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文学は読みたい人が読めばいい。学生は実際にビジネスで使う言葉遣いをもっと勉強しないと。
「その時ジョンはどう思いましたか」どうでもええがな。
国語・修身でビジネスマナー、電話の取り方などを学ぶ。
教師がズラズラと板書するのを写すのは無意味だし、即刻止めるべきです。
逆に速記教科というのを作って、教師が板書せず口頭で言った事をどれだけ正確にノートに書いたか採点するのはいいと思う。
書道の時間に履歴書、ボールペン字の書き方と数字の書き方を学ぶ。
英語の教科書なんかももっと実践的でないと。
アメリカに着いたら最初に着くのが空港でしょうが。その次に取引先の人が着ます。ホテル着きます、という具体的なストーリーが大事だと思います。
何をしたいかはっきりしない人間が大学に入った後に五月病になる訳です。そういう人は大学に入る目的がないからです。大学入学の自己目的化。受験勉強の時間と学費の無駄。
日本の教育はゆとり教育以前の70年代既に危なかった。それは学校が勉強を詰め込むだけで、明確な人生目標、職業意識を持たせる場ではなかったからだ。
それで何をしていいか全くわからないからとりあえず暴走族になってバイクを乗り回したり、スポーツで汗を流したり、受験に打ち込んだり、授業をサボってマージャンをしたりして時間を潰したのが今までの日本の教育の姿だったのです。
明治維新から70年の万博までは、生活が貧しく苦しい人が豊かになるという国民目標がずっとあった。
しかし、それが達成して電子レンジとカラーテレビと冷蔵庫と洗濯機と自動車を無事にゲットすると、スポーツ成績以外で何を目指していいか分からなくなってパンクロックとか校内暴力とか家庭内暴力とか土曜の夜ディスコでフィーバーでとりあえず暴れてみたのだろう。
そして、そういう世代も今や立派な大人になって自分なりの教育論を披露するようになったのが今の日本なのだなあ
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