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つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-117.htmlより転載
一年ほど前に、旧暦のひなまつりのよせて「もものはなし」と題した記事を書いた。その中で「古事記」に記された話を引用した。
イザナギノミコトが黄泉の国へと恋しい妻イザナミノミコトを尋ねていったとき、決して姿を見ないように言われていたというのに見てしまい、その変わ果てた恐ろしい姿におののいて逃げるのを、黄泉醜女(よもつしこめ)という走りっぷりのいい女力士に追いかけられる段、何とか逃げ切ろうとするイザナギは醜女にむかい桃の実を三箇投げつけた。そして醜女がそれに喰いついている隙に石戸を閉めて黄泉の国の入り口を塞いでしまった。
これは単なる「神話」ではなく先祖たちが桃の薬効と豊満な姿に霊力を認めたことをわれわれに語りかけるものであり、古くから桃の花が咲くこの季節に悪霊を祓い清め多産を祈る神事がおこなわれ後に大陸から伝わった暦法と結びついて「桃の節句」に発展した。
さて、まずはこれと何かの繋がりがあるであろう話から書いてみることにする。
ところはギリシア、ときは古代。ここの神様たちは戦と色恋に明け暮れていた。
男児がほしかったという父親から山に捨てられた赤子のアタランテーは雌熊の乳で命をつなぎ、後に狩人に見出されて女狩人として、そして地上で最も俊足をもつ人間として成長した。そのはず、アタランテーに乳を与えたのは狩の女神アルテミスが遣わした雌熊であった。
アタランテーの武功が轟きわたると求婚者が殺到した。しかし彼女はアルテミスがそうであったように処女を通す誓いを立てており誰とも結婚するつもりはなく、男たちの求婚は煩わしいばかりであった。そこで彼女の出した条件は「競走」、武装したアタランテーと競走し彼女に勝ったものと結婚するというものだった。しかし彼女に追い越されたものはその場で射殺されるという約束であった。多くの若者が命を落とすが、愛の女神アフロディーテに祈りを奉げたヒッポメーネスは女神にあるものを授けられていたため競走に勝つことになる。
ヒッポメーネスはその手に三箇の「黄金の林檎」を持っていた。アタランテーに追い越されそうになるたびにそれを投げつけ、彼女がそれを拾いに戻るたびに差をつけることを三度繰り返した。そして勝利を得て見事アタランテーを妻にしたのであった。
「黄泉醜女」は醜い女という意味ではない。力士のように強い女、「しこ」とは強さをあらわす語彙である。大国主命にも「あしはらのしこを―葦原色許男」という別名があり相撲の力士が踏むシコは神事でもある。しかし奈良時代になって漢字を充てるときに醜の字が使われていることから、どうやらこの手の女はわが国ではあまり美しいほうに分類されなかったようだ。しかしアタランテーはあまたの男に求婚されたというからよくわからない。
ともあれイザナギが読み黄泉醜女に桃の実を投げつけ逃げ切った話と、ヒッポメーノスがアタランテーに林檎の実を投げつけ逃げ切ったというこの話、両者が無関係であると考えるほうが難しい。じつはギリシア神話で語られている要素は日本の古典に時折り見出すことができる。イザナギが妻を慕って黄泉の国へと追いかけていった話はオルフェウスの冥界渡りとほぼ重なる。またイザナギとイザナミの間に最初に生まれた神は蛭子(ひるこ、奇形のこと)であったことから海に流されたのもクローノスとレアーの子ゼウスが疎まれて海に流された話に似ている。スサノオはヤマタノオロチの生贄にされかけていたクシナダヒメを助け、ペルセーウスはヒドラに捧げられ鎖で繋がれたアンドロメダーを助けてそれぞれ夫婦となっている。こういった現象が起こった背景は日本の皇族がギリシア人だったからだとか、稗田阿礼や藤原不比等がホメーロスを愛読していたとかそういうわけではないだろう。ではなぜか、それを考えながらつらつらと書き進めたい。
