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悪の戸と書いて「悪戸」と読む
よく地方に出向くと悪戸という地名が各所に在る事が知れる
「悪」とはかつては「強い」という意味であった
「荒(あら)」、「鬼」「魔」もまた同義語である
さてでは「戸」とは何を表しているのであろうか
現在の意味ではそれらの言葉から連想される意味は危険視されるものであるだろう
だがそれを「強い戸」と変換した場合意味もまた変わるのである
「戸」とは開かれるものである
そしてまた閉じられるものでもある
開かれた戸からは何が現れるというのだろう
それとも戸が開かれる事によって何が変化するというのだろう
言葉が本来の意味であったものから変化するのは
それらから人々が遠ざかる事を意図して
故意に言葉が使われるようになっていった時であると考える
悪党とは強い徒党のことであった
しかし今では正義の味方に対する敵である
所謂今で言う善悪の概念に拠った品行の悪(わる)さといった意味はない
私は何度も言う様に悪に対しての善なるものも
物事の一つ一つを捉えてそれが何かに比較照らされて
良いとか悪いとか言うレッテルを張る事に何の意味も見出さない事を知っている
何故人々は自らの周囲に危険視されるものを生み出し
そこから遠ざかろうとしてはそこにいつまでも惹き付けられているのだろうか
考えてみて欲しい
自分から切り離された様に生み出されたものはそもそもが自分の一部である事を
現在は容易に察することではあるが
かつては比較差別するほどに人々の間に格差や違いと呼べるものは
ほぼなかったのかも知れない
つまり以前には意識に大きなギャップを生むきっかけとしての
異世界と呼べるものとの接触がなかったと言えるのかも知れない
勿論だから以前が良かったとか悪かったと云う事はない
怪我や病気といった結果としての変化もまた
自らの大望と一致する自身の成長の過程として所望した結果であるのだから
そして「戸」は何かと云えば異世界と通じた窓であると仮定した時
その異世界とは何かと云えば夢の現実化が加速する場所であり
物質界としての現実とプレ現実(物質)界の関係でもあると言える
まったくこれとは関係無くもないが
マスコミの報道とはあなた方に不要な観念を絶えず送り込んでいる
あなた方がそれを現実として受け容れて信念として加速させた時
災害や新たな脅威としての病気が蔓延る
あなた方の感情が現実化を加速する
喜びや愛情
そして不安や恐れはあなた方の経験の本質である
あなた方が普段からどのような感情に支配されているかを知る事で
あなたが次にどんな経験をするかは自ら予測出来るのである
集団で催眠術にかかることはあるのであり
集団で病気に罹る事も意識の世界では同意の上である
それらを単に科学の目なるもので観察して
原因としてのものを物理的に旧名使用として
因果関係を後付けで物理的に齎されたものとして結びつけて公表された時に
更に輪を大きくして大勢がその観念に集団感染するのである
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