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「そのようにあるべきである」と云う群集心理を笠に着た
人間的心理描写の一切は真理というものから遠くかけ離れた力である
それは謂わば極の端と端程に違うのである
人々の心理的な見地から真理を知ろうとする事は険しい道に例えられる
荊で遮られた道に傷つく事を怖れずに歩を進めるもの
(十分それに耐えうる経験をしたもの)だけが
その見地に到達しうる準備ができたのだと言える
真実(真理)とは誰もが語れるものであるが故に真実なのであり
そしてそれ故に真実はそれを口にするものを選ばない
よってそれを口にしているからといってそのものだけに
特別な権限を与えたりすることもまたないと言えるのである
何故なら真理とは口に語られるだけのものではないのであり
それは力であり我々の中を通じたエネルギーと言えるものだからである
つまり我々の実在そのものだと言えるのである
すべてのものがそれそのものの姿・形・動きになんらかの真理を伝えているように
赤ん坊・犯罪者すべてに等しくそこに真実の現れがあると観る事が出来る
何も間違ったことは起きていないのであるが
我々は自分の中に飼っている正義や道理の中に言い分を隠し持って
そのことを無視しつづけているのである
我々は単に自分の真実といえるものから眼を背け続けてきただけである
真実といえるものとは特定の側に立つ事も所有される事もない
真理による力とは謂わば(語弊があるかも知れないが)神の力であり
また存在そのものの力であり
即ち我々の実在としての(本当の)力そのものなのである
それは究極的な力なのであり
すべての力を束ねる力であり
それは何よりも勝るものである
真実の力は全てのものと共にあり
平等にその力を利用出来ることに在るのである
つまりそれは核の力でも抑止力でも暴力でもなく
それらを無効化する「愛の力」なのである
よって群集心理に支えられるようなものでも流されるものでもなく
権威的な立場に委ねられそこに語られるようなものでもない
そこにあるものとは真理を人々の手から離す様に歪曲された情報であり
それは真理を知らぬが故に常に怖れる状態に置かれた者にとって
脅威的な力とはなり得ても真理とはなりえないのである
真理を知ることとはその者から恐れを拭い
活力だけを与えるからである
人々が真実というものを自分を変えてくれるようなものとして捉えるなら
それ以前にまずその者が
何ゆえに自らその"真実"を自分から"切り離して"しまったのか
と云う事に気づくべきなのである
勿論探す前に気づけるなら苦労はしない
だがそこにある修復のプロセスとしてのものから意義を見出す事はできる
その"切り離されたもの"とは
つまり自分に欠けていると感じてしまったもののことである
それをもう一度求める必要性を感じること自体間違った事ではない
それは何らかの理由で自己の自然な欲求を忘れてしまっただけなのであるから
そもそも問題としての"誤り"といえるものが何故起きるかは
その答えを求める為の一歩を
何処に踏み出したかで決まってしまうと言えるのだ
自分の内なる問題の解決を自分の外に向かって探し出せば
それが不可解な迷宮への探索の始まりとなることは誰もが理解出来るだろう
真実とは我々の認識の中に(それそのものの性質と方向性の中に)
単にその実在の本質を示すに留まるものであると言えるのだ
つまりそれ自体を利用する者の心の向きによって
エネルギーの質もまたそこに大きく変化するだけであるのだ
生物としての自然な欲求を自ら抑えつけて
自分のしたいことを無理に放棄することになれば
自分をそこに無力なものとして捉える事に繋がる
自分が無力だと信じることになれば
それは「死と呼べる形態」に自分を置く事とほぼ同一視できるものとなる
そこにエネルギーが枯渇した状態ができあがる
そうなればその為の治癒を外に"求める"状態ができあがる
つりまそこに病状が現れる事となる
自分が"どう感じているか"に依って
常にその感じている事の本質があなたの居る"場"を通じて
具体的な形を伴って現れようとする
それが現実世界である
だからここに何度でも言いたい事は
「どんなことであっても自分を否定する為の理由になるものなど何処にもない」
と云う事である
つまり「起こりうる事はすべて自分の在り方(責任)によって変化する(させる事ができる)」
と云う事でもある
我々を通じて流れ出しているその真実の(活力ある)エネルギーを取り戻すには
自分を否定する事を止めて
無力感から脱出するほかないのだ
「これぞ自分で在る」という行動を採り続ける事に依って
自分を通じたエネルギー(の使い方としての学び)を取り出す事ができる
私はそのエネルギーの使い方を
(誰もが語れる真実であることを)ここに伝えたいのである
真実を知る事に対する怖れに歪曲された情報のエネルギーなど
取るに足らないものなのである
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