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(回答先: 問題解決の方法 投稿者 気まぐれな風 日時 2013 年 3 月 02 日 21:15:10)
>01
すべては「ある」でよいのだと思います
大きな原因となる理由として
あなた方が数多の問題として掲げるものを
いつまでも「解くのは難しい」と考えてしまうだけであるのは
「自分を変える」のだけでは意味がないと感じているからです
つまり「他者を統率しなければならない」と考えている所為です
他者の考えをコントロールしようとする必要はありません
他人が知りたいと感じるような生き方をすれば良いだけです
そしてまた自分の自然な欲求を抑え自分をも抑えなければならないと考えるから
他の面で自分を癒し満足させる物を見つけなければならないと考える様になるのです
自分の見ている景色やその五感に感じるもの全ての要素は
「自分の意識に浮かび上がっているもの」と捉えてみて下さい
「自分の意識の中を通って私は"人類全体の思考並びに意識"を覗いている」又は
「人類全体の意識が私の意識を通じて伝えられてきている」と"感じてみる"ことが
このことへの理解の手助けとなるかもしれません
あくまで現実とされる物質世界の様相は人類のさまざまな意識の側面すべてを包含し表されているものです
あなた方に認められていない事実はその世界にも当然事実として現れることはあり得ません
例えば地球外生命に関する情報をシャットアウトしていれば
それが"現れる"ことはないでしょう
人間が空を飛ぶにはある条件を満たさなければならないと言えばそのようになります
ただし"純粋に求める"事によって様々な動物達の独自の進化は"与えられた"ものです
あくまで時間の概念を初めとする様々な概念に括られた次元の中を
我々は"旅している"ので、その括りを通された物事のみを
現実的な理解として体験しているのです
我々はそこで何かを求める存在であると言う事が出来ます
またそうした状態に置かれた存在として我々を見ることもできます
こうした中にあなたの云う"命題"が生まれます
その枠組みで何を求めるかというひとつの命題です
これによって我々がどうした意識的存在になれるかと云うものです
そこでは様々な観念及び概念がそれぞれの肉体的知覚に翻訳されて
経験の基盤である現実的な様相を展開していることになります
そうした概念を持ち合わせていない何もインプットされていない状態の内は
特に赤ん坊としての意識は
そうした大人達の現実の常識を覆す力を秘めた状態にあります
常に新たな命はそこに新鮮さという変化をもたらしつづけます
そしてまた世界には実際にあなた独自に受け容れている考え方も反映されています
常にあなたの「いま」の状態そしてあなたという存在としての在り方が
あなたの体験する現実としてそこに反映されつづけます
あなたはその利用すべき体系を自分の中に意識的に招き入れているのです
高度に身体組織全般に指令を送ってそこに意識を集中し続けているのです
身体に現れる病状は特にそうした現在のあなたの在り方を象徴的に表しています
あなたが全人類に対して否定的であればそのような結末を呼び込むことでしょう
そしてまた自分を消し去りたいと考えていればそうした兆候が現実に現れることとなります
絶滅する動物達もまた自ら自分の居るべき環境を求めているが故です
つまりその事によってこの地上から存在を消そうとしていると見ることも出来ます
そしてそれは叶って居るのです
「霊性の進化」という"命題に於いては苦境は必要なものと言えます
それを単なる"与えられる"「苦」などとは思わないことです
一つの人生に語られるどんな人間性も全体性の中にその必要を見ることが出来ます
あなたの"死"そして置き去られた肉体も他の誰かに役立てられるように
ひとつの人生でなんら個人としての栄えある結果を残せなかったとしても
そのことがまた霊的な価値への理解を深める上では欠かせないものなのです
栄冠を掴むことなど誰から期待されたものなどでもなく
そうしたものを必要としない自分という存在価値への気付きとなればすべて倖いなのです
勿論それらを求めることが刺激や興奮のある楽しいものであるのは云う迄もないことです
ですがそれらは他者や自己を犠牲にしてまでも手に入れるべきものなどでもありません
「自己犠牲」の精神は誉れ高き美徳として掲げられる場合があります
それはそれでいいでしょう
ですがそれは「常々そうしなければならない」といった性格のものではなく
普段そうした考えになくとも、いざという時、無意識に自然と身を呈して
人前にその姿が発揮されるだけのことであるのです
それは全体としてすべてがひとつの生命であることの証です
それを我々が目にする時感動を呼ぶのはそこに本来の自身の姿を思い出すからです
讃えられることであってもそうすべきものなどではないのです
そこにあるのは喜ばしい命の在り方だけです
これを単に混同していてはジレンマに陥ったり
ある種の自己否定の生活に入り浸ることとなりかねません
苦境にありそれを乗り越えることだけが人としての評価に繋がる訳でもないのです
そのような意味に於いて「試練」と呼べるものなどありません
すべてはただ喜びにだけ向かうプロセスの一環であることを知った上で
行動すれば良いだけのことです
比較して物事の幸福度を測る様になれば
当然そこには「試練」と感じることだけが重くのしかかってくる
ただそれだけのことです
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- 経験の海 金十字架 2013/4/14 13:57:07
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