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2013年3月14日、午後9時40分頃、無灯火の危険なアベック未成年二人乗り自転車に遭遇した。駅周辺の線路沿いの小さな道がある。海側の線路沿いで、変電所周辺だ。この連中は自治会集会所方面からやってきた。この連中は、後方からやってきて、いろいろと暴言を吐きながら侮辱してきた。そして無灯火でかなりのスピードで追い越し、どこかへ消えた。その後調べてみたが、駅や、コンビニには行っていないようだった。こういう連中は、いったいどういうつもりなのだろうか。なぜ無灯火を好むのか疑問である。自転車のライトが壊れているのか、あるいは、正常に点灯できるが、故意に点灯しないのかわからない。二人乗りはふらつきがあり、危険である。しかも無灯火だし、おしゃべりをしながらで集中していない。いつ事故が起きても不思議ではない。自損事故だけであれば、それは自業自得で終わるが、相手がいると冗談では済まない。アベックであっても、もしも本当に相手を大切にするのなら、そういう危険行為はしないはずだ。何よりも他の通行人に対して、あれこれ言いがかりをつけたり、悪態をついたり、侮辱したりして面白がっているのが悪い。そんなことを続けていると、たまたま機嫌が良くない相手と遭遇したら喧嘩になるかもしれない。ただの喧嘩ですまない場合もある。自損事故であれば、それは自分だけのことで済むが、他人を巻き込むと、その相手に対する影響もある。車やバイクが無灯火で走行することはまずないが、それでも無灯火でそういうしている車やバイクが絶対にないということもないだろう。高速道路でさえも、無灯火で運転している者がいる。高速道路であれば、他に歩行者とか自転車の者はいないが、それも危険だ。確かに電池式ではなく、発電タイプのライトの場合には、どうしても、点灯すると負荷がかかり、ペダルが重くなる。二人乗りでもしていれば余計に重いだろう。しかし、それはそもそも二人乗りをすること自体が間違っているのだ。無灯火で自転車を運転している者は非常に多い。点灯して走行している自転車よりも、無灯火の自転車の方が多いぐらいだ。そういう連中は、保険に加入しているのだろうか?自転車でも保険があり、ある程度の保障がされている。しかし、無灯火で事故を起こした場合には、保険の適用外となる。おそらく無灯火で平気で、自転車を運転するような者は、そういう保険にも加入していないだろう。無灯火が何故良くないのかというと、運転する本人だけの問題ではないからだ。周囲の人間が危険なのだ。無灯火で自転車を運転していて事故を起こしたとしても、誰も同情などはしてくれない。だが、無灯火の自転車にぶつかって負傷した人は同情される。当然であるが、無灯火で誰かにぶつかって相手を負傷させて、そのまま放置して逃げた場合、車と同じく当て逃げ、ひき逃げとなり、未成年だから済ませられるということはない。未成年でなく、成人の場合には会社を解雇されることがあり、解雇にまでならなくても、出世が困難となる。それに会社内での信用が低下するだろう。学校の場合には、口頭注意ぐらいで済ませられるかもしれないが、他人を負傷させると、それ以外にもいろいろとある。自転車免許などはないので、いくら事故を起こしても、何をしようとも、関係がないと思うかもしれない。特に未成年であれば、なおさらだろう。しかし、もしも他人を死亡させると、遺族に対しての償いをしなければならないし、後ろ指を指されるし、あれこれ噂される。死亡でなくても、負傷だけでもいろいろと影響がある。それにもし、何事もなく、事故も起こさず、そのまま無灯火人生を一生死ぬまで送られたとしても、それは決して成功ではない。むしろ、その一生は、非常に悲しい人生であり、何も進歩がなく、何も学ぶことができず、多くの人に害を与えたということで終わる。そしてそういう者を野放しにしてきた学校は、愚かなレベルの低い学校であり、もし会社員であれば、そういう会社は倒産するだろう。公務員であれば、なおさら悲しい。自分は無灯火でカッコいいと思っているのかもしれないが、もしも無灯火同士の自転車が衝突したらどうなるのか?そういう危険性は非常に高い。それもせっかくの連れ合いがいるのに、その相手に対しても悪い結果をもたらすことになる。そんなことは、少しもカッコイイことではない。ライトは、そんなに高価なものは必要ではなく、安い100円のものでも十分だ。それに最近のものは、かなり明るい光を出すことができる。無灯火で事故を起こして、大変な損失になるよりも、ライトぐらいは付けたほうが良い。また、そういうことがわからないような人間に果たして一流大学に入学することができるだろうか?またそんなこともわからないのに、一流企業に就職したり、または公務員として役所に勤務することができるだろうか?公務員でも、無灯火で自転車を運転する者がいるのかもしれないが、どうしてあえてそういうリスクを追い求めるのだろうか?それから、何の関係もない通行人や他人に対して、あれこれ侮辱したり、挑発したり、因縁をつけていると、それが必ず問われることになるだろう。どんなに知識があっても、知能が高くても、多額の資産があっても、学力があり、将来に明るい希望があろうとも、いつも無灯火で自転車を運転していれば、事故を起こす。事故を起こさないで、無灯火で一生やっていくというのが、かっこいいつもりなのかもしれないが、それは自分の庭だけでやってもらいたい。道路は色々な人が通行する場所である。また無灯火自転車に対して、あきらめムードになるのはよくわかるが、何も注意せず、放置するのも良くない。もしも無灯火を合法化するのであれば、無灯火による事故も増えるし、無灯火が原因の事件も増える。学校側や家庭、地域社会が、知らぬ存ぜぬで放置するなら、無灯火は、まかり通り、増え続けるだろう。自分に影響がないときならそんなことは気にしないかもしれない。だが、もしも自分や、自分の家族や、友人、知人、親しい者が無灯火自転車によって、負傷したり、死亡したり、何らかの害が及ぶなら、そのように黙認はできないはずだ。無灯火ぐらいはいいじゃないかということで、済ませることもできるだろう。それがほんの短い期間であれば、何の影響もないかもしれない。だが、そういうことを長期間続けておいて、なにか起きたらそれは不幸とか、不運とか、そういうものではなく、明らかに故意にやっていることだ。そういう無灯火人生を歩む者を相手に連れ添って生きても、結末は見えている。またこれを放置する学校の教師はどういうレベルだろうか?また親はどういうレベルだろうか?地域社会はどういうレベルだろうか?悲しいが、それはあまりにも進歩がないことだ。
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