29. 中川隆 2013年7月02日 00:30:30
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釈迦の言葉 ブッダは、世界については、すべては無常で変滅し恒常不変なものはない(諸行無常)と理解しており、例外はいっさい認めま
せんでした。 ___________________________ かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッティーのジェータ林なる給孤独の園の精舎にあられた。 その時、一人の比丘が、世尊のいますところにいたり、世尊を拝して、もうして言った。 「大徳よ、この世のものにて、定恒永住にして、変易せざるものがあろうか。」 「比丘よ、この世には、定恒永住にして、変易せざるものは、少しもない。」 そして、世尊は、すこしばかりの土を爪の上にのせて、かの比丘に示して言った。 「比丘よ、たったこれだけのものといえども、定恒永住にして、変易せざるものは、この世には 存しないのである。」 (サンユッタ・ニカーヤ 22:97) かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッティーのジェータ林なる給孤独の園の精舎にあられた。 その時、一人の比丘が、世尊のいますところにいたり、世尊を拝して、もうして言った。 「大徳よ、世間、世間と称せられるが、一体どのような意味において世間と称せられるのであろうか。」 「比丘よ、破壊するがゆえに世間と称せられるのである。 比丘よ、眼は破壊する。鼻は破壊する。舌は破壊する。身は破壊する。意は破壊する。 また、それらの触(感官)を縁として生ずるところの感受は、楽なるものも、苦なるものも、あるいは非楽非苦なるものも、す べて破壊するのである。 比丘よ、このように、すべてが破壊し遷流するがゆえに、世間と称せられるのである。」 (サンユッタ・ニカーヤ 35:82) アーナンダよ、やめよ。悲しむな、泣くな。
アーナンダよ、わたしはかつて説いたではなかったか。 すべて愛し親しめる者も、ついに生き別れ、死に別れ、 死してはその境界を異にしなければならぬ、と。 アーナンダよ、一切は壊れるものであって、 ひとたび生じたるものがいつまでも存することが、どうしてありえようか。 (ディッガ・ニカーヤ 16) 死後の世界について ブッダは、人間が死後も存在するかどうかというような人間の知識を超えることがらについては、それは独断にすぎず、無益な ものであると考えて、沈黙を守りました。 ________________________________
滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? あるいはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか。世尊よ、どう かそれをわたしに説明してください。あなたは真理をあるがままに知っておられるからです。 師は答えた。ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準がない。かれを、ああだ、こうだと論議する根拠がかれ については存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、すべての論議は絶えるのである。 (スッタニパータ 1075〜1076) 尊者マールンキャプッタは人影のないところへ行って静思していたが、その心に次のような考えが起こった。 「これらの考え方を世尊は説かれず、捨て置かれ、無視されている。すわなち --- 世界は永遠であるとか、世界は永遠ではないとか、世界は有限であるとか、世界は無限であるか、魂と身体は同一なものである とか、魂と身体は別個なものであるとか、人は死後存在するとか、人は死後存在しないとか・・・、 これらのさまざまな考え方を世尊はわたしに説かれなかった。世尊がわたしに説かれなかったということは、わたしにとって嬉 しいことではないし、わたしにとって容認できることでもない。だからわたしは世尊のところへ 参って、この意味を尋ねてみよ う・・・。 もし世尊がわたしのために、これらのことを説かれないようなら、わたしは修学を放棄して世俗の生活に帰るとしよう。」(中 略) 「マールンキャプッタよ、わたしはおまえにそのようなことを教えてやるから、わたしのもとにきて修行せよ、と言ったことが あるか。」 「師よ、そのようなことはありません。」 