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つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-119.htmlより転載
こういう美々しい言葉には気をつけたほうがいい。
「平和」「正義」「自由」などと同じく、耳にはじつに心地よいが。
「信じる」、なにやら得体の知れない押し付けがましさを感じる言葉、それは今流行りの「絆」にも似たものがある。ただでさえ言論というものが力を持ちすぎたこのご時勢、それに振り回されないためにもこの怪しげな言葉を疑ってみる価値はある。
いま我々が使う日本語は「現代日本語」である。それ以前のものをおおざっぱに「古語」という。「古語」は新しい順に「近世日本語」「中世日本語」「中古日本語」「上代日本語」というように別けられる。言語の様相が変わるからにはそれだけの理由がなければならなく、たとえば「現代日本語」が生まれた契機、それは明治維新にともなう西洋文化の流入つまり「ガラス」「ピアノ」のように外国語を外来日本語として輸入するか、「心理」「哲学」のようにそれまでの日本になかった新しい概念の対訳として新日本語を造語することで語彙がふえたことにある。
それ以前の転換期にも似かよったことが言えるのだが影響したのは西洋ではない。上代においては大陸の文物と渡来人の来日と律令制度、中古は遣唐使廃止と仮名文字発明による内的な熟成、中世は政治の担い手が近畿の公家から関東の侍へと変わったことによる「あずまことば」の開花と禅の影響、そして近世は天下泰平の中で多様化した社会・職業・身分においてそれぞれの言葉が独自に育ったことにある。
では、上代日本語以前のこの国の言語はどうだったのだろう、ということになる。
古代語、仮にそう名づけると、それを指して純粋な日本語というかは難しい。遠い昔は日本列島は大陸とは地続き同然であり、陸伝いに人々が、島伝いに舟々が行き来していたのであるから、大陸の影響を受ける前の時代などというものはもとより存在せずその意味で純粋な日本語というものもありえない。すると議論はなぜか日本が大陸の属州であったか否かに掏り替わり兼ねず喧嘩腰の方々を喜ばせるだけになる。それは本稿の目的ではないためそこは「そうっとして」おくことにする。
我々日本人の古代語は、漢字、かな、いかなる表記文字をも持たぬ「おと」によってのみ言い表すことのできることばである。その「おと」による太古からの一語一語に五世紀以降大陸からやってきた漢字を意味の上で対応させ、そうして日本語が表音・表意の両方に使うことのできる文字を得た。日本語固有の「おと」は「訓読み」として後世まで残ることになり、漢字の持っていた漢語音が日本風に訛ったのが「音読み」である。
漢字以前の時代から日本にあったことばを特に「やまとことば」という。漢字と出会う前であるためやまとことばに「音読み」は存在しない(とも言い切れないのが悩ましいのだがそれ別の機会に)。
そこで「信じる」というこの日本語、辞書では訓読みとされているが、漢語の「信―シン」に「する」という日本語の動詞がくっついた(膠着した)ものだ。つまり漢語外来語からの造語であってやまとことばではない。
この連作では明治以降に採用された「明治の新語」の生む悪影響を主に取り上げてきたが、今回の「信じる」は新語と呼ぶにはいささか古いといえる。
いったいどれくらい古いことばなのだろう、それはわからないが、とにかく「信じる」という行動を我々は古代から外来語に頼ってきた、さらに昔は「無かった」かもしれないというから、えっと驚く。
現代日本語での「信」は大きく分けて二通りの意味を持つようになった。一つは「通信」「音信」「信号」に見られる記号的な使い方である。情報を機械のように無感情に淡々と伝える方策であり、その情報が真実であるか否かはここでは問われない。
もうひとつは「信仰」「信心」「信頼」「信用」「信念」、つまり「本当と思う」こと、悪い言い方をすれば「思い込む」ことであり「信じる」といった方が美しげに聞こえるが意味は同じである。
「信」の文字は古くは聖徳太子の「十七条憲法」の中にみられる。
九曰。信是義本。毎事有信。其善悪成敗。要在于信。群臣共信。何事不成。群臣无信。万事悉敗。
九に曰く。信これ義の本。ことごとに信にあるべし。それ善悪の成敗は。かならず信にあるべし。群臣ともに信あれば。何事か成らざらん。群臣ともに信なくば。万事ことごとく敗れる。
