総理の対応をしてどうするんですか。」(報告書)
事故現場にヘリで乗り付けた首相は、居合わせた武藤副社長をどなりつけ、わめき散らし、吉田所長の「決死隊を作ってでもやります」というひとことを聞いてやっとお引き取り願えたそうです。
結局、この決死隊の突入のかいなく、手動ベントは失敗し、高圧コンプレッサーでの高圧注入することとなったのですが、このことについて、報告書はこう述べています。
「官邸の決定や経済産業相の命令、首相の要請がベントの早期実現に役立ったと認められる点はなかった。」(同)
また、冷却機能喪失、炉心融解に直接結びついた電源喪失に対して、官邸は東電の頭越しに40数台の電源車を送りましたが、GE製の特殊なコネクターのために使用ができないという信じられない大ポカを引き起しました。
これを報告書はこう述べています。
「官邸では福山副長官がその手配を中心に担当し、どの道路が閉鎖されているのかわからないので、各方面から40数台の電源車を手配した。しかし、これらの電源車は事故対策にほとんど貢献しなかった。」(同)
そもそもこんなことは専門家がやるべきことで、それこそ「専門知識・経験を欠いた一部の政治家」がするべきことではありません。
そういえば、菅氏はポンプのバッテリーの寸法まで口出ししていたとの記録もあり、近代的危機管理を知らない瑣末主義と評されています。
この報告書には書かれていないようですが、菅氏の思いついたヘリからの冷却水投下は、パイロットたちを危険におとしめただけでなんの効果も上がりませんでした。
これをテレビでみていた米国大使館内の「トモダチ作戦」本部は、「これが先進国のやることなのか」と唖然としたそうです。(ケビン・メア「決断できない日本」)
ちなみにあのヘリからの海水投下という思いつきも、彼が学生活動家の時に見た安田講堂攻防戦からヒントを得たもののようで、ため息がでてきます。
また官僚組織は菅首相の強圧的、恫喝的とも言える指揮に恐怖し、まともな判断力を失って、ひたすら保身と責任転嫁のみに走ったことも分かりました。
たとえば、官僚はSPEEDIによる放射性物質の拡散状況を知りながら、それを官邸に形式的にFAXしたのみで、その情報の重要性は官邸の誰もが知らないという驚くべき状況だったようです。
私はこれを組織的隠匿だと考えていましたが、事態はもっと幼稚で、単に官僚をこの危機においても使いこなせなかっただけの話だったようです。
専門家として指揮を担うべき原子力安全委員会の斑目春樹委員長もまた、菅首相に振り回されるような状態に陥りました。
「(菅首相の)強く自身の意見を主張する傾向が、斑目委員長や閣僚に反論を躊躇させた。」(同)
12日午後3時36分1号機建屋が水素爆発をしましたが、それに対しても斑目委員長は、「あー」と答えたきり頭を抱えて判断不能に陥る状態でした。
この斑目委員長は官邸にいたただふたりのの原子力専門家だったにかかわらず、事態の深刻さと首相による強ストレスのために判断停止状態でした。
この腰が抜けたようになった専門家を見て菅氏はいっそう逆上し、周囲を「おまえ」呼ばわりで罵り散らし、まったく耳を貸そうとしない様も描かれています。
後に菅氏は保安院、安全委員会、東電に対して極度の不信に陥り、官邸から携帯で昔の学生運動仲間を招集し、勝手に内閣参与に任命して危機対応に当たらせましたが、その多くは原子炉事故はおろか原子力に対してすらまったくの素人にすぎませんでした。
その後のドライベントの避難地域の設定に対しても、菅氏は既定の3キロでは足りず、はるかに大きな避難地域を設定せねばならないにもかかわらず、それを失念し、場当たり的に拡大して避難を妨げました。
というか、彼の念頭には最高指揮官として避難まで含めたトータルな事故対応を指示すぐ立場にありながら、原子炉にのみ集中している状況だったようです。
これは元来、独善的でわがままな彼の性格が、この極限状況でさらに加速されてしまい極度の視界狭窄に陥ってしまったからです。
また今回、菅氏が提訴した「海水注入」については、12日5時55分に海水注入作業を進めていた事故現場に対して、突如その夜になって「塩水だぞ。影響を考えたのか!」と叫びました。
狭い意味では、なるほど確かに菅氏が主張するように「海水注水を命令したのは嘘というのは虚偽」は、事実の半面では正しいとも言えます。
つまり彼は「塩水だぞ。影響を考えたのか!」と怒号しただけといえば「だけ」で、注水停止を命じたわけではありません。
この暴走する首相の「もっと検討しろ!」という怒号に対して、斑目委員長や武黒フェローなどの専門家がそれを制止できず、それどころか彼の強権的態度にひれ伏してしまい「意をくみ取る」ことのみに汲々としていたからです。
いみじくも斑目委員長は報告書の中でこう情けないことをこぼしています。
「私としてはもっといろいろなことを伝えたかった。」、「菅首相の前で大きな声で元気よく言える人は、相当な心臓の持ち主だ」。
議事録を作らなかったのは、「首相に録音の許可をもらうことが怖くて言い出せなかった」との官僚の声もあります。(産経新聞3月1日)