アタランテーの気を引いた「黄金の林檎」とはギリシア神話ではおなじみの小道具である。トロイア戦争の原因をつくったものこれであった。
ペーレウスと海の女神テティスとの婚儀に招かれなかったエリスはそれを面白く思うはずもなく、婚礼の宴にとんだ災いの種を投じた。「最も美しい者のために」と書かれた黄金の林檎を投げ込んだのであった。招かれていた女神たちの中のアフロディーテ、知恵と軍事の女神アテーナー、ゼウスの妻ヘーラーの三者はそれぞれに黄金の林檎は自分のものだと争いだし、それを見てほくそ笑むエリスは不和の女神である。
この争いの裁定をゼウスはトロイアの王子であり公正な若者と知られたパリスに委ねると宣言した。女神たちはパリスを懐柔するためそれぞれに、自分を選べばヘーラーは「アシアの王の座」を、アテーナーは「あらゆる戦の勝利」を、アフロディテは「永遠の愛」を与えることを約束する。パリスが選んだのは「永遠の愛」、アフロディテはすでに人の妻となっていたヘレネーを奪い取るようパリスを焚きつけた。
ヘレネーはかつてゼウスがスパルタ王の妻レーダーに横恋慕して生ませた娘である。白鳥に化けたゼウスと交わり身篭ったレーダーの生んだ卵から孵ったといういわば半神であり、長じて絶世の美女と謳われるようになると求婚者が殺到した。妻の不貞の相手がゼウスであったためもありヘレネーを不義の子であると知りつつも大事に育てた父王テュンダレオスだが、これでは争いが起こると悩んだ末にヘレネーが誰を夫にしても残りの全ての求婚者はヘレネーと夫を守り戦うことを約束させた上で婿を選び、その男メネラーオスをスパルタの後継者とした。
アフロディテにそそのかれるままにスパルタを訪れたパリスとそれを迎えたヘレネーは為す術もなく恋に落ちた。ヘレネーを財宝とともに略奪したパリスはトロイアの地へと戻る。ヘレネーを還すよう要求したスパルタ側だがそれを拒否されたため、かつてヘレネーに恋し求婚した諸侯、勇者、神の落し子たちを束ね、ヘレネーの夫の母国であるミュケーナイと連合してギリシア軍となりトロイアに宣戦布告をした。オリュンポスの神々も二つに割れての大戦争が始まった。しかしこの戦争をはじめ全ての混乱はもとより神の知るところのもの、つまり神が自ら引き起こしたものである。
「ギリシア神話」は単にこの地方の伝説をつなぎ合わせたものではない。ここで「神」と呼ばれたものたちはすなわち「権力者」であり「人」とは「市民」とその下層にあった「奴隷」たちである。神話に登場する「勇者」や「絶世の美女」たちは「神」の血を引く者つまり権力者たちの落とし子にあたる。戦争や災害などの史実に神話を添わせ、権力者たちに土着の自然神の性格を纏わせてその出自をより強固で神性豊かなものに作り上げていったというのが今の一般的な解釈である。「古事記」や「日本書紀」についても似たような認識がもたれている。
しかしこの解釈によってしまえばギリシア神話は権力者たちの血統書という性格から抜け出さないことになる。実際はどうなのだろうか。
われわれ現代人が「神」という言葉に期待するものはこのギリシアの神々は持ち合わせていない。絶えず禍根をばら撒いては戦を起こし血を流す。それは血を好むというよりも血に価値を置いていないと言うにふさわしい。なぜならこのギリシアの神々はいくらでも人と交わり容易に子を産み増やすことができる。殺そうが殺そうが代わりはいくらでも作ることができる。むしろ儲けた子どもたちに難題を与え、互いに争わせ、競わせ、落伍者たちをふるい落とすことに心血を傾けていたようにも見える。勇者たちはより高く、より速く、より強くあることを競い、勝者は世界を築くが敗者はライオンの餌食となった、そんな秩序を後押ししていたのがギリシア神話だろう。