「十七条憲法」の原本は見つかっておらず全文が書き記されている最古の書物は「日本書紀」である。今の歴史家の間には十七条憲法は日本書紀の編纂時に改竄されたものであるという説があり、それどころか聖徳太子不在説まで囁かれている。つまり「信」の字の使用を飛鳥時代まで遡ることができるかどうかはいまひとつはっきりしていない。
とにかく、人としてとるべき道の根本、善悪の判別の根拠はことごとく必ず「信」にあるべきだとされている。そして遅くとも日本書紀の書かれた時代には「善悪の判別の根拠」とまで意味づけられるようになる。どうやら大変な文字である。
漢字のふるさとの大陸では「信」の字をどう扱っているのだろう。
「人」と「言」の会意文字、字源は「人が口に出したことを守る」。転じて「口に出したことを守る人」に対する形容になった。
動詞で使う場合はまず日本語同様「信じる」、それから「言を守る」「実証する」「知る」とあり
形容詞では、「真実の」「正直な」「偽りの無い」などである。
名詞になると「盟約」「割符」「標識」「使者」「消息」「書簡」となる。
「信」は儒教の五徳にも数えられる「言明をたがえないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること」である。ここで注意して見れば「信」とは言明をする、真実を告げる、あるいは約束を守るその人間あるいは媒体にかかわる問題であり、告げられる「真実」とは別の存在として考えられていることがわかる。この五徳の「信」は十七条憲法のそれに代入して読んでもとりあえず意味は成す。
何かしらの情報を発する側と受け取る側の存在があってはじめて成立する語彙のようである。つまり「情報の発信と受信」である。
しかし、「十七条憲法」の口語訳では「信」は「まこと」とされている。
日本語のまこと、それは「ま―真」と「こと―事、言」からなるやまとことばである。「ま」さしき「こと」、本当の事、真実といってもいい。ただしこれは「情報の真偽」ではなく「事の真性」を語ることばであるため中国語でいうなれば「信」ではなく「真」に近い。したがって「情報のやりとり」をあらわす「信」の字に「まこと」を対応させることも、「善悪の判別の根拠」としてしまうのにはかなり問題がある。なぜこのような矛盾が起きてしまったかは現代人が「信」という言葉に抱く感情に原因がある。
ところで、「信じる」の影で忘れられていたかのような「信―のぶ」ということばに触れておくことにする。これは辞書によって「信」の訓読みとしているものとしていないものがあるようだが一般には「まこと」とならんで人名漢字の読みとして受け入れられている。しかしこれは、やまとことばの草創期から使われるれっきとした動詞の一つである。
「のぶ―述・陳ぶ」、口をついて出たことばがあたかも泥水を流したように水平に「のび―伸・延び」ひろがる様を現わしている。そして人の上に立つ者、たとえば司祭や大王の「のぶ」ることばは「のる」と美化され「のり―呪・祝・宣・憲・法」となる。
言葉を受け取る側はこれを「のむ―飲・呑む」のである。この語源もまた「のむ―伸・延む」であり、ことばがのび広がる現象の一環であることがわかる。これこそ「情報のやりとり」に近いことばであろう。
「信じる」は他動詞であるため必ず目的語をとる、つまり信じる対象が存在する。たとえば報道や評論などの言論、たとえば科学のもたらす研究結果、人、自分、金銭、権威、社会、未来、そして神、その他諸々をただの情報として受け取ることにとどまらず「まこと」と捉えてしまうことを「信じる」という。
やまとことばを話していた時代は「のぶ」と「まこと」は二つの全く異なる語彙であったが、大陸から輸入した「信」により一つに抱き合わされ、混同されたのである。
今日び、「信じる」ことの大切さや崇高さが高らかに謳われる。これはいわゆる美辞として使われている。しかし重きを置くべきはその対象に「まこと」が在ることの筈であり、そして「まこと」はそうはやたらに転がっているものではない。そこで「信じられる」ことを求める側はそこを突かれることを嫌うため自らに欠けた「まこと」を何かで補い激しく「発信」する。「信じろ」と発信するのである。彼らは「まこと」を装う方策に長けている。それに対し明らかに弱い我々は「信じぬ」ことを躊躇し、迷い、あらぬ「まこと」を見てしまう。それはやがて「妄信」につながる。