「マールンキャプッタよ、わたしはそのようなことを教えてやると言ったこともないのに、愚かにも、おまえはわたしがそのよ うに説くことを要求し、そのように説くことをしないわたしを拒もうとしている。(中略) マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。 また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということもない。 マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないいう考え方があろうと、まさに 、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。現実にそれらを 征服することをわたしは教えるのである。 (マッジマ・ニカーヤ 63) ヴァッチャよ、[世界は常住かどうか、霊魂と身体とは一体であるかどうか、人は死後にもなお存するかどうか、などのような
種類の問い]に対する見解は、独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、見取の結縛にとらわれているのである。そ れは、苦をともない、悩みをともない、破滅をともない、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない。 (マッジマ・ニカーヤ 72) 弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、このようなもの に立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というよ うな教えは、まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」 「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」 (マッジマ・ニカーヤ 22) 六道輪廻について 世に広まっている誤解に、釈尊は「六道輪廻」から解脱することを説いた、つまり生まれ変わりからの解放を説いたというものがあります。
しかし実は「輪廻」も「解脱」も元来、古代インドの支配階級だったバラモンの考えで、それらを含む思想が釈尊と同じころに『ウパニシャッド』という文献にまとめられてきますが、それは釈尊のとられる考え方ではありません。 それどころか、それらを批判していったのが釈尊でした。 そもそも釈尊の当時は、正統的なバラモン思想に対抗する一連の革新的思想家が出てきた時代です。
かれらは沙門(しゃもん=努力する人)と呼ばれ、釈尊もその中の一人でした。 釈尊の師であったといわれるアーラーラ・カーラーマやウッダカ・ラーマプッタもそうですし、ジャイナ教の始祖ヴァルダマーナなど、「六十二見九十五種」という言葉もあるように、何十何百もの方々がさまざまな教えを説いていたといわれています。 その中にも生まれ変わりを否定する人はたくさんいたのですが、釈尊がそれを否定した仕方はきわめて簡単です。 生まれ変わりという考えは、われわれが常住不変・永遠不滅の「我」(霊魂のようなもの)を持つということを前提としますが、釈尊はそのような「我」はないと言われたのです。 趙樸初『仏教入門』(法蔵館)の記述にしたがえば、釈尊はわれわれも含め生き物はすべて、さまざまな物質的要素(地・水・火・風・空)と心理的要素(感覚器官・感覚・印象・思惟・判断力など)の集合体であり、しかもそれらすべての要素が一瞬ごとに生滅・変動していると考えました。 そうであれば、そこには輪廻の主体となる不変の「我」はどこにも見いだすことができないということです。これが「無我」といわれる考え方です。 ただし、釈尊が冷静に学問的に研究した結果、そういう結論に達したのかどうかは微妙です。むしろ、輪廻という考えを否定するという動機にしたがってそう考えたと見ることもできます。 というのも、ここは非常に大事な点ですが、釈尊を含む革新的思想家たちがバラモンの教えを批判するのは、それがバラモン支配の社会を支えるための教え(今ふうに言えばイデオロギー)だったからです。 たとえば、輪廻という考えは厳然としてカースト制を支える教えとしてあります。 つまり、現在バラモンであるものは前世によい行いをしたからであり、反対にシュードラにあるものは、前世でわるい行いをしたからであり、来世でよい境遇に生まれたければ善いことをせよというわけですが、その善悪の基準とは、つねにカースト制を含む社会が存続するのに都合のいいものです。 善を行ない悪を行うまいとして道徳を守れば守るほど、一方では安逸を貪り、他方ではいかに努力しようとも悲惨な状況から抜け出すことの出来ない階層が存在するという状況が続くわけです。 