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つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-109.htmlより転載
鉛色の空をながめていたら雪がもかもかと降ってきた。ああ、やっぱりと思いながら現場を後にする。かれこれ二年ほど携わっている洞穴住居を改修したホテルの、いまは増築部分を設計・管理している。もう開業しているのでお客の少ない冬の間に工事をすすめている。肩に降りかかる雪は気短かにとけて濡れかかる。春が、そこまで来ている。
この日の夜明け前、モスクから朝の礼拝の時刻を知らせるアザーンの声が響くなか主人の実家から電話があった。主人の父が「ここはどこだ」といい続け自失状態だという知らせだった。もう何があってもおかしくない齢で、しかも老夫婦の二人暮らしである。実家のあるカイセリは我が家から100kmほど離れた大都市、すぐに身支度し家を飛び出す主人をみおくり、この日はこうして始まった。
こんな日は家に居ても何も手につかないのでほかの現場も見に行くことする。バスに乗ろうと中心街に向かう道々、降りが激しくなってきた。降ってはきえる春の淡雪、石造りの壁にはさまれた狭い路地、目の前の景色も白く淡む。
ふと木戸があくと中から顔を出し気さくに声をかけてくれたのは知り合いの職人さんの奥さんだった。こんな雪の日にどこへ行く、小やみになるまでお茶を飲んでいけ、と誘いをうけた。こういうお誘いはよほど急いでいない限りありがたくお受けすることにしている。「客人」は神が遣わす者であり、もてなすことは神の御心に添う
ことと信じられている。そんなちいさな善行をたくさん集めてよい国を作るのがイスラームの教えである。さっさと仕事を片付けて空いた時間にほかの仕事を詰め込めばお茶ばかり飲んでいるより稼ぎは増える。しかしそこで必ず起こる恐ろしい短絡に気づき歯止めをかけろと神様は説いている。
「ちょいとあんたー、誰が来たと思う?ほら、日本の、名前なんだっけ?」
「だれじゃー?」
奥に居る家主に声をかける。推定年齢六十代後半のふたりである。
小さな庭をぬけ、石のアーチ造りの部屋に通されると石炭ストーブが暖かく燃えていた。鋳鉄の天板の上ではブリキのヤカンがしゅんしゅんと湯気を出している。
ああ、あんたか、よくきたね、と笑顔で迎えてくれる。日本と同じく室内では靴を脱ぎ、床に座って暮らすのが普通である。実に居心地がいい。すぐに支度をするから食事をしていけと言われたが仕事があるからとさすがに辞退、ストーブに手をかざして暖める。
数年前まではわが一家もこの石炭ストーブで暖をとっていた。煮込み料理がおいしくできるし洗濯物もよく乾く。ヤカンから出る蒸気が部屋を加湿してくれるし、そのお湯で入れたお茶はガスの炎では味わえない。厄介なのは灰の始末と煙突掃除、そして寝場所である。ひとつのストーブでは家中を暖めることはできないため、普通は冬の間みな居間で、つまりストーブのある部屋で寝起きすることになる。それが嫌なら寝室でもストーブを焚くしかないが、それでは石炭も焚き付けをする薪も掃除の手間も増えてしまう。この地方の冬は電気ストーブではちと心もとない。
居間で雑魚寝というのが我が家の冬景色だった。こんな暮らしは嫌いではないし子供たちも小さかったので特に問題はなかったのだが、その他もろもろの事情もあったため引越しを決め、その越し先が温水暖房式の家だった。今ではどの部屋も同じ温度、厚着して台所に立つこともなくなった。これを快適というのだろうけど。
かつてはほとんどが農家だったこの地域の古い家々は昔の農家の姿をとどめている。建物が石造りなので手入れさえすれば何百年でもそのままの姿でいることができる。どの家にもタンドゥルという掘りごたつのようなパン焼きかまどがあった。葡萄や杏の枝を焚いていた。まだ石炭が暖房の燃料として普及しなかった頃は、冬はこのタンドゥルのある部屋で寝起きしたという。農作業のない冬はこの部屋で春に備えて体を休めた。炎を囲み、農具の修理をする父親、絨毯を織る母親、年寄りの昔話に聞き入る子供たち、日本によく似たあたたかい冬があった。
老夫婦との話はおもしろい。仕事の話、孫たちの話、父親がたった一人で管理していた山林を息子が三人いても見きれなかったという話、西海岸に出稼ぎにいったとき海辺に横たわる素っ裸の外国人を見て仰天した話、病院にいくと病気にされるから行きたくないという話…ストーブの胴についている小さなオーブンで焼いたパンをお茶請けに、そんな取り止めのない話を楽しんだ。
主人から連絡がないのが気になってきた。そろそろ仕事に行かねばと暇乞いし、お礼を言って石の家を後にする。子供たちに食べさせてあげてと、腰につけている道具入れの布袋にクルミをいっぱい詰めてくれた。雪はいつの間にかやんでいた。心優しい老夫婦に神のご加護がありますように。
