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≪ニュートン≫
実は、ニュートンは、1665年から66年の一年半の間に、『プリンキピア』をはじめ、微分積分学、光学といった彼が生涯に成し遂げた研究の中身をほぼすべて考えてしまったといわれています。この時期は24歳からの20か月にあたる。天才たちには、その天才性を開花させるための熟成期間があるのですが、ニュートンはこの時期が文字通りの「休暇」にあたります。
ニュートンが大学に在籍していた1665年当時、イギリスではロンドンを中心にペストが大流行して、大学が閉鎖された。仕方がないので、ニュートンは故郷のウィールズソープに戻っていた。そこに義理のお父さんが残してくれた貴重なまっさらなノートがあった(当時紙は非常に貴重なもの)。故郷に戻ってきたニュートンは、時間はあってもどこに行くというあてもないので、そのノートに自分の研究をひたすら書き続けていったのです。
当時は、紙が本当に貴重な時代だったので、ノートに隙間なくびっしりと書き込んであります。20か月で、ほぼすべてのアイデアが出尽くしてしまったのです。
20代前半というのは、どうも理論物理学者にとって非常に大切な時期のようです。この時期にたまたまペストの流行があり、故郷に戻った。そこで時間の余裕ができ、研究に没頭することができた。逆に言えば、この「休暇」がなかったら、ニュートンはこれほどの業績を残していなかった可能性もあるのです。
ちなみに、物理学の分野では、量子力学の完成に寄与した物理学者たちのほとんどが20代から30代に主な業績を残しています。物事には「旬」の時期があるのです。人間の成長と才能の開花にもそれはあてはまります。
・驚異の年
1665年から66年の20か月は、ニュートンの「驚異の年」と呼ばれています。この時期に彼は、重力の理論だけではなく、数学(微分積分学)もつくりました。もう一つ、ニュートンの大きな業績に光学があります。こんな具合で、「驚異の年」といわれている期間に、微分積分学、力学、光学というものすごく大きな分野をほぼ一人で完成させてしまったのです。これは爆発的な創造力で、当時の学問の水準からすると一気に別次元に飛躍しています。
ニュートンが普通に大学で研究を続けていたらこの業績は出なかったと僕は思います。大学というアカデミックな環境から、一時的に完全に隔離され20か月という長い時間に全エネルギーを集中させられる体性があったからこそ、この業績は生まれたのだと思います。
≪アインシュタイン≫
一番重要なのは彼の「天才の時間」がいつ訪れたかというと、それは彼が大学卒業後の1901年です。最初は大学受験に失敗し、…そして無事にチューリッヒ工科大学を卒業しますが、彼だけはウェーバー先生という実験物理学の教授から嫌われていたので助手として採用してもらえなかったのです。アインシュタインは就職口がまったくありませんでした。困り果てたアインシュタインは、親友の紹介でベルンの特許局に就職した。それが1902年。
結局、このころからアインシュタインは学校と切り離され、アカデミックなつながりから一時的に隔離されることになる(ニュートンと似ている)。特許庁の仕事、これがあまり忙しい仕事ではなかったことが非常に幸運でした。午後はまったく暇で、暇なときに自分の理論についてづっと考えていたそうです。
・奇跡の年
そして運命の1905年がやってくる。アインシュタインの場合は、この年が「奇跡の年」と呼ばれている。これはニュートンの「驚異の年」と同じような感じです。
この年にアインシュタインが出した論文の数は多いのですが、その中で一番有名なのが特殊相対性理論に関する二本の論文です。その中の一つが、世界一有名な式と言われる「E=m*cの二乗」であり、ブラウン運動の論文や光量子仮説の論文等であった。
アインシュタインの場合は一度、学界から追放された形になりました。アカデミズムから切り離されていた、この隔離された数年間が、ニュートンと同じようにワインの熟成期間のように、いい結実を迎えることになったのです。
≪ホーキング≫
ホーキングの業績は、「アインシュタイン方程式をブラックホールや宇宙の始まりに無理やり適用すると、物理量が無限大になる特異点が生じてしまう」という、かなりお数学的な意味をもった定理である。これはロジャー・ペンローズとの共同研究ですが、、ホーキングは宇宙の始まりには実は特異点があったということを数学的に証明してしまったのです。
このときのことを振り返って、ホーキング自身は、「自分は暇だった」というようなことを言っています。「暇」という理由は、体が動かなくなって、それによって大学における雑務のようなものからすべて解放されたからだ、と。彼がやることといえばひたすら頭の中で自分が温めていたアイディアについて考えることだけなのです。
これはある意味で、天が与えた強制的な「休暇」だと言えるのではないでしょうか。車椅子の生活になった直後から爆発的に論文がどんどん出てきます。
【出典】竹内薫「天才の時間」NTT出版‘08年
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