実は我々は信じるか否かをそのつど選んでいる。自らにとって喜ばしいことは受け入れ、そうでないこと、受け入れがたいことは拒む。情報と自らの願望の合体、これが「信じる」ことの構造である。
何かを信じることは安心につながる。大多数の意見を信じておけば社会から取り残されずにその恩恵に与れる。銀行を信じて貨幣を預けておけばいつの間にか増えてくれる。医者や薬を信じておけば痛みや病が進む恐れから逃れられる。惚れた相手の言うことを信じていれば傷つかずにいられる。大司教の説く神の言葉を信じていれば地獄に落ちない。信じる者はとりあえず救われるだろう。しかしその中に「まこと」が無ければ少しも報われないことになる。
信じたことが思い通りにならければまた別の何かを信じてみる。が、またしても当てがはずれ、それを繰り返すと経験的に疑うということを覚えるはずなのだが皆にできることではない。なぜなら我々の願望といというものは少しでも擽ればすぐに泡立ちいくらでも膨れ上がる。相手はそれをよく知っている。そして「信じろ」と、発信し続ける。
そうこうするうちに時は過ぎ、人は年をとり世も歳を経て今に至った。過去において信じさせる術をよく知っていた者たちの子孫、あるいは弟子たちが今のこの世で力を持つ者となった。そして今もなお、彼らを信じる我々がいる。
先祖たちにしてみればまるで与り知らぬ「信」の言葉は律令制とともに行き渡ることとなった。ではそれまでは何も信じることなく生きていたのだろうか。
「信じる」必要などなかった。巨石や巨木、地に山に海に宿る霊を、そして先祖の霊を「おそれ」「うやまひ」生きていたのである。こぼれた種から芽が出て親と同じ木となり、秋に落ちた木の葉は春になると再び芽吹く。これは他でもない「まこと」である。生まれた子には親の面影があり、その子にも、またその子にも受け継がれてゆく。ちから溢れていたからだも霊が抜け出てしまうと物言わぬ骸となり朽ち果てる。そこには木の葉のように再び霊が芽吹くことはない。先祖たちはこの厳粛な「まこと」を見つめ、それに抗うことなく自らの願望を何かに結びつけることもなく、「まこと」をつかさどる霊たちをただただ畏れ敬い生きたのである。
疑う、それはなにやら後ろめたさの滲む言葉である。信じることを美化した故におこる反作用なのであろう、信じる者には光が当たり疑う者には影が落ちるような気がする。これは動詞「たがふ―違ふ」に「う」がついたものである。心に生じた違う理解同士が対立することをいう。似たような意味の動詞「うたぐる」も「たぐる―手繰る」に「う」がついて、事象を手繰り吟味することをいう。そこに「まこと」が在るかをつぶさに見つめる方法のことであり後ろめたさなどは元々は無い。
動詞に「う」を頂くと別の新しい動詞が生まれることがある。「う」は「得」すなわち「知る」を意味する可能性があるが、今のところ確証は無い。「うながす」「うがつ」などもそうである。
ことばとは時とともに姿かたちをかえて永らえる生き物である。人がことばを作る傍らことばは人をも国をも作る。言語の構造が国民性に反映することは明白である。現代日本語は明治維新から数えてたった150年の歴史を持つにすぎない。近世日本語はいまから400年前、中世のそれは800年前、中古は1100年前、上代日本語はおよそ2000年前からのものである。それより昔の古代語であるやまとことばは少なくとも2万年以上の間話されていたことばであるからには日本の国と日本人の心の礎を築いたのは実はどの時代のことばであるかは明白である。しかしその後に外来の言葉を喜んで受け入れ、それが我々の暮しに入り込んだことで急速な変化を強要された日本人はさまざまな副作用に苦しんでいる。
新語と呼ぶには古い言葉ではあるが、古語辞典を開いても「信」の文字は仏教用語と僧の名前を含めたところでそれほど多くは見られず、むしろ明治以降におびただしい量の「信」が熟語として頻出するようななったといえる。やはり明治以前は「信」を外来語に近いものとして扱っていたと考えられる。そして開国とともに我が国に押し寄せた科学・近代思想への「信頼」じつは「盲信」を煽るあざとさが「信」に感じられてならないのである。
「アナタハ神ヲシンジマスカ?」
青い目の神父さんにそう訊かれれば、「信じない」という他ない。
「まこと」をつかさどる存在を神と呼ぶのであれば、ひたすらそれを畏れそして敬うだろう。
近代や科学などと同じように信じていい筈はない。
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