これだけでも皮肉ですが、しかも、悲惨な状況にある者は、その状況を自分の前世の行いからくる運命のように受け入れて生きていくしかないと思いこんでしまうという点で、二重に悲惨なのです。 要するに、輪廻は身分差別には当然の理由があるんだという「こじつけ」として機能していたと考えることができます。 ですから、釈尊が輪廻を否定し「四姓平等」(四姓とは、バラモン:司祭者・クシャトリヤ:王族・ヴァイシヤ:庶民・シュードラ:隷民)を表明したということは、「カースト制度を正当化しようとするいかなる考えかたも許さない」ということを意味したわけですから、カースト制と闘う態度を明確にしたということができます。 しかし、残念ながら世間には、釈尊が輪廻を説いたというたぐいの仏教入門書が少なくありません。 しかし逆に言えば、その本が輪廻を釈尊が説いたもののように言っているかどうかは、その本が信用できるかどうかの一つの指標になるのではないでしょうか。 http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/98_10_21.html 「弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、このようなものに立脚した教え、つまり、
『我と世界は一つである』 とか、 『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』 というような教えは、まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」 「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」 (マッジマニカーヤ 中部経典22)
「真実として捉えられるものではない」というのは、それが実証できない主張、つまり単なる空想的独断に過ぎないこと、を意味しています。 このように、「アートマンは有る」というウパニシャッドの主張に対して、ブッダは、同じ次元で「アートマンは無い」と単純に言い返したのでは有りません。現代仏教学者が、ときどき、初期の仏教は決して「アートマンは存在しない」と主張したのではないというのは、この意味からです。
初期の仏教では決して「アートマン(我)が存在しない」とは説いていない。・・・アートマンが存在するかしないかという形而上学な問題に関しては釈尊は返答を与えなかったといわれている。 (中村元、『仏教語辞典』「無我」、1316頁)
ブッダの批判は、「アートマンは有る」とか「アートマンは無い」という主張が依って立つ土台そのものに対する、もっと根本的な批判だったのです。つまり、ブッダは、「アートマンは有る(無い)」という主張は間違っていると批判したのではなく、そのような問答は無意味であると批判したのです。ここに仏教のアートマン批判のもっとも顕著な特徴があります。 http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html かようにわたしは聞いた。 ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータビンディカ(給孤独)の園にましました。 その時、長老ラーダ(羅陀)は、世尊のましますところに至り、世尊を拝して、その傍らに座した。 傍らに座した長老ラーダは、世尊に申し上げた。 「大徳よ、無我、無我と仰せられますが、大徳よ、いったい、いかなることを無我というのでありましょうか」 「ラーダよ、色(肉体)は無我である。受(感覚)は無我である。想(表象)は無我である。行(意志)は無我である。識(意識)は無我である。 ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪りを離れる。貪りを離れることによって、解脱するのである。そして、すでに解脱するにいたれば、ああわたしは解脱したとの智が生じて、と知ることができるのである」 南伝 相応部経典23-17 http://www.kojintekina.com/agama/agama7052006.html 無常の思想 ブッダの主張のなかでも、とくに重要なのは、「諸行無常」、すなわち、すべてわたしたちが経験や知覚するものは無常であるという主張です。経験世界のすべては、生まれ、変化し、滅するのであって、常住不変なるものはない、という主張です。これが無我の主張の根拠となりました。 かようにわたしは聞いた。ある時、世尊は、サーヴァッティーのジェータ林なる給孤独の園の精舎にあられた。その時、一人の比丘が、世尊のいますところにいたり、世尊を拝して、もうして言った。