途中、靴屋に寄って長靴を買った。さっきの工事現場では冬休みの小遣い稼ぎにと高二になる筆者の長男が働いているのだが、靴下まで泥に濡れていたのが気になっていた。学校の成績は悪くない子だがそれだけでは生きていけるわけがない。重いものや汚いものは誰かが運んで片付けていることを、明かりが灯るのは、水が出るのは誰かが設備を整えていることを、しかしそのためだけに膨大な資源がゴミに化けることを「痛感」してほしい。
やっとバスに乗る。行く先の村には直通のバスがないので途中下車して迎えの車に乗る。ここはかなり標高が高いので気温が低い。崖にはりつくような洞穴住居郡は修復が進み、朽ち果てることをまぬがれた。観光化という活路を与えられたからである。ホテルやレストランの需要は増すばかりで工事が追いつかないほどの現状、雇用は増え地域は潤った。しかし所詮うたかたでしかないこの世の騒ぎなど長くは続かないことを神は教え、我々もそれを知っている。
「神の教え」はいずれ硬化して「知識」というものに化け魂から乖離する。そして「神などいない」の一言で打ち砕くことができてしまう。
人の思惑などよりも石や岩を相手に仕事をするほうがよい。ここでは30年ほど前にすでに改修された洞穴ホテルを再改築する工事を担当している。やわらかい堆積岩を掘り進み拡張、そのために必要な補強を壁やアーチを架構することで行う。同時に内部の平面計画、動線を整える。現場で計測しそれを図面に落とし込み工事の指示をし、また計測する、その繰り返しである。高所での作業も多いので両手をふさがないため計測道具を腰の道具入れに入れている。帳面と巻尺、方位磁石、釘、糸などが入っている。のだが、この日はおばさんがくれたクルミがぎっしり入っていたので大変だった。義父のことも気になってさっぱり仕事にならなかった。
今夜は病院に泊まるから、と主人。電話の声は普段のものでとくに深刻ではなかった。主人は五人兄弟の長男なのでいざというときの責任は重い。五人の子を育て上げた義父は小柄だが屈強な人で、雪深い寒村に生まれ幼い頃に父親を亡くしてからは都会に出て工事現場や工場で働き家計を助けたという。相撲(トルコ相撲)では村で義父に敵うものはいなかったそうだ。兵役を終えて結婚し、カイセリに移り住み建設作業員として働き、工事の手法をすっかり熟知すると自分で工務店を開き請負業を始めて財を成した。日に五回の礼拝を欠かさずメッカへの巡礼も果たした敬虔なイスラム教徒であるが、異教徒の国から来た嫁も大事にしてくれる人である。つい数日前に子供たちと遊びに行ったときはいつもどおりの調子だったのに。
翌日、もしかしたらカイセリに呼ばれるかもしれないと思ったので家に居ることにした。やることは山ほどあるので時間をもてあますことはない。しかしどこか行き場のない気持ちはつのるばかり、そして昼下がりに電話があった。子供たちはどうしているか、といつもの声の主人、そんなことよりそっちはどうかと訊きかえすと、だめだと一言いって涙声に変わった。あとはもう何を言っているのか解らなかった。神様の決めることだからしかたがない、としかいってあげられなかった。雪がまた、ふっていた。
いったん帰宅してもう落ち着いていた主人は義父の最後の様子をはなしてくれた。
病院に運ばれてからは意識はしっかりしていて痛くも苦しくもなかったそうだ。ときどき目が見えなくなったり、記憶がとぎれたりしたがしばらくすると元に戻るという。そのうちに肝臓と腎臓が働くなくなってきた。夜半からベッドに座ったままの姿勢でお祈りをはじめ、時折横になりながらも最後までやめなかったという。そのころにはもう誰の声もとどかず、何も言わず、ひたすらに祈り続けていたという。そしてそのまま旅立った。
イスラム教徒がおそれるのは死後に必ず受ける「審判」である。死者の魂は神の御前に引き出され、この世での善行と悪行を秤にかけられるという。善行が悪行に勝れば天国に招かれ、その逆であれば申し開きの余地はなく地獄の業火に投じられる。うたかたのこの世での貧困も苦難もそして死をもおそれてはいけない。なぜならば本当の人生は死後にはじまるからである。彼らはそれをよりどころに、悲しみを、苦難を乗り越える。そして魂は平安を得る。ただし「神の教え」を「知識」にすり替えその魂から切り離さなければ―
埋葬がすみ、集まった親戚一同が家路についたころにはやわらかい春の日差しが満ちていた。暦の上でもいつのまにか春を迎えていた。あの雪は冬の名残りか、それとも義父を迎えにきたのだろうか。
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