http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/418.html
Tweet |
(回答先: ペルソナ発生源 投稿者 金十字架 日時 2013 年 4 月 04 日 18:27:32)
直面する「死」は誰もが逃れられない
前もってなんらかの予兆をもってその死期を悟るのと同様
それが肉体に生を受けて生まれて来る以前においてであっても
それはすべて前もって
自らの経験の為とした自らに拠る最良の選択なのである
例え五体不満足で生まれて来たとしても
それを選ぶのは気質とも言えるそれ自身の性格によるものであり
また手にした観念によるところにも準じて自らに選ばれたものだ
そしてまたそれはいつでも人生の中で不満足と思える部分を
満足いく結果に変えていく力の全てもあなたと共に在る
潜在的な力をあなたが利用しないでいるのは
そんな力は何処にも無いとあなたが決めつけているからに過ぎない
比較による能力値や時間と云った人生の制約に関するすべての観念がそれを阻むのだ
自分の弱さを克服したいと心では思いつつも
自分の把握する現在の性格の所以に
「意識的に大胆な行動をとることはない」と
自らに宣言してその行為や考えを制限して居る者もまた
無意識の中ではなんらかのきっかけを利用し
そうした自分を変えようとしその時機を求めている
そしてそれを自分にはそれとわからない様に「与える」のだ
現時点での自分の在り方を苛むのは
あなたが一定の観念に縛られているが為で
自分を縛りさえしなければそのような感情もまた起こらない
よって自らに制約を課し自らを責めたてることもまた
在る一定の気付きへと自分を押し上げる為に
起こされているのだと捉えることが出来る
意識的なあなたと無意識的なあなたとの間には繋がりが在るが
どちらかがどちらかに黙従すると云うような関係がある訳ではない
自然を崇拝するあまり人間が自然に従属する立場であるというのでもなく
あくまで自然と人間的な肉体はひとつの無意識の中で繋がりが在りひとつである
自然もまた個々の人間的な感情の作用を受けている
つまりあなたの経験する全ての外環境は
あなたの肉体と看做すものとの根幹に於いて合致してある
平たく言えば自然はあなたの肉体でもある
なんらそこに間違ったことは起きていない
自分に正当性を齎す評価というものを自身の外側に求めてしまえば
自身の判断の正しさを覆す根拠にも容易にぶち当ることになる
よってますます他者への自身の証明の必要性を感じて
そこに執着してしまうようにだけなる
それが自分を制限し支配するものを呼び寄せてしまうだけである
という事に気づかねばならない
そこにはどんな正当性もない
ただ誰にも不要な言い訳だけが在るのみである
無いものを在ると言って不要なものを必要と看做している訳だ
勿論どのような判断も何も間違ったことではない
どれかひとつが正しいということもない
ただし不要なものを正当化することにより
それが自己を中心とした「他者支配」へと繋がっている
ということだけは確実に言えるのである
相手を抑えつけることによって自らの力を感じようとしたり
自己の力を得る為に奪い合ったり牽制し合う必要性など何処にもないのだ
それは根本的に社会に根付いた誤った事実に対する人々の観念がそうさすのである
あなたはそのことを自らの本質に知っているのだ
無論そうした段階を経てこそ
自らの更なる望みとそれまでの誤りに気づくことが出来る
「力」とは権力をさすのでもなければ暴力を指すのでもない
本質的な力とは赦しの力であり愛の力である
つづく
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
- ペルソナ発生源 3 金十字架 2013/4/04 23:48:20
(1)
- ペルソナ発生源 雑記 金十字架 2013/4/10 00:06:57
(0)
- ペルソナ発生源 雑記 金十字架 2013/4/10 00:06:57
(0)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。