「大徳よ、この世のものにて、定恒永住にして、変易せざるものがあろうか。」 「比丘よ、この世には、定恒永住にして、変易せざるものは、少しもない。」 そして、世尊は、すこしばかりの土を爪の上にのせて、かの比丘に示して言った。 「比丘よ、たったこれだけのものといえども、定恒永住にして、変易せざるものは、この世には存しないのである。」 (相応部経典22:97、増谷文雄訳「爪にのせたる土」『仏教の根本聖典』、大蔵出版、84頁) かようにわたしは聞いた。ある時、世尊は、サーヴァッティーのジェータ林なる給孤独の園の精舎にあられた。その時、一人の比丘が、世尊のいますところにいたり、世尊を拝して、もうして言った。 「大徳よ、世間、世間と称せられるが、一体どのような意味において世間と称せられるのであろうか。」
「比丘よ、破壊するがゆえに世間と称せられるのである。 比丘よ、眼は破壊する。鼻は破壊する。舌は破壊する。身は破壊する。意は破壊する。 また、それらの触(感官)を縁として生ずるところの感受は、楽なるものも、苦なるものも、あるいは非楽非苦なるものも、すべて破壊するのである。 比丘よ、このように、すべてが破壊し遷流するがゆえに、世間と称せられるのである。」 (相応部経典35:82、増谷文雄訳「世間は壊れる」『仏教の根本聖典』、大蔵出版、88〜89頁) ブッダはこのように、「定恒永住にして、変易せざるものは、この世には存しない」、と主張しました。しかし、それは、古代ギリシャ哲学のように、単に「万物は流転する」というような主張ではなく、この諸行無常という経験世界の観察を、人間が経験する悲しみや苦しみと関連づけました。そこにブッダの思想の特徴があります。 つまり、ブッダは、この世のすべてのものは無常にして結局破壊にいたってしまうものに過ぎないのに、そのことを理解せずそれに執着してしまうことから人の悲しみや苦しみが生じると考えました。そのために、「定恒永住にして、変易せざるものは、この世には存しないのである」という理解を徹底すること(覚り)によって執着心をなくし、執着心が無くなればひとは苦しみから解放される(解脱)と考えたのです。 無常だから無我である ブッダの思想は、死後も生残る魂、永遠不変の魂、すなわちアートマン(永遠の個我)の存在が当然のことと考えられていたウパニシャッドの宗教世界の真っただ中に生まれました。しかも、アートマンを認識することは彼らの宗教的救いの根拠となるものでした。そのために、アートマンを救いの根拠とするウパニシャッド哲学の伝統と、すべてが無常であり、そのことを理解して執着から解放されて自由になれ、という仏教の思想とが、真っ正面から対立することになります。こうして、仏典は、「無常だから無我である」、というブッダの主張を繰り返し繰り返しすることになったのだと思われます。 原始仏典の中では、無常ということがすべての教えの前提になっている。 「すべては無常であり、すべては苦であり、すべては無我である」 という文句は、原始仏典のいたるところでお目にかかる。・・・すべてが無常なのだから、すべては苦しみであり、そのように無常と苦にさいなまれている自分と世界の中に、絶対者としての自己、恒常・不変・自在な自我などあるわけはない、というようにである。 (梶山雄一、『空の思想 仏教における言葉と沈黙』、8頁) たとえば、次のような経が典型的です。 「アッギヴェッサーナよ、これをどのように思うか。人間の肉体(色)は恒常であろうか無常であろうか。」 「無常です、大徳よ。」 「それでは、無常なものは、苦であろうか楽であろうか。」 「苦です、大徳よ。」 「それでは、無常であり、苦であり、変異するものを、これは我がものである、これは我である、これは我がアートマンである、ということは正しいであろうか。」 「いいえ、大徳よ。」 「アッギヴェッサーナよ、それではこれをどのように思うか。感覚(受)や思考(想)や意志(行)や意識(識)[などの人間の心の部分]は、恒常であろうか無常であろうか。」 「無常です、大徳よ。」 「それでは、無常なものは、苦であろうか楽であろうか。」 「苦です、大徳よ。」 「それでは、無常であり、苦であり、変異するものを、これは我がものである、これは我である、これは我がアートマンである、ということは正しいであろうか。」 「いいえ、大徳よ。」 (マッジマニカーヤ、35:20) ここで、「肉体(色)、感覚(受)、思考(想)、意志(行)、意識(識)」などといわれているものは「五蘊(スカンダ)」といって、初期の時代から仏教では人間存在を構成している要素と考えられていたものです。