神話は彼らの思い描いた残忍とも言える世界秩序を極めて詩的に語った。加えて完璧な神の姿を彫刻という視覚芸術で表現した。やがてローマ人たちがギリシアを飲み込み彼らの帝国を築くにあたっても下に敷いたのはこのギリシア神話的秩序だったといえる。ローマ人はギリシアの神々にラテン語の名前を与えて踏襲し、美術の世界もギリシアの理想「完璧な美」の更なる追求を推し進めた。
嫉妬に狂い愛人を喰い殺すような女神が豊満でたおやかな身をくねらせ、髪に花をかざして微笑を湛えている。侵略と姦通を繰り返す男神は鍛え上げられた身体と威厳に満ちた顔を持つ。彫刻を通して神々を見るものは魅入られ、その行いを崇め、人間たち自らの強欲をも神になぞらえて肯定する。
そうした価値は実は現代まで生きている。キリスト教が広まるにつれてギリシア神話そのものは否定され埋もれていった、しかし、ギリシア神話の根底にあった権力者のための世界秩序はキリスト教社会が見事に継承していたのである。
(キリストの説く慈愛に満ちた教えと「キリスト教」および「キリスト教会」はさして関連がないと断言できる。教会は営利団体でありその教義は彼らの都合で常に変わる。)
14世紀になりルネサンスを迎えた欧州では、絵画、彫刻、建築を通し「ギリシア」の再来が実現した。遠近法の開発は絵画により写実的な奥行きを与えることに成功し「神々の世界」をあたかも現実のように、そしてこの上なく甘美に描き出した。無表情かつ直立型であったギリシア・ローマ時代の彫刻に怒り・苦しみ・喜び・嘆きの表情とともに躍動感が加わえられ、あたかも神々が人と感情を共有しているかという如き期待がもたらされた。建造物にはギリシアの神殿建築の様式・装飾を取り入れ、地中海地域の深層に横たわる「神性」を憑依させ新たな権威の象徴とした。
そして現代、子供たちに無理難題を与え、互いに争わせ、競わせ、ふるいにかけて落ちこぼれを作り出し、勝ち負けを押し付け勝ち残っていった者たちがまたしても争う、そんな現代は古代ギリシアの神々も恐れ入るのではなかろうか。
古代ギリシア人は遠征した先々の土着の信仰をも吸収し、ギリシア語の名をつけて神話の中に加えてしまう癖があった。われわれがギリシアの神々と知るものの一部はギリシアを取り巻く地域の神や王族である。
ケンタウロスの名で登場する民族もそのひとつで、半人半馬のその姿はスキュタイの騎馬民族の勇猛な戦いぶり、特に馬を駆りながら弓を打つ戦法を見せ付けられたギリシア人がその恐怖から想像したものであるという説がある。ケンタウロスは葡萄酒に悪酔いしたという描写がなされている。スキュタイも葡萄酒を知らなかった、つまり葡萄の生えない東方の乾燥帯に拠点を持っていたところは面白い一致である。
騎馬民族は身軽で機動性がよいため言語や伝説などを驚くべき速さで伝達する可能性がある。古代、地中海地域と東アジアの間を縦横に行き来しながらお互いの伝説を運び伝えることができる者たちがいたとすればまず騎馬民族が挙げられ、それは大まかには先述のスキュタイをはじめソグドや匈奴、月氏をさす。経由の軌跡は追いきれないが、最後には大陸から列島に伝わり日本神話の要素となった。日本の神話とギリシア神話の類似性、それは「類似」ではなく、神話の伝達者が存在したことによる「共有」といえる(この説は吉田敦彦氏の研究によるものである)。ただし神話として完成したものが伝達されることはまれで、むしろ神話の原型となった伝説や史実が伝達され、それがそれぞれの地で別の神話として出来上がった例のほうが多いように見受けられる。
スパルタからみればヘレネーが去っていったトロイアは東方に当たる。これについても興味深いことが日本神話のなかに隠れている。
「赤い玉」から生まれた美しい娘はアメノヒボコ(天日槍)の妻となった。娘はヒボコに日ごと豊かな食事を用意し尽したが、それに奢ったヒボコに罵られたのに腹を立てた娘は祖(おや)の国に行くといって姿を消してしまったという。ヒボコは後悔し妻を追って「東の国」へとやってきた。このアメノヒボコという男、じつは新羅の王族である。