この危機対応会議の議事録がなにひとつないというのが、今回の福島事故総括を遅らせた大きな原因となりました。
当時官邸にいた「専門的知識・経験のない一部政治家たち」は、議事録がないことを幸いに、口止めをしたり、口裏合わせすらして全貌解明を妨げました。
たまに出てくる情報は「一部政治家たち」からのマスコミリークであり、「東電が原子炉に塩水をいれると痛むから嫌がっていて注水ができないでいる」などという事実ではない憶測も多く含まれていました。
さて菅氏の「(注水を)検討しろ!」という怒号に、武黒フェロー(東電の連絡担当者)が震え上がり、吉田所長に直に携帯電話し、さらに頑として停止に応じない吉田氏を屈伏させるために東電社長まで引っ張りだして「業務命令」の形にしたわけです。
まったくどうしようもない東電の腰抜けぶりですが、これをしてしゃらっと菅氏は、こう書くのですから鉄面皮なのか、物忘れがひどいのか、まぁ常人ではないことだけは確かです。
「事故発生日の翌日の夕刻、東電上層部からの海水注水停止の指示に対し、吉田所長は現場の責任者として、また技術者の立場から注水の継続が必要と判断し、上層部の意向に反して独断で注水を継続した。英断だ。」(2013年7月12日菅直人ブログ)
なるほど狭い意味で、菅氏が言うように吉田所長に注水停止を「命じた」のは武黒フェローであり、彼からの「吉田は頑として言うことを聞かず注水を継続している」という報告に動転した東電本社でした。
だからといって最高指揮官の狂態が許されて言いわけではありません。菅氏は確かに「中断」も命じなかったし、注水命令も(既に現場が独自に実施していましたが)とりあえず5時56分に命じてはいます。
この意味で菅氏の主張は半分正しいともいえます。ただし御覧になったように、彼にとってのみの都合のいい「半分」にすぎません。
最高責任者という存在は、現場指揮をすべきではありません。それは専門知識と経験を持つ者がすればいいのです。最高指揮官は、その者を任命し、起きた「結果」に対して責任を負えばいいのです。
しかし、菅氏は、現場指揮にまでいらぬ介入を繰り返し、混乱を拡大した挙げ句、結果に対しては「オレは悪くない。悪いのは○○だ」と責任逃れを繰り返しました。
この○○は、ある時は東電であり、ある時は安全委員会であり、ある時は原発そのものでした。
そういえば民主党大反省会」とやらで彼は、反省どころか「悪いのは小沢と自民党」と言い放って失笑を買っていましたね。そういう品性の人間なのです。
そして今回は「悪いのは安倍だ」と言いたいようです。まったく最高指揮官としてのプリンシパルを逸脱しています。
菅氏はブログの中で「安倍首相から反論が来ない」ことをあげて勝利宣言を出しているようですが、馬鹿か。
歴史的選挙の前夜に安倍首相がこんなどうでもいい提訴に「反論」などするわけがないでしょう。
このような菅氏の極度に幼児的な自己中心的体質が事故をあれだけ深刻にしてしまった原因のひとつなのです。
これについて報告書はこのように結論づけています。
「官邸の議論は結果的に影響を及ぼさなかったが、官邸の中断要請にしたがっていれば、作業か遅延していた可能性がある危険な状況であった。」(同)
この部分で、かなりはっきりと菅氏の「オレは注水中止など言っていない。言ったのは東電だ」という主張を退けています。
このように菅直人という異常な精神形質を持つ人間が、事故対応の指揮権のすべてを強引に掌握したために、本来行われるべき的確な権限委譲がなされずに、事故リスクをかえって拡大してしまいました。
いわば、悪天候の中でエンジンが炎上した旅客機のコクピットを「専門知識も経験もない」素人が占拠して、思いつきでそこら中のスイッチを押しまくっていたようなものでした。よく墜落しなかったものです。
報告書はこう結論づけています。
「少なくとも15日の対策統合本部設置までの間は、官邸による現場マネージメントが事故対応として有効だった事例は少なく、ほとんどの場合、まったく影響を与えていないか、無用の混乱やストレスにより状況を悪化させるリスクを高めていたものと考える。」(同)
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結局、このパニックの中でただひとり冷静さを失わなかった吉田所長が、官邸と東電本店の命令系統を無視して独自に海水注入作業を続行していたために最悪の事態は避けられました。
吉田氏の最大の敵は、原子炉ではなく、東電本社と官邸だったようです。
吉田氏は、津波の過小評価やICの忘却などいくつかの失敗をしていますが、もし現場責任者が斑目氏や武黒氏、あるいは清水社長のようであったなら、我が国は最悪シナリオに突入していたことは間違いありません。
菅氏が注水事件でいちゃもんつけのような提訴に踏み切ったことを歓迎します。
法廷で様々な事故対応資料や証人が集められ、菅氏が犯した歴史的過誤が白日の下にさらされるでしょう。
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