すなわち、すべての存在はさまざまな原因や条件や要素に依存して成立しているという縁起の考え方から生まれた仏教の人間観です。 ブッダは人間存在を成立させている要素の一つ一つを取り上げて、そのどれも、無常であり、苦であり、変異するものであるから、そのどれも、永遠不変の存在と信じられているアートマンではありえない、と主張したのです。 これはとくに注目すべき主張です。なぜなら、ブッダは、「アートマンは存在しない」という全称命題的言明を意図的に避け、人間存在を成立させている要素の一つ一つ取り上げて、これも無常であるから(常住であるはずの)アートマンではない、あれも無常であるから(常住であるはずの)アートマンではない、というふうな仕方で、知覚し経験できる範囲内の事柄に関してのみ言及するという方法をとっているからです。 しばしば、アナートマンは「無我」ではなく「非我」と翻訳すべきであるという主張が仏教学者によってなされるときがありますが、まさにそのとおりで、人間存在を成立させている一つ一つが、これも非我であり、あれも非我である、という主張がなされているわけです。 つまり、ここでも、形而上学的問題については断定的判断を下さないというブッダの態度が貫かれていることが分かります。また、これとはすこし別の形の人間分析からもおなじような主張がなされていることがありますが、いずれにしても、人間存在というものを、知覚し経験できる範囲内だけで分析しているところがブッダらしいところです。 比丘たちよ、眼は無常である。 すべて無常なるものは苦である。 すべて苦なるものは無我である。 すべて無我なるものは 『これ我がものにあらず。これ我にあらず。これわが我(アートマン)にあらず。』 と、このように正しき智慧をもって、あるがままにこれを見なければならぬ。 比丘たちよ、耳について言うも同じである。鼻について言うも同じである。舌について言うも同じである。身について言うも同じであり、また、意について言うも同じである。 (サンユッタニカーヤ 35:1、増谷文雄訳) そこにないものを見ようとしたりしないで、人間存在を「あるがままに見」れば、人間存在を成立させているどの要素もすべて無常であり、アートマンの恒常不変の性質をもつものではない、というわけです。 http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_3.html 仏教はジャイナ教と同じく諸要素の集合論をとる。しかし、ジャイナ教が業物質の担い手としての霊魂(ジ−ヴァ、生命体)を想定したのに対し、仏教は肉体を物質(色)の要素一本にまとめる代わりに、こころを感覚(受)・想念(想)・意志(行)・認識(識)の四種の作用に分解し、そのいずれもがアートマン(霊魂)ではない、という論理で、間接的に霊魂の実体性を否定し、同時に業とはそれらの心身の営むはたらきとみることで徹底した。(高崎直道、『インド思想論』、法蔵館、12頁) http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism33.html
アートマンとは何か? ブッダが、インドの伝統的な信仰であったバラモン教(後のヒンズー教)の中心的概念であった、輪廻転生しながら永遠に生き続けるというアートマン(atman 個我=魂)を否定して、アン・アートマン(anatman 無我)を説いたことを疑うのは極めて困難です。それは、あまりにも多くの文献において書き残されており、しかも、仏教徒の書いたものだけでなく、彼らの宗教的・思想的ライバルたちによっても、仏教徒たちがアートマンを否定していることに対するさまざまな批判が、書き残されているからです。 もし、ブッダが魂の否定としての無我を説かなかったとすれば、たとえば、『ミリンダ王の問い』に書き残されているような、 「もしアートマンが存在しないのなら、改組・回帰(輪廻転生)していく、当のそのものは、なにものか」 というような問いに仏教が明確な解答を与えようと大変苦労した思想史的事実が説明できなくなってしまうでしょう。 また、「アートマン」という概念はバラモン教の哲学(ウパニシャッド)にとって本質的なものであって、それなくしては、ウパニシャッドの語る宗教的救い(ブラフマンとの合一)がなくなってしまいますが、そのような重要な概念を真っ向から否定する「アン・アートマン」という概念を使用したことは決して軽く見るわけにはいきません。 単に、「自己中心的な生き方を否定する」、といったような凡庸な教えにすぎないのなら、バラモン教・ヒンズー教にもあるのであって、わざわざ「アン・アートマン」という概念を持ち出す論理的な必要がありません。 