「古事記」ではこの娘の名は阿加流比売神(アカルヒメノカミ)とあり、ヒボコとアカルヒメが夫婦喧嘩をしたのが新羅、アカルヒメが祖の国と呼び帰りついたのは日本の難波の津である。しかしヒボコは海の神に遮られて難波津に近寄れなかったために仕方なく但馬へと向かいそこで現地の娘と結ばれることになるという。
「播磨国風土記」によれば船団を従えたアメノヒボコが至ったのは播磨の海、それを迎え撃つは伊和大神またの名をオオクニヌシノミコト、製鉄集団であったヒボコの一族は良質の砂鉄のある播磨を目指しやってきたが、出雲についでこの地を平定しつつあったオオクニヌシの抵抗にあい激しく争った。折れたヒボコは但馬の国へと行きそこに定着したとある。このあたりも鉄資源に恵まれた土地である。
「日ごとの豊かな食事を供じて夫に尽くす」であるが、古事記の原文では「常設種種之珍味、恒食其夫。」とある。これはアカルヒメが豊穣の女神であったとも解釈できる。豊かな糧に驕ったヒボコすなわち新羅の王族は女神をないがしろにし、畏れることなく木を切り倒したために精鉄の燃料に欠かせない森林資源が尽きてしまったと考えると、どういうわけか瀬戸内海が地中海に繋がる。
ヘレネーはギリシア神話に取り込まれる以前はスパルタの地の土着の女神であった。樹木の女神であり、結婚と豊穣を司るとされていたのである。つまりヘレネーとアカルヒメをめぐる神話は同一のものかも知れないのである。ギリシア神話の中ではトロイア戦争が神々のいざこざとしか描かれていないが、ヘレネー簒奪劇の原型は多分に呪術の要素があったと思われる。
アカルヒメもヘレネーのように「玉」から生まれておりこの手の伝説は東シナ海を取り巻く地域によく見受けられる。またアカルヒメの母親は日光によって身篭った。これにも同じような伝説が中央アジア諸地域に見られる。
ヘレネーの故郷スパルタは今のギリシア・ペロポネソス半島、ミュケナイ文化の栄えた地である。ここに住んだ者たちは自らをアカイア人とよんでいた。アカルヒメの名の由来がアカイアだったとすれば、面白きことこの上ない。
古事記、日本書紀は日本の正史を伝えるものではない。時の権力者がその出自に神格を裏付けるために書かれた部分があまりに多く信憑性に疎い。しかしこれらをただの偽書とは言い難いのは、読み方によっては奥深く、史実の上を行く何かを見出すことができる書物であるからである。同じ題材がギリシアでは血みどろの戦いに描かれているのに対し記紀での扱いはは夫婦喧嘩だったりする。海の向こうから来た神様に言葉が通じなかったため途方にくれたオオクニヌシが蛙に助けを求めるところなどは可愛さすら込み上げる(これは蛙つまり雨を降らす神がオオクニヌシよりも昔からこの地にいたことを暗喩する)。もちろんギリシア神話に劣らぬ残忍な話も中にはあるが、概しては山と海に抱かれて生きてきた日本人たちの姿を豊かに描写し先祖の国づくりへの思いを今日に伝えている。大陸各地から集まった渡来人たちにたいしても「気づかい」のようなものが見え隠れしている。ただし国内の外縁にある人々に対して明らかに配慮がかけているのは現代に通じるものがある。
ギリシアの神々の血を引く西洋人は、かれらの先祖の思い描く世界秩序を全うさせようとしている。それを今我々は鼻先に突きつけられている。国境が取り払われた混沌の中で人々は競い合いに明け暮れることを余儀なくされ、敗者が勝者に身を奉げる様相がさらにあからさまになるだろう。多くの人の目にそれが地獄絵とは見えず、あたかもルネサンスの光溢れる油彩画のように映っているところが恐ろしい。
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