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祈りとは、自分の霊性からあふれ出るエネルギーなんだろう。マグマみたいにしてわき上がる祈りの気持を、エゴの自分は遠巻きに眺めている感じだけど、畏敬の念のようなものは確かに持っている。その祈りのマグマに、エゴの自分も、なんとかして役に立ちたいと思っているのも確かなようだ。
冒険とは、イノチのエネルギーを行為に転換すること。実験してみること。肉体を持った人間は、行為者として、実験者としてふさわしい。危険も伴うから冒険者としての美学が必要だ。この美学をめぐって、男女それぞれの人生が展開されるはずだけど、文明がそれをジャマすることが多い。
宇宙にはオーラが満ちている。宇宙の響きとも言える。モーツァルトの音楽は宇宙の響きの一種だ。祈り(イノチ)のエネルギーが行為、冒険に転換される時に、オーラが発生する。逆にいえば、オーラに誘われて、エネルギーは行為に転換される。完全円満、すべての調和をオーラが支える。
オーラは、完全円満の鋳型でもあり、相互の連携、コミュニケーションの媒体でもある。鋳型としても、媒体としても、宇宙全体のひろがりから量子にいたるすべての動きをカバーしている。人間の創造活動も、オーラにうながされ、そしてオーラに新しい動き(音色)を付け加えている。
祈りのエネルギー、冒険の意図、オーラの響き。これが人生を動かす。人生だけでなく、宇宙空間も、量子空間も、この三つが動きを生じさせている。… 物質世界、霊的世界の統一運動原理は、ここから導かれるかな??
肝腎なのは、この自分が、日常の中の祈りと冒険とオーラを、自分の魔法の原理としているかどうか。そうなんだ、みんな魔法使いなんだ。すべてを創造するパワーを持ってる。そして一番面白くて、悲しくて、ワクワクして、絶望もあって、そして最高にいとおしいのは、さてなんだろう。
さあみんな、実は自分は、世界のすべてを創造できる魔法使いなんだと、言ってしまおう。もう隠す必要はない。いままでのゲームは終了するのだ。いったん、本来の魔法使いの姿に戻って、ゲームを終了させる作業に加わる時だ。そして、次のゲームの準備に取りかかってもいいのだ。
http://hirakegoma.daarekasan.net/
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