なぜブッダはアートマン(永遠の魂)を否定したのか、この問いは、大変重要な問題なのです。 死を恐れ、永遠の生命を望むのは、古今東西、どこでも見られる現象です。そのため、古代人はさまざまな空想を駆り立てて、死後も生き残る自己の物語(エジプトのミイラ、中国の仙人、キリスト教の復活、インドのアートマン、日本の魂、など)を創造してきました。 さいわいなことに、古代インド人は彼らの思想を伝達することにきわめて熱心で、たとえば、リグ・ヴェーダ経典は世界最古(おそらく西暦前1200年頃成立)の残存する経典となっています。そこで、彼らの古代の経典を調べることによって、どのようにして、古代インド人がアートマンというものを信じるようになっていったか、その初期の状況をかなりくわしく知ることができます。 たとえば、『ブリハッド・アーラヤヌカ・ウパニシャッド』には、アートマンが次のように説明されています。 「アートマンとはどのようなものか」 「認識からなり、諸機能のうちに、(また)心臓に存在する内部の光であるこのプルシャ(神人)であります。 彼は(かなたの世界とこの世界に)共通ですから、両世界を往来します。 (かなたの世界では)沈思するかのようであり、(この世界では)動き回るかのようであります。 彼は夢となって、この世界…、死のさまざまな形を超え出ていくのです……。 まさしくプルシャ(神人)には、実際には二つの状態があります。 (目覚めて)この世にあることと、(熟睡して)かなたの世界にある状態とであります。 夢の状態は(両者の)つなぎ目になる第三のものであります。 そのつなぎ目の状態にあるとき、彼はこの世に在ることと、かなたの世に在る状態という、この二つの状態を見るのです……。 彼は眠っているとき、万物を包蔵するこの世界から物質素材をとり、自ら破壊し、自ら創造し、自らの光輝により、自らの光明によって夢を見るのです。 この場合、神人は自らを光明とするのであります……。 その点について次のような詩節があります。 黄金の神人、一羽の鷲鳥は、 眠りによって、身体にかかわるもの(この世)に打ち勝ち、 自らは眠らず、眠った者たちを観察する。 彼は光を得て(目覚めて)、もとの位置に戻る。 黄金の神人、一羽の鷲鳥は、 下方の巣(身体)を、気息によって守りつつ、 不死となって、巣(身体)から外に歩み出で、 望むところに、不死のものとしておもむく、 夢の中で、あるいは上昇しあるいは下降し、 神として、さまざまな形像をつくり出す。 …… 人々は彼の巣である園林を見るが、 だれひとり彼を見るものはいない。 ……彼は、実に、この安全な安息(熟睡状態)のなかで楽しみ、徘徊して、善いこと悪いことを見た後に、もとのところへと進路を逆にたどり、夢へと馳せ戻るのです。」 (長尾雅人編集『バラモン教典・原始仏典』より) アートマン(永遠の魂)という概念が、ここでは、夢の中で自由に行動する自己と同一視されています。そして、夢の中の世界や熟睡状態の世界をもう一つの事実の世界であると見なしています。このような夢の内容をそのまま事実の世界と思い込む現象は、決して、古代インド人だけに特有のものではなく、現代人のなかにもしばしば見られるものです。 たとえば、 「ベッドに横たわる自分の姿を上から見ていた」、という内容の夢を見た人が、夢を事実と取り違えて、 「身体から抜け出した魂が抜け殻の身体を上から見ていた」、 というふうな解釈したりする話を、今日でもときどき聞きます。 上記の「自らは眠らず、眠った者たちを観察する」という表現も、そういうことを意味してるのでしょう。
しかし、古代インド人の特徴は、夢の中の体験を、目覚めているときにも体験しようと執拗に試みたところにあります。 それが、ヨーガ(瞑想)だと思われます。 ヨーガ(瞑想)に関する教典から、古代インドのバラモン教の実践者たちが、現実の世界よりも夢(空想)の世界の内容を「より真実の世界」であると思い込んでいたことがうかがえます。 夢における知は、夢の中で拝んでいた、神の美しいすがたを対象としている。 目覚めたときの静かな心で同じ神の姿に凝念すれば、ヨーガ行者の心は安定に達する。 (「ヨーガ・スートラ」、同上) このように、ヨーガ行者は夢の中と同じ体験を瞑想のなかに求めます。さらに、夢の中で自由に徘徊する自己、という考えをエスカレートさせて、 ヨーガ行者は水上を歩き、蜘蛛の糸の上を歩き、光線の上を歩き、さらに虚空を自由に行くことができる。(同上)
とか、 心が身体を離れて外的に働くときは、大離身といわれるのである。 この大離身によって、ヨーガ行者は他人の身体に入る。(同上) などともいわれます。
夢のなかで「自己」が身体を離れてゆく現象を、目覚めているときに意図的につくりだす心理的テクニックが本来のヨーガ(瞑想=夢想)の目的だったろうと思われますが、後には、身体を持ったまま空中を飛ぶ、いわゆる「空中浮遊」などが信じられるようになります。 いずれにしても、夢や空想を現実から区別をしようとしない独特の宗教的習慣が古代インド人の間にあったことは否定できません。 このような考え方の中で、死後、身体を離れてゆく永遠の魂(アートマン)を想定することは、何でもないことです。 つまり、アートマン(永遠の魂)の思想は、もとをたどれば、古代のインド人たちが、身体とは別に夢の中で自由に徘徊する自己を「真実の自己」と思い込んだところから、生まれてきたものと考えられるのです。 このような歴史的背景を知ることによって、シッダータ・ゴータマが、「無我」の思想を真理として発見した自分のことを、「ブッダ=目覚めた者」と呼んだことの歴史的な意義が明確になると思います。 ブッダの思想家としてのデビューと考えられる、いわゆる「第一説法」において、瞑想・苦行にいそしむ旧友に対して彼は なんじらは、わたしを名をもって呼んではいけない。 また「友」と呼んでもならない。 わたしはもはや如来である、最高の「目覚めたもの」である。 (『マジマ・ニカーヤ』26) と宣言します。すなわち、
「buddh =眠りから醒める」 という言葉を用いることによって、 彼の真理の特徴が夢想的なバラモンの思想の否定 にあることを主張したのだ、と考えられます。 http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/soul02.html アートマン(Atman) は、ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。 真我とも訳される。 最も内側 (Inner most)を意味する サンスクリット語の Atma を語源としており、アートマンは個の中心にあり認識をするものである。 それは、知るものと知られるものの二元性を越えているので、アートマン自身は認識の対象にはならないといわれる。 初期のウパニシャッドである『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』では、「…でない」によってのみ、アートマンが定義されるという。その属性を「…である」と定義することはできないという。 したがって、「…である」ものではない。すなわち、「何でもないもの」すなわち「何かではないもの」「有るものではないもの」がアートマンで、これは仏教または禅の「無」と同じ意味だととることもできる。 ウパニシャッドではアートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。 http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/62.html#id_622e274d 大まかに言うとかつてのインドの宗教思想や規律がまとまったものをヴェーダと言い、そのなかでも後代にまとまった哲学的思想がウパニシャッドと呼ばれます。「梵我一如」というのはそのウパニシャッドの中の最重要な考え方ですね。 基本的には仏教はウパニシャッドを否定するなかでできたものですから、梵我一如が仏教にとり込まれたとか、仏教がそれを受け継いだ、ということはありません。 梵我一如というときの我は、アートマン(atman、発音符は除きます)の漢訳語です。このアートマンというのは、ちょうど有名なデカルトの懐疑で表れる主体のように、疑っても疑っても疑う主体として現れてどこまでもそれを否定し得ない、懐疑の一番メタレベルに存在する、唯一至上の主体として想定されました。思惟のなかではどこまでも客体として扱えない、従って言葉では常に「〜ではない」という否定を重ねる仕方でしか表現できないとされます。 つまり、アートマンというのは基本的には「私」という個別の実体を支える「本質、そのもの」と言ってよいものです。これは私を成立させる原理であると同時に、心臓に位置すると考えられる実体的存在でもあります。ウパニシャッドではもちろん輪廻を想定するのですが、アートマンはその際に自己同一性を保つ実体でもありますから、一面では具体的な「魂」とも考え得るわけです。 このアートマンが梵つまり宇宙の本質であるブラフマン(brahman)と実は一体であって交換可能な概念である、というのが梵我一如の思想ですね。恐らくいろいろなウパニシャッド書のなかで一番有名な言葉が「それはアートマンである」「自己はブラフマンである」といった短い聖句ですが、これがブラフマンとアートマンの究極的な合一を表すものとされています。(事実、サンスクリット語ではアートマンという言葉が「ブラフマン」を意味する場合がかなりあって、両者は相即的な関係にあります) 要するに、対象化すらできない自分の本質が世界全ての本質と通じている、ゆえにそこではすべての物がひとつのものになりますから、当然、個々の人間同士の差も問題にならなくなるし、善と悪だとか人と神といった一切の分析的な区別も超越される、というのがウパニシャッドの理想とした境地なのです。その合一は言語を離れた瞑想のなかでしか感得できないものとされます。宗教学の術語で言えば一元論的な神秘主義思想ですね。 一方、このような思想とは異なって、仏教では固定的な実体をもった「本質」なる存在を認めません。原始経典にもあるように、「私にはアートマンとしての我は存在しない、従ってアートマンに属するものとして我がものも存在しない」という認識が苦を離れるための仏教の実践の基礎にあるのです。
個々の事物が互いに関係し合いながら本質(仏教では自性と呼びます)を持たずに存在し、変化を続けていく姿を仏教は「縁起」として捉えました。言わばあるがままを根本原理としたのですから、永遠不滅にして普遍の実体を認めるはずがありません。これは初期仏教でも大乗仏教にも共通していますし、法体恒有(ほったいごうう)を唱えてモノの背後に実体を想定した有部という部派ですら、人間については何ら実体的存在を仮定しなかったのです。 仏教をかじり出した人は初期仏教と大乗仏教の差が気になるのですが、本質的には大乗仏教の始まりにあたる空観という思想は、隘路にはまった有部の思想と決別して釈迦の縁起説を復活させようとした言わばルネッサンスです。従って、ことアートマンに関するような根本的問題について両者の違いを論じるのはナンセンスです。
事実、八宗の祖などと言われ、大乗仏教の思想的基礎を確立した竜樹(ナーガールジュナ)は、『中論』という書物の中ではっきりと「我(アートマン)と我所(アートマンに属するもの)が無いことを知るところに解脱が生まれる」とか、「われわれは一切の縁起を空と呼ぶ」と書いています。これは明かに釈迦の縁起を正統に受け継いだもので、実体ありきの梵我一如の考え方とはまさしく正反対です。 そもそも、仏教が旗印とする縁起の思想から生まれた「無我」という考え方は、サンスクリット語ではアナートマン(anatman)と言います。この語頭のanは「無、非」の意味を持つ接頭語です。例えばaryaというのは「アーリア的な、高貴な」という意味ですがanaryaとなると「アーリア的でない、下賎な」という意味になります。つまり、「アートマンに非ず」という意味のアナートマンという言葉からして、仏教がアートマンを肯定する立場をとらないことは歴然としています。 あるいは原始経典に頻出する十無記、十四無記などを考えてもよいでしょう。釈迦は、「アートマンは存在するのか」という問いに対しては常に答えを保留したとされます。 要するに、仏教というのはヒンドゥーつまりインド的なものの中では基本的に異端なのです。例えば14世紀にマーダヴァが著した『全哲学綱要』という書物では、ヒンドゥー教の立場からインドで起こった合計16の哲学説をそれぞれ解説しているのですが、仏教はヴェーダ聖典の権威を認めない3つの異端のひとつ、という扱いを受けています。 ヒンドゥーにとって一番劣っているのは精神を認めない唯物論ですが、仏教はそれに次いで劣った思想、とされています。それというのも結局アートマンを認めないからなのです。 一方でジャイナ教は3番目に劣った思想という位置づけです。ヴェーダは認めないけれどもアートマンの存在を認めるジャイナ教が仏教よりはまし、とされるというのは、ヒンドゥーにおけるアートマンの重要性を雄弁に語っていると思えます。 事実、現在に至るもジャイナ教はインドで命脈を保っているのに対し、仏教は早くに滅んでしまいましたね。(むろんこれには、仏教がヒンドゥー教に近づいたためにインドでは価値が薄れてしまったという5〜6世紀以降の歴史もあるのですが、ここでは重要な問題ではありません) 概ね、梵我一如を肯定しない仏教の立場は以上のようなものです。 さて、なぜその仏教が梵我一如と関係づけて説明されるのでしょうか。正直なところ私にもわからないのですが、輪廻や業というインドでは空気のような考え方が結果的に仏教にとり入れられたこと。 このことがアートマンまでとり入れられたという錯覚をもたらしたのでしょうか。 http://okwave.jp/qa